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いまこそ四権分離を考えよう

 かつて四権分離を唱えた人がいた。司法・行政・立法の三権分離に加え、教育権を三権から分離させるべきだ、というのだ。戦前の軍事教育・教育勅語の反省からでた提案であった、と記憶している。
 今回の東日本大震災、福島原発事故を真剣に考えると、教育権が行政から分離されていれば、これほどの被害が拡大することはなかったのではないか、そう思えてならない。 
 たとえば、行政が国策として原子力発電推進に舵を切ったときに、学問の世界が、中立的立場(つまり、あくまでも学問的中立の立場)で、そのことが可能かどうか、またそのときのメリット・デメリットを判断していれば、とてもではないが、原発を推進することはなかったはずだ。
 脳がウソをつくことは、現在の脳科学では常識らしい。推進派に身を投じ、政官産学一体の原子力ムラからの有形・無形のメリットを甘受しているうちに、学問的な中立は薄れ、中立であるべき学者が推進派に有利な学説のみを主張するようになる。
 その学説が古くさく、学問的にはバカバカしいとわかっていても、その学者は社会的の地位も与えられ、莫大な研究費も与えられ、反対派の学者の声を握りつぶすことなど簡単にできてしまう。
 四十年前とは天地雲泥の差がある最新の地震予知研究の成果も、原子力推進派の学者の耳には届かなかった。いまも、届いていないようだ。

 菅内閣が放射能研究の権威として招いた小佐古内閣参与。彼が辞任するという事態は、ひさびさに学問の世界の良心をみる思いがした。
 そして、学問の世界は行政の方針に従うべきだ、という戦前と同じ過ちを犯しながら、それに気づかない政治家には呆れてしまう。
 とくに、辞めた小佐古氏に、内閣参与時代に知り得たことに対して沈黙していなくてはいけない守秘義務があると圧力を加え、口を封じようとした人物がいるらしいが、その人物が誰か、たいへん興味深い。
 学問の世界が、行政をリードしていくべきだ、といっているのではない。行政は、学問の世界を心の底からリスペクトすべきであり、そのためにも、あくまでも学問の世界が学問的中立をいられるように、学問・教育権を分離すべきなのである。

by spanky2011th | 2011-06-25 20:17 | 世相 妄想随談