「は」と「が」について(9)

はが文について
 
この助詞「は」と「が」の両方を使うパターンが、日本語には結構多い。学校で、少なくても、このくらいのことは教えてもらいたいのだが、この手の授業は、日本全国探しまわっても、どこでもやられていないのではないだろうか。かわりにやっているのが、ほとんど無意味な品詞分解と活用の暗記ばかり。
 さて、「はが文」についてだが、ざーっと思いつくまま、書いてみる。

 彼は耳が欠けている。
 彼は体の色が青い。
 彼はからだが金属だ。
 彼はからだが丸っぽい。
 彼は性格が穏やかで、やさしい。
 彼は声が大山のぶ代にそっくりだ。
 彼はねずみがきらいだ。
 彼はどら焼きが大好きだ。

 ほとんどなんでもありの、品詞のバトルロイヤル状態。では、まったくの無秩序かというと、そんなことはなく、あるルールにのっとっている。
 それは、まず「彼は」と主題(彼の話ですよーという奴です)を提示していることだ。つぎに、五感で認識した耳とか、色とか、性格とか、声とかの「モノ・コト」が提示され、それに対して、それはこうこうこうだ、と説明している。「ハとガ」(坂野信彦・著)を読んでいたら、私の考えと似たことを書いていて、「が」の前が着眼対象、「が」の後を着眼事項と呼んでいる。まあ、とにかく、主題の提示があって、その次に「モノ・ゴト」がきて、最後に「内容」がくる。単純にそれだけで、意味を伝えている。「彼はからだが金属だ。」の文など、いわゆる動詞など一つもなく、名詞と助詞しかない。
 この「はが文」の特徴として、「彼はどら焼きが大好きだ」の「が」が主格の助詞ではなく、目的格の助詞であることだ。書き直してみよう。「彼はどら焼きを好んで食べる」にすることができる。
 この文は単純だからいいが、大学受験のセンター試験の選択肢などで、受験生を落とすためのテクニックとして使われることがある。「が」が主語をつくる助詞だと思い込んでしまっているまじめな受験生は、この「が」の前にバッタバッタと討ち死にしていくのである。

(2)「複数オニ」や「陣オニ」、オニにつかまったものも助かる契機与えられている点で、従来の隠れん坊になかった、擬似的な死の世界から象徴的意味を内包してしまっているということ。(2009年 本試験)

この文章のすごい点は、長〜い「はが文」=「「複数オニ」や「陣オニ」は、オニにつかまったものも助かる契機が与えられている」が、次の「点」という形式名詞にかかっていることだ。「は」と「が」が主語を作る助詞だと信じこんでいる生徒は、途中で頭がこんがらがってしまう。

 この「はが文」は絶滅危惧種とまではいっていないが、いまや、完全な少数派になっていて、見かけることが少なくなってきている。
 というのも、いまや、日本語を日本語のルールで考えない人が増えているからだ。
 「文章読本」で有名な丸谷才一氏も、文で迷ったときには、英語の文法で考えると発言していたのを読んだ記憶がある。わが国が誇るノーベル文学賞作家大江健三郎氏は「頭の中で英語に翻訳しながら作品を書いている」と発言していたのを聴いた覚えがある。次のノーベル文学賞をとるだろう、といわれている村上春樹氏はいうまでもなく著名な翻訳家でもある。
 なにも、これは分筆をなりわいにしているプロだけの話ではない。ネットで見かける文章も、かなりが英語文法で書かれたような日本語だ。ほんと、日本人は、英語の文法はアメリカ人もびっくりするほど勉強し、日本語の文法はしゃべれるんだからいいじゃないか、とばかりに、私を含めて勉強していない。
 学校で教えている先生方も、きっと多くがそうなのではないだろうか。
 うっかり、「彼はからだが金属だ。」と書こうものなら、先生が「日本語は主語-述語がなくてはいけない」と生徒を叱り、「彼のからだは金属で作られている。」と、書き直しを命じかねない。
 そんなかわいそうな状況にあるのが、いまの日本語だ。
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by spanky2011th | 2011-06-29 13:04 | 日本語 助詞「は」と「が」