「は」と「が」について(11)

「はが文」の「は」が消えるとき

 「にわにはにわにわとりがいる」の文は知っていることと思う。言うまでもなく「庭には二羽ニワトリがいる」だ。
 この文を英語文法で書かれた風にすれば、「二羽のニワトリが庭にいる」と、味も素っ気もない文なってしまう。やはり「庭には二羽ニワトリがいる」の方が日本語っぽくて、私は好きだ。いうまでもなく、「庭には」の「は」が主題を作っている。庭の話ですよー、と。
 では、「庭には二羽ニワトリがいる」の文に「私」を加えてみよう。もちろん、私は見る立場の人間だ。
 「私は、庭にニワトリが二羽いるのを見た。」と「はが文」になってしまう。言葉を置き換えても、「私は、ニワトリが二羽庭にいるのを見た。」「私は、二羽ニワトリが庭にいるのを見た。」と、「はが文」になる。

 前に紹介した「ハとガ」(坂野信彦・著)で、次のような例を引いて、「が」が特異格であるとしていた。
(店で商品選びをしながら)
「これハどう?」
「それハちょっと……」
「じゃあ。これハ?」
「あ、それガいい。」


 話し言葉で「わたしは」が省略されるのは、常識だ。書かれてないが、最後の一行が「はが文」であるのは一目瞭然。書き言葉にすれば、「私はそれがいい。」となる。

 実は、「海が青い」「猫が寝ている」といったような主語の「が」を含む言葉は、「私は、○○○が○○○○○を見た(聞いた/味わったなど、早い話が感じた)。」の省略形ではないのか、と私は思っているほどだ。
 そして、「私は  見た」部分はあまりにも当たり前すぎて、使っている当人も意識しないうちに省略してしまう。聞いている側も当たり前すぎて省略してしまう。それが独自に歩き出しているのが「が」ではないか、と私は思っている。
 この「はが文」がいかに大切であるか、わかってもらえただろうか。


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by spanky2011th | 2011-07-02 15:43 | 日本語 助詞「は」と「が」