「は」と「が」について(13)

「が」は現象をありのまま表現する文なのか

 既知と未知については、ずいぶん書いてきたので、今回は、これは飛ばす。とにかく、あの国語学者の大野晋までも「は」は既知、「が」が未知というのだから、まず、間違いがないと、多くの人が追随しているだけなのかもしれない。
 今回は、「現象文」について、書こう。といっても、[日本語教師養成講座]で初めて、この言葉に接したので、きょう、吉祥寺の図書館に行き、分厚い「日本語辞典」で調べてみたのだが、載っていない。日本語の文法は、三大文法、四大文法というように、統一されていない。用語も、西洋の最新の言語学の用語が使われていたり、学派、学派で用語がちがう。それに、学校文法が加わるのだから、まったく、専門家以外は口を出せない仕組みになっているのではないか。そう邪推したくなるほどだ。
 そこで、コピペした文で、自分の考えを述べよう。

(2) 現象文か判断文かによって使い分ける方法。
現象をありのままに、話し手の主観的な判断を加えずにそのまま表現する文を「現象文」と呼び、現象文の主格には「が」が付く。こ れに対して、現象に対して話し手が主観的な判断を加えて表現する文を「判断文」と呼び、判断文の主格には「は」が付く。以上のことを基準にして使い分ける方法である。
  (目の前の犬を見て)犬が寝そべっ ている。(現象文)
  (他の人に間違えて持って行かれそうになった傘を指して) それは私の傘です。(判断文)


 「現象文」というネーミングがまず名が体を表していない。「地球は太陽の周りを回っている」も現象だし、「夫婦喧嘩は犬も食わない」も現象だ。名を付けるのなら、見ただけで、内容のわかるようにしてもらいたい。
 しかし、「現象(私流に言うと、現実世界に存在するモノ・コト)をありのままに、話し手の主観的な判断を加えずにそのまま表現」すれば、その「文」には「が」が用いられる。これには反対しない。しかし、「全世界が、全宇宙が、あなたの試みを賞賛するでしょう」というような文が、実際にはたくさん存在している。「全宇宙が賞賛している」などという現象があるのだろうか。また、その文には、話し手の主観が反映していないだろうか(いや、反映されている。というより、主観そのものではないか)。
 
 私たちの言語活動は、認識だけの一方通行ではなく、伝達の逆方向もある。「全世界が、全宇宙が、あなたの試みを賞賛するでしょう」は、逆方向の伝達の言語である。話し手が思索し、その結果、現実世界でおきている「コト」と実感して、それを相手に伝えようとするときには「が」を使って伝達するのだ。「ガリレオの地動説が、それ以前の天動説を駆逐した」というような文も、実際に現実世界でおきたコトと実感しているから話し手が使い、聞き手もそうだと実感を伴って聞く。
 つまり、一番のポイントは「現実世界」ということだ。そこに存在する「モノ」と「コト」は、陳述構文で表現される。そして、この場合、「が」が用いられる、と思えばいい。
 「地球は太陽の周りを回っている」も、将来的に有人ロケットが宇宙に飛びだし、太陽の周りを回っている地球を目撃した場合、その飛行士が日本人だったら、「地球が太陽の周りを回っている」と、いうだろう。
 判断文の例としてあげている「それは私の傘です。」は、判断、つまり内界言語である。「が」に変わるときは、別のニュアンスを付け加えたいとき(それが私の傘です)だ。





              現実世界
                (外界)
           認 ↓      ↑伝
           識 ↓      ↑達

               五感
       …………………… 意識……………………
   (音楽脳)         未那識          (言語脳)
   物   内      阿騾頼耶識      内   論
   語   界      阿摩羅識       界   理

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by spanky2011th | 2011-07-09 10:43 | 日本語 助詞「は」と「が」