「ナウシカ」の世界を作ったのはだれか

使用済み核燃料棒は巨神兵!?

 昨夜、報道ステーションで与謝野薫氏のインタビューをやっていた。夕食を食べながら、私はあっと思った。こういう真面目で、信念を持って子孫のために何々をやろうという人物が、「風の谷のナウシカ」の毒だらけの大地を作ったのだ、と思ってしまったのだ。決して、ヒトラーのような人物ではなかっただろう、と。
 狭い国土で大量の電力を生み出すためには、どうしても原発は必要だ、と主張し、子どもや孫の世代に豊かさを引き継ぎたい、という発言も、なぜか私には「自分の子どもや孫の世代に豊かさを引き継ぎたい」といっているようにしか、聞こえなかった。
 つまり、与謝野氏の発言は、未来の子孫に負の財産を残し、プラスの財産は「自分と自分の子と孫のために」使い果たしたい、といっているようなものだ。その結果、もたらされるのが「ナウシカ」の世界である。

 いまの経済活動を維持するために原発は必要だ、は一理ある。狭い国土云々も一理あるようだ。
 が、解決法は一つではないはずだ。無数にある選択肢から、ひとつをえらべばいい。その選択肢がないなら、英知を結集して、考えだせばいいだけなのだ。
 今回の福島原発事故で私がメルトダウン以上に怯えたのは、使用済み核燃料棒の異常なまでの多さであった。たしか、1万本を越えていたはずだ。それをとりあえず、プールにいれ水に浸して暴れだすのを防いでいるだけで、根本的な解決法はみつかっていない。もしかしたら、巨神兵!?
 理論的には、プルサーマル計画のように、とことん燃やし尽くせば、危険性はほとんどゼロになるらしい。科学者は、予算を取ってその研究をしたいので、できると断言し、実行に移したがるだろう。その危険の大きさは、原発の比ではない。
 絶対的な安全技術が確立されるまで、原発は実用化すべきではない、という意見がスタート時から多くあったのに、産政官学の複合体がそれを無視した。その結果が、今回の原発事故である。想定外の天災のせいではない。
 いま被害を受けている福島の人には申し訳ないが、ある意味、この早い段階で、原発の真の姿が世間にさらされ、みなが関心を持ったのはよかったと思う。手遅れにならないで済みそうだ。
 それにしても、いま、日本には、何本の使用済み核燃料棒が、原発のプールと呼ばれる部分に、水に浸されて眠っているのだろうか。五十万本に迫っているのではないだろうか。





 一時期フロンガスが話題になったことがある。そもそもフロンガスは、これ以上安全な化学物質はないといわれていたものなのだ。それが発明された時、営業マンは「フロンガスは揮発力にすぐれ、洗浄力にも優れ、爆発もせず、毒性もないのです」といって、実演として飲んでみせたという。まさに夢のような化学物質だったのだ。ところが、科学者のだれも予想できなかったところから、その使用に中止がかかったのだ。宇宙から見たら、オゾン層の破壊されていたのだ。
 フロンガスですら、そのような想定外の複合結果を生み出すのだ。それが、何十万本の使用済み核燃料棒だったら、どうなるのだろうか。
 ほんとうに、何十万本なのだろうか。100万本に達するのは以外に近くて、数年後なのかもしれない。
 いっさいがわからないまま、与謝野氏のように「原発を使わなくなったら、日本は間違いなく貧乏になります」と、一方的なことだけをいう。別の側面にふれない語り方は、詐欺トークというのではないのか。

 そういえば、与謝野氏は、かの反戦歌人・与謝野晶子のお孫さんだったはず。自分の弟が日露戦争の出て行く時「君死にたもうことなかれ」とうたったあの大歌人である。
 ところで、教科書には載っていない事実がある。日本が大陸に進出し、やがて大陸でロシアや中国とぶつかるようになる。そのとき、爆弾を抱えて三人の兵士が敵軍に突入し、日本軍が破れるのを救ったというできごとがあった。旦那の鉄幹は「爆弾三勇士」の詩を書いたのは有名だが、晶子も「銃後の婦人も、爆弾三勇士を見習って……」というような詩を書いて、国民を鼓舞しようとしたことがある(「大東亜戦争への道」)参照)。
 自分の弟には死ぬな、といい、他人の死には勇気ある行為だ、とほめたたえる。あまりにも感情のままの反戦歌人らしい行いである。この爆弾三勇士に感動した日本人は、戦争への道をつきすすむようになったのである。

 ただし、高校や大学の国語の入試にでたときには、この史実は知っていても、与謝野晶子=反戦歌人と書かないと得点にはならない。

 いままた、孫の与謝野氏が同じ過ちを犯そうとしている。
 今の日本の現状を、経済とか、財政再建とかの色眼鏡ではなく、もっと正視眼で見つめてもらいたい。それも、一人の人間の眼で。

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by spanky2011th | 2011-07-14 05:58 | 世相 妄想随談