やめられない、とめられない

 いまから40年前ほど前、私が高校生のとき、地理の先生が授業前に突然、「私たちが気づいたときには、もう止められないという仕組みがある」という趣旨の発言をしたことがあった。
 それは、先生の住む近くに高速道路が建設され、その反対運動をしていて感じたことだそうだ。
 きょう、地デジへの完全移行が行われたが、これも、どこか私たちの知らないところで決定され、スカイツリー建設も決定され、すべて青写真が出来て、組織も作られてから、「2011年7月23日正午地デジ完全移行」という告知が始まる。
 決めるのは、お役所と放送局と、その他もろもろの利益関係組織で、わたしたち利用者はいつも蚊帳の外というのが現状だ。
 いま、気づいている人々は気づいているだろうが、スポンサー離れが激しく、民放は青息吐息で、低予算で番組を作っている。地デジどころの状況ではない。
 ホリエモンがある放送局にレバレッジをかけたころ、こんな状況が来ると誰が予想しただろうか。あのころは、テレビのデジタル・双方向性化で、たとえば番組中にタレントが着ている洋服が、注文をだした数日後に届くように出来る、と夢のようなことが囁かれていた。
 商品が届くことが夢のようなのではなく、バブルがはじけたとはいえ、こんな切り詰めた経済状況になるとは、当時だれも思わなかったのだ。
 民放は、デジタルの特性を活かした、物販なども行うというサイドビジネスに投資する余力もない状況だ。ただ、アナログを廃止しただけで、デジタル移行の旨味が何もない。
 国民の大半がブツブツ文句をいいながらも、デジタル化に従った。しかし、大口のスポンサーがCMを流さないようになり、ここ数ヶ月、デジタル化に一番反対したかったのは、意外にも民放テレビ局ではないのか、と思えてならない。




 一度動き出したら、当事者といえども、止められない。それが今の日本という国のありようではないのか。
 「和を持って尊しとなす国」日本は、なにをやるにも、合議制でやる。はっきりとした意志決定組織をつくらない。責任の所在をはっきりさせない。ずるいのである。
 はじめは小さな組織で、「こんなものじゃないかな」レベルでスタートし、その組織にさまざまな思惑や利害が絡み付き、もたれ合い、互いの思惑や利害を調整しながら、どんどんと組織が大きくなっていく。
 メガ・マシーン化して、私たち国民の目に触れるようになったときには、もう、だれもその動きを止められなくなっている。一市民としては止めたいと思っても、メガ・マシーンの一部に組み込まれた当事者たちは、自分をはじめ多くの人たちの生活がかかっているから、止められない。
 どこへいくのか行き先を決められない、それが日本という国だ。政治家が変えようとしても、官僚組織が止めに入る。官僚が止めようとすると、その官僚は窓際に追いやられてしまう。

 「経済産業省資源エネルギー庁が原発に関するメディア情報を監視してきたことが、本紙の調べで分かった。本年度発注分を含めると、外部委託費の総額は四年間に約一億三千万円に上る。昨年度までは、いずれも電力会社役員らが理事を務める財団法人が受注していた」(東京新聞H23/7/23)
というような、こんな組織まで作られてしまうのだ。

 アウシュビッツ収容所の所長のルドルフ・ヘスを思い出してしまう。彼は信仰心も厚く、家庭人としても立派であったと言われている。
「しかし命令という事が、この虐殺の措置を、私に正しい物と思わせた。当時、私はそれに何らかの熟慮を向けようとはしなかった。私は命令を受けた。だから実行しなければならなかった。」

 原子力がなければ、いまの日本の国は成り立っていかない。とあくまでも、仕事に忠実であり続けようとしている人々がいる。自分の信念に忠実であるのは立派だが、それ以外の生き方があるとは信じられない人人がいる。彼には、大局的な視点しかなく、巻き込まれる被害者のことは念頭にない。その大局的な視点も、自分は偏っているのではないか、という自省する謙虚さもない。
 彼のいう大局的視点というのは、日本全体の国民というのではない。百年後の日本の子どもたちのことでもない。目先の利益にきゅうきゅうとしている、自分の周りにいる経済人たちのことを、大局的視点と信じているのだ。
 戦時中の指導者と同じだ。




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by spanky2011th | 2011-07-24 20:57 | 世相 妄想随談