日本語の基本はこの3つの構文だ

(1)文型1A 吾輩は名前がまだない猫である。(題述構文)
(2)文型1B 吾輩は名前がまだない。(はが文)
(3)文型2 坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いた。(陳述構文)


 日本語のほとんどは、この3つの文型のバリェーションである。というより、これ以外はないと断定してもよいくらいだ。
 この3つを理解できれば、大学のセンター試験くらいは楽々高得点を取れるのだが、日本の学校文法は、文型をベースに日本語を理解しようとしていない。あくまでも、言葉をバラバラに分解した最小単位の「動詞」「名詞」「助詞」……にこだわりすぎているからだ。
 時は、文明開化の明治時代。西洋の学問が怒濤のごとく、日本に入ってきた。科学、政治学、文学……。とにかく、日本は遅れた国で、西洋は進んだ国。とにかく、追いつけ、追い越せとばかりに、有り難がって、日本に無理矢理導入した。
 ウィキペディアによると、日本語の文法はいくつもあり、その中で有力なのが三大文法、四大文法と呼ばれ、統一されていない。その中で、一番古いものをベースにして作り上げられたのが、今の学校文法だ。それも明治時代にだ。
 西洋の言葉(屈折語=言葉の並びで、意味を伝える S+V+O+Cなど)の精密な文法体系を知った学者が、日本語(膠着語=膠でくっつけるように言葉をくっつけて、意味を伝える)でも同じことが出来るはずだと、日本語をこと細かく切り刻んで、分類した。かならず、法則性が見つかるはずだ、絶対的なルールがあるはずだ、と信じて。
 まるで、原発をスタートさせた脳天気な政治家や学者のように。
 核分裂は人間にコントロールできるはずだ。いまは出来なくでも、近い将来夢のような方法が見つかって、核分裂をコントロールできるようになるはずだ。大量の使用済み核燃料も、近い将来、夢のような処理方法が見つかって、万々歳で終わるはずだ、と。
 とにかく、今は、やってしまえ。自信があれば、何でも出来る。とばかりに、日本語のすべての語彙を、分類してしまったのだ。でも、いまだに、法則性が見つかっていない。絶対的なルールがみつかっていない。
 でも、ちがう学問の世界が、日本語の特性に光を当てだしている。そして、新しい文法が生まれようとしている。学校文法を学ぶなら、外国人が学ぶ日本語学校の文法の方が、まだ新しいし、正しい。

 信じられる?  社会の教科書でも、理科の教科書でも、古くなった学説はバンバン捨てられているのに、なぜか、文法だけは、天然記念物のように大事にそのままの状態で保存されている。漢字などは、毎年のようにいじくりまわしているのに、文法だけは手つかずのまま、放置されたまま。
 大学入試には、現代の文法は出ない。
 なぜならば、学校文法が正しいと信じている大学教授がいないからだ。国語学をやっている教授が大学入試に学校文法を出すということは、自分の研究への裏切り行為になるからだ。

 私は文法の研究者でもなれれば、愛好家でもない。ただのド素人だが、何冊か、文法の本も読んだ。あえていえば、時枝誠記の「辞」「詞」に分けるやりかたが、自分の心にストンときた。腑に落ちるというやつだ。昭和十年代に作られた学説だが、実は、その源流は江戸時代にある。
 誰が何といおうと、「ある」(動詞)の反対語は「ない」(形容詞)だと、私は思う。
 「はが文」でいうと、「私は目が青い(形容詞)」も「私は鼻が動く(動詞)」「私はお腹がビヤ樽(名詞)」も、みんな、同じなのである。細かいことにこだわらずにも「辞」「詞」とみれば、見えてくるものがある。



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by spanky2011th | 2011-07-26 22:54 | 日本語  基本の3文型