「教育権の独立」が脱原発の近道

 サッカーの基本は、相手が嫌がることをやれ、である。権力者たちがもっとも嫌うもの、それが教育権の独立である。

 いまの日本(政治などのことです)は変な姿になってきた。というより、もともとそうだったものが、顕在化してきただけなのだ。
 
[ 原発事故に直撃された福島県で今月、脱原発団体が批判する学者や機関と県内の大学との連携の動きが相次いだ。福島大学は独立行政法人・日本原子力研究開発機構(原子力機構)と連携協定を締結。福島県立医大では「年間一〇〇ミリシーベルトの被ばくまで安全」と講演した山下俊一・長崎大教授が副学長に就任した。地元では「大学の権威で、被害の訴えが封じられるのでは」と、懸念する声も漏れている。] 東京新聞(7月28日朝【特報】)

 何度も主張しているが、「教育権の独立」こそが日本の未来を切り開いていく近道である。

 日本には、独裁者もいなければ、カリスマもいない。ただ、利権の旨味をすっている複数の有形無形の組織と人々がいて、それらが複合体をなして、自分たちの都合がいいように、都合がいいようにと、物事を運ぼうとするのだ。
 その典型が、東京新聞で報道されている根回しなのである。
 大学はいま経営危機である。どこも資金繰りに苦しんでいる。たぶん、「連携協定を締結」はそこを突いてきたものだろう。
 京都大学の反原発の研究者たちが冷や飯を食わされていたのも、同じ理由からだろう。
 とにかく、裏からこっそりと「学問の世界」に近づき、自分たちに都合のいい学説を唱えてくれる学者を、組織の中心に据える。
 九電のメール問題も、根っこは同じである。裏からこっそりと仕込む根回しは、気づきにくい。

 全体観と部分観で、物事はみなくてはいけない、といわれている。いまの日本の政財界を見ていると、目先の利益のみに眼がいき、全体観がなくなっている。
 外国から日本が、「衝突回避機能付き行き先不明漂流物である」と揶揄されるのも当然だ。
 利害の対立が起きて衝突しそうになると回避し、まだ、じわじわとまた同じことをやりだす。根本的解決の筋道を模索しようとしない。中国・韓国・ロシアとの国境問題も、「日本の固有の領土」と主張しておきながら、衝突しそうになると回避してしまう。根本的解決を模索しない。

「利権の旨味をすっている複数の有形無形の組織と人々」にとって、理想の人材とはどういうものか。人文科学系、とくに、いま流行の「正義とは何か」というような問題には関心がなく、それでいて、専門分野ではとびきりに優秀な人物だ、といえるだろう。
 いまの大学を見ていると、こういう学生を育てる下請け機関になりさがっているのではないか、と思うところもある。
 「正義とは何か」という倫理に目覚め、専門分野でもとびきりに優秀な人物が、一市民の立場で、政治や経済にも監視の眼を光らしだしたとき、日本は変わりだす。
 「正義とは何か」という倫理に目覚め、専門分野でもとびきりに優秀な人物が、と書いたが、これはたとえだ。去年の暮れ、日本に感動の渦を巻き起こした、たくさんの「タイガーマスク=伊達直人」たちが、一市民の立場で、政治や経済にも監視の眼を光らしだしたときにも、日本は変わりだす。

 復興税の問題が出てくると、必ず、「税の公平な負担」というステレオタイプな言葉がでてくる。しかし、彼らが絶対に口にしない言葉がある。全体観で見れば、あまりにも当たり前すぎることである。
 
「その前に、富の公平な分配がおこなわれているのか」


 最低賃金問題が云々されていたが、これを引き上げられたら、倒産してしまう中小企業がワンサカとある。とにかく、弱肉強食で、弱い立場のものが泣きを見る市場原理のみでいいのだろうか。ここでも、「その前に、富の公平な分配がおこなわれているのか」が問題になる。
 
 震災当日、東電会長は中国にいた。そのとき、マスコミOBもいっしょだったと報道されていたが、このマスコミOBたちは、現役時代、どんな記事を書いていたのだろうか。 
 だれか、調べて教えてくれないものだろうか。



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by spanky2011th | 2011-07-29 19:29 | 世相 妄想随談