等身大の宮沢賢治に学ぶこと

だれよりも多く「雨ニモマケ」た宮沢賢治の心の叫び

 「暴走する資本主義」(ライシュ著)によると、私たちはみな「投資家」「消費者」「市民」という顔をもっている、という。いま、問題なのは、「市民」としての顔が弱まりつつあることだ、とも。
 アメリカにはご存知の通り、「ミニットマン」の伝統があった。ミニットマンとは、アメリカ独立戦争当時からの民兵組織で、その由来は、招集されたら1分(minute)で駆けつけるから、というものである(Wikipedia)。強制ではなく、あくまでも自主的に、内発的に、駆けつけたことを忘れてはならない。
 「市民」というのは、困った人がいたら助けてあげる。協力できることは手を携えて協力する、という人間として当たり前のことをすることである。つまり、人間としての、ごく当たり前の感覚を大切にし、その感覚で生きていくことである。

 いま日本人の多くに、聖人として変に祭り上げられている宮沢賢治。彼に関する本を何冊か読んで、いくつか驚いたことがある。
 彼の代表作「銀河鉄道の夜」に影響を与えたとされる軽便鉄道。その出資者の一人が宮沢家であった。
 宮沢賢治が大の音楽ファンであったことは「セロ弾きのゴーシュ」をみればよくわかるが、宮沢賢治は高価なレコードを買い込んだ。その量も半端ではない。レコード会社のコロンビアが宮沢賢治に感謝状を贈っているほどなのだ。僕たちが思っている以上の金持ちだったのだ。財閥の御曹司といってもいいだろう。「銀河鉄道の夜」のクライマックスに流れる「新世界交響曲」も、その高価なレコードで愛聴していたのだろう。
 宮沢家は短命な家系で、詩「永訣の朝」でもわかるように、妹も早死にしている。
 賢治は真剣に、利他的に生きていこうとした。農家の生産性を高めるために、真剣にいろいろなことをした。日本をかけずり回って、営業マンとしても、活動している。
 彼は体を痛めるまで働いた。そして、病に倒れると、実家が引き取りにくる。そこで養生して元気になると、また、賢治はむりを始める。
 こんな御曹司、いまの日本にはいない。「あなたがたとは違うのです」というような人ばかりではないだろうか。「市民」を放棄しているのだろうか。

 そんなことの繰り返しで、彼は死を迎える(昭和8年)。彼のあまりにも有名すぎる詩「雨ニモマケズ」が書かれたのは、死ぬ半年ほど前だろうといわれている。手帳に、こっそりと書かれていたものだ。

〔雨ニモマケズ〕  宮澤賢治
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

 あまり知られていないが、このあとに、次の言葉が書かれている。

南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩


 詩の形式を借りた神(仏)へ捧げる言葉だったのだ。リルケが「マルテの手記」で書いた「文学の底には祈りがある』という言葉を思い出さずにいられない。
 昭和11年には二・二六事件が起き、昭和12年には盧溝橋事件が起き、日本はいよいよ戦争へと突入していく。戦時になると、この「雨ニモマケズ」は、軍部・政府によって国民のマインドコントロールの道具として、一気に日本全体に広がる。当人の意志とは関係なく。自分の心からの祈りが軍部に利用されるのを、賢治は見ないで済んだのが、幸いだったといえるだろう。

 苦労して、苦労して、とうとう「ソウイウモノニ」なれなかった宮沢賢治。彼はきっとだれよりも多く「雨ニモマケテ」、「風ニモマケテ」「雪ニモ夏ノ暑サニモマケタ」のだ。だからこそ、心の底から「丈夫ナカラダヲモチ 」たかったのだ。「サウイフモノニ 」なりたかったのだ。

 いま、日本には奇妙な言葉が氾濫している。
「3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震において被害に遭われた皆様に、謹んでお見舞い申し上げますとともに、犠牲になられた方々とご遺族の皆様に対 し、深くお悔やみを申し上げます。一日も早い復旧・復興を心よりお祈り申し上げます。」(ネットにあった言葉をコピペしました)
 という類いのものだ。この言葉のどこに、言葉の使い手の祈りを感じればいいのだろうか。顔の見えない言葉、心のこもらない言葉のみが、アリバイ作りのように叛乱する。

 いま、日本には変な信念が氾濫している。「わたしも負けないで頑張ります」「元気をあげられるように頑張ります」という類いの言葉だ。
 なにかしてもらったら、「元気をもらいました」といわなくてはならないのだろうか。

 被害に遭っている人たちは、泣いていいのだ。怒っていいのだ。おとなしすぎる。泣いていいのだ。悔しがっていいのだ。
 なぜ、みんな、ステレオタイプの言葉を使うのだ。心からの叫びを挙げないのだ。心からの祈りを相手に伝えようとしないのだ。

 賢治がそうだったように、病に倒れたら、養生していいのだ。最愛の妹を亡くしたときの賢治のように、慟哭していいのだ。
 だって、私たちは人間なんだから。心のある人間なんだから。心まで、コピー=ペーストしてどうするのだ。いまの言葉の氾濫を見ていると、心のありようまで、縛りがかかっているような気がする。
 ただ、私はこう祈らずにはいられない。「でも、心の一段落がついたら、ゆっくりと立ち上がってください。」と。
 人間としての、ごく当たり前に感覚を大切にし、その感覚で生きていくことである。

 でも、絶望だけはしないでください。賢治も、死を迎える最後まで、どんなことがあっても希望だけは捨てないで生き抜いていったのです。それが「南無」だったのではないでしょうか。

いま、一番のお気に入りの曲、「Superfly - Ah。」
 悲しみの中から、立ち上がっていく市民のたくましさを感じています。





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by spanky2011th | 2011-07-30 11:19 | 世相 妄想随談(音楽付き)