悪魔の代理人

悪魔の代理人



   ジャコバン僧会も、この世にはじめて現れたときには 
   一見純な姿で登場した、この大団体は
   はじめはちょうど深い水が流れを作らず、
   ぐるぐる円を描いてまわっているようだった。
   はじめのうちはほんのすこししか望まず、
   すこしばかりの敷わらとか茎束とかわら束とか。
   神の御名において足で歩く貧乏人たちに説教した。
   だが足で歩くものたちに働かせるだけだった、
   こうして大金もうけて、僧侶も俗人もいっぱいかかえた、
   地を這う建物を壮大な宮殿に作りかえた。
           (ジャコバン僧会の物語)

 巨大な組織は、まるで生き物のようにふるまう。
 イエスという一人の宗教家の起こした波は、民衆の心に、神への信仰心をかきたてたが、やがて教会ができると、その教会は「穀物が凶作なのは信仰心が薄いからだ」とおどし、また「黒死病がはやったのは教会を裏切ろうとする者がいるからだ」とおどし、民衆の不幸を利用して、教会への布施を集めることに専念した。
 やがてその権力の甘い蜜に酔いしれた者たちは、イエスの心とは裏腹に、聖職者とは名ばかりで、腐敗し、権力争いにあけくれ、民衆を弾圧し、「魔女狩り」の名のもとで多くの民衆を殺しだした。
 一五五五年。ジョバンニ・ピエトロ・カラファという男が教皇の座につき、パウルス四世と名乗った。彼は、七十九才の老人であったが、年のわりには元気がよく、闊歩しては精力的に働いた。
「ルターの真似する奴はことごとく異端であり、破門すべきだ」
 彼が新教皇になる十年前には、あの宗教改革のマルチン・ルターは死んでいたが、彼が火をつけた宗教改革の炎はあちこちでくすぶり続けていた。
 三大発明の一つとされる印刷によって、ルターの本は広く読まれていたのだ。そして、ジョバンニはなんとか、その火を消そうと躍起になっていたのだ。
 トマス・アクティナを尊敬する彼は、骨の髄までガチガチのカトリックで、彼の考えるキリスト教から逸脱するものには、遠慮なく異端のレッテルを張り付けた。
「もし、あの男の母親が、将来こんな男になると思っていたら、生んだときにきっと奴の首をしめていたにちがいない」
 彼のお膝元のローマっ子たちがそういいあっているのを耳にしても、彼は動じなかった。
 かえって、
「やつらになにがわかる」
とパウルス四世はうそぶき、宗教的信念から、異端を排除し、自らの考えに従わせようとした。

 彼は狂信的で独善的であった。彼は、自分の考えのみが正しく、他人の意見に耳を傾けることができなかった。もし、そんな人物が現れようものなら、たちまちベスビオ火山のように突然噴火し、嗄れた声で口汚なくののしり、吠えまくり、そして、盲目的に服従を約束するまで許さなかった。
「神よ。あわれな子羊たちをお救いください。神の代わりに悪魔とその手下たちと私は戦っているのに、だれ一人、心から私の言葉に従おうとしません。かえって、あなたの教えに逆らい、あなたに弓を引こうとしています」
 彼は毎晩、ひとり、教皇室で祈りを捧げた。彼の信仰心はだれにも負けなかった。
 すると、どこからともなく、
「神に逆らうものは悪魔であり、その手下の魔女です。まだまだ、お前の努力は足りない。早く、やつらを取り除きなさい」
という声が聞こえてくる。彼の心の中からも知れなかった。
 彼は歴代教皇の中でも、珍しいほど信仰心が厚く、子どもの頃より、毎日毎日、熱心に祈りを捧げていた。
 その祈りが通じたのか、いつしか、神の声が聞えるようになっていたのだ。
 彼は神のために、老体に鞭を打ち、働きに働いた。
 リューマチで歩けないときでも、教皇庁の木曜会議には欠かさず出席し、そして、異端対策を練るのに余念がなかった。
 プロテスタントは当然として、彼は、民間に伝わる呪術(たとえそれが豊穣や病気克服を祈る素朴なものであっても)を行う者、さらには私通を犯した者、男色、役者、道化、四旬節に肉を食べた者、すべてを死刑にするように命令した。
 また、当然のように、イエスの裏切り者の末裔・ユダヤ人には、迫害を加えるように指示していた。
 やりすぎではないか、という声が枢磯卿の中から上がると、彼はどなり散らしたあとに、
「もし、いまここにイエスさまがいらっしゃったら、私と同じことをするはずだ」
 こう、確信に満ちた声で断言した。



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 しかし、彼がいくら努力しても、悪魔とその手先どもが増えることはあっても、いっこうに減ろうとしなかった。
 ある夜中、彼は、このことを苦にして神に祈りを捧げていた。そして、
「この世を神の下に置くためには、あらゆる権力を手にできる大神官になりなさい」
という神の声を、とうとう聞いてしまったのだ。
  一五五七年。彼は、自らが大神官、地上における「神の代理人」であることを宣言した。
 彼には歴史の流れがまるで見えていなかった。
 民衆の心は、彼から、そして教会からどんどん離れていこうとしていたのだ。
 彼には、ただ神の声だけがすべてで、そして、神の声を聞けるのは自分一人だと自認していた。事実、彼は毎晩、神の声を聞いていたのだから。
 一五五九年の初頭。イギリスから大使が、面会をもとめてやってきた。彼は数時間待たされて、ようやく教皇と会うことができた。
「エリザベス・チューダーが新しくイギリス王位を引き継ぐことになりました」
 大使の言葉を聞いたパウルス四世は、怒りを爆発させた。
 彼は、神学的な信念から、どうしても女性が国王になるということが許せなかったのだ。
 女は男のできそこないと述べているトマス・アクティナを心より尊敬している彼は、彼は女性を軽蔑しているだけでなく、憎しみに近い気持ちを抱いていた。
 まして、一番目の妻に生ませた子供以外はすべて私生児と考えていた彼には、それは絶対に許せなかったのだ。
「イギリスはわしの領土だ。それを、あの私生児の小娘がかってに統治しようなどとは、けしからん。地獄に落ちろ、異端者めが!」
 体を震わせて、火を吐くように罵りだした教皇に、大使は声も出せなかった。
 大使は、
「わかりました」
と、命令に服従したそぶりで退出すると、彼は一目散でイギリスへ戻った。
 そして、教皇のはげしい怒りのありさまを新しい国王に告げた。
 エリザベス王女は悲しい顔をした。彼女はヘンリー八世の二番目の妻の娘で、それはキリスト教の考えでは私生児だったのだ。
 屈辱感にまみれた彼女は、ただちにローマとの外交関係を絶ってしまった。
「イギリスは魔女の手先に奪われてしまいました」
 パウルス四世は、教皇室で神に報告した。
「お前は究極の権力を持っているのです。ただちに、イギリスにそのことを教えてやらなくてはいけません」
 神の声に、彼は、どの国に、イギリス征伐をさせようか、と考えた。そして、破門されるのを恐れて、彼に命じられた国が、いやいや征伐に出掛けようとしていた矢先のことだった。
 彼は突然倒れた。いよいよ天国へ行くときがきたのだ。かれは、人生のすべてを神に捧げたことを思うと、なんともいえない満足感が込み上げて来た。
 彼には心残りはなかった。唯一やりのこしたことを除いては。
 彼は異端審問官を部屋に招き入れた。
「私は神のもとへいきます」
 怒りっぽく、人の話しに耳を貸さない彼が、はじめて、人間らしい表情をして、話しはじめた。そして、異端たちを厳しく取り締まり、この世から悪魔とその手先を退治するように、命じると、
「私は疲れました。独りにしてください」
と、いった。
 彼は部屋に一人になると、神に祈りを捧げた。
「神よ。あなたの御元へ行きます。どうぞ、お導きください」
 彼は一心に祈ったが、珍しく、神からの声は聞こえなかった。彼が少し不安になってきたとき、一人の天使が現れた。天使は疲れているらしく、背中の羽根は破れていた。
 天使はパウルス四世に微笑むと、彼の手をとった。そして、立ち上がらせて、どこかへ連れて行こうした。
 死の床にあった彼は、天使の足元を見て、ギョッとした。そこには、悪魔の証しであるヤギのひずめがあったのだ。
「悪魔よ。ここは、お前がいる場所ではない。ただちに、立ち去れ!」
 パウルス四世は、すごい勢いで悪魔をどなりつけた。が、相手は、教皇の怒りになにひとつ動じることなく、
「わたしは悪魔ではありません。さあ、神の御元へまいりましょう」
という。
 彼はこの時、すべてを悟った。そして、あまりの恐ろしさに、天をつかもうとするかのように、手を天井に突き出した姿で、息を引き取ってしまった。
 彼が最後に聞いた声は、祈りを捧げたときに、彼がしばしば聞いていた声だったのだ。
  パウルス四世の死を知ったローマっ子たちは、自分たちを苦しめ、そして、自分たちの肉親や隣人を奪い去った異端審問の建物に徒党をくんで押し掛け、そして、火をつけた。
「やつを倒せ」
「やつを八つ裂きにしろ」
 民衆は、次に、カピトリーノの丘にむかった。そこには、上背はあるが、貧相で、禿頭のパウルス四世の彫刻が立っていたのだ。
 唾を吐き掛け、棒をふるってその首をたたきおり、その首をサッカーのように蹴り回し、そして、テベレ川に叩き込んでしまった。
 教皇の不人気は知っていたが、これほどとは思っていなかった教皇庁はあわてた。
 衛兵を集め、教皇庁の回りを警備させ、固く門を閉じてしまった。そして、民衆の怒りが鎮まるのを、ただひたすら待ち続けた。
 パウルス四世の遺体は、八月十九日、ひっそりとサン・ピエトロ寺院の地下室に埋葬された。聖者のひとりとして……。
                            おわり


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by spanky2011th | 2011-07-30 21:44 | 童話 私の短編