「わたしと風評被害と放射能不感症」

「わたしと風評被害と放射能不感症」 


 女房曰く「福島の人は可哀想。テレビに映る映像見ていると、あまり被害が深刻そうに思えないんだもの。」と。
「いくら、マスクをしていても、その向こうに見える風景は、緑豊かで、空気も澄んでで、東京よりもずっと住みやすそうなんだもの。津波で壊滅した町と比べて、大変そうに思えないんだもの。東京から見ていると、福島のお母さん方が神経質すぎるように映ってしまうんだもの。」と。
 女房が放射能の恐ろしさを知らないわけではない。私は見てないが、単館でやっていたチャルノブイリの原発事故の映画を友人と見に行っているくらいだから。
 女房曰く「チェルノブイリもそうだったけど、自然がきれいなのよね。故郷で暮らしたくなるのも判る気がする。」と。
 
 見慣れてしまうと、感覚的に風化してしまう。頭では放射能の恐ろしさは判っていても、慣れてしまうのだ。神経が麻痺して、怖くなくなるのだ。深刻に感じなくなるのだ。ある意味、放射能よりも恐ろしいのは、この放射能不感症ではないのか。 
 私たちは、これを警戒しなくてはいけない。
 広島に落とされた原爆の20倍の放射能が日本中にばらまかれたというのに、現在も進行形であるというのに、相手が「見えない・匂わない・味がない」敵であるために、等身大で警戒することができないのだ。
 怖い、怖いといくらいわれても、私たちが目にし耳にするのは「**ベクトル」というような数値化されたデータでしかないのだから。つくづく厄介なものだと思う。

 フクシマの風刺詩を作りました。元にしたのは金子みすゞさんの詩「お魚」です。 

 「フクシマ」

 フクシマの物はかわいそう。

 お米がフクシマでつくられる、
 牛も牧場で飼われてる、
 魚も海にはたくさんいる。

 でも、フクシマ産のものは、
 電気以外はいりません。
 見えないあいつが怖いので
 安全確認されるまで、
 トウキョーには一歩もはいれません。

 安全確認されてはいってきても、
 南の物を買うでしょう。

 ほんとうにフクシマの物はかわいそう。




 大震災で国民的詩人となった「金子みすゞ」さんの詩が曲になっています。完全に忘れられていた詩人なのに、ある熱烈なファンが執念で発掘し、世に出し、そして、国民的な詩人となってしまう。不思議なものを感じます。宮沢賢治の同じ道をたどりだしています。

わたしと小鳥と鈴と




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by spanky2011th | 2011-08-06 09:19 | 世相 妄想随談