吾輩はウナギである(ウナギ文)

この文型1Aはとにかくやっかいである。

1 猫がウナギになる怪奇

 「吾輩は猫である」の猫が料亭にいき、注文を取りにきた仲居さんに、
「吾輩はウナギだ」
と、えらそうにいったとする。
 猫がいきなりウナギに変身したとも思わずに、ウナギの霊が猫に取り憑いて自己紹介を始めたとも思わずに、仲井さんは、間違えることなくウナギ料理を持ってくる。
 これは、いわゆる文脈(もしくはTPO)の中で、「吾輩はウナギが食べたい」「吾輩はウナギ料理を注文する」と、まちがえることなく、仲居さんが判断しているからだ。

 ちなみに、「吾輩はウナギだ」という文章を、文法の研究者は「ウナギ文」と呼び、ド真面目に研究しているのだ。
 どんな風に説明しているのか、興味があったので、インターネットの検索エンジン「google」でググッ(google)てみたら、国語研究家の論文が出てきた。読んでみると、こんなふうに説明がされていた。

(沖津説 1978)「吾輩は ウナギが 食べたい」→「吾輩はウナギだ」
(北原説 1981)「吾輩が食べたいのはウナギである」→「吾輩はウナギだ」
(川本説 1976)「吾輩は注文がウナギである」 →「吾輩はウナギだ」

と、いずれも、自立語部分が省略されたものと、考えているらしい。自分の意志や感情を相手に伝える道具として言語があるわけだから、不要なところはどんどん省略していいのだ、筆者も思う。
 が、実際は、「吾輩は ウナギが 食べたい」などという正しい文章を頭に思い浮かべてから、「ここを省略して……」などといちいち考えていない。
 省略されている自立語部分が頭に浮かぶこともないはずだ.「ウナギ」だけですませたいところを、これじゃ、ぶっきらぼうすぎて失礼だと思い、「吾輩はウナギである」と言葉を増やしているくらいなのだ。
 注文を取りにきている状況下で、
「 は  (だ・である)」というパターン(文型)で伝達し、相手もパターンで認識しているのでないか、と筆者は考えている。
 「吾輩の話ですよー」と主題を示し、注文を取りにきていると言う共通認識があるから、そこは省略し、「ウナギだ」と述部を述べているだけなのだ。
 「日本語は曖昧で非論理的言語である論者」は、しばしば、レストランでつかわれる「私はカレー」「私はオムライス」を取り上げ、「だから日本語はダメなのだ」とのたまうが、この変幻自在さの面白さに気付かない頭のかたさには、困ったものだ。「彼女はいまトイレです」が、「彼女がトイレの便器に変身中」でないことはいうまでもない。

2 猫が犬になる怪奇
 さて、猫が食事をしているところへ、「鬼平犯科帳」の長谷川平蔵がふらりと現れたとしよう。池波正太郎風に書こう。

「おっ、うまそうなウナギだな。おい、親父、わしにも同じのをくれ。お銚子1本、御猪口2つもな」
 猫の隣に座った平蔵は、猪口に酒を注ぐと、猫に差し出す。
「うむ」
 猫は偉そうに受け取ると、黙って飲み干す。じっくりと味をあじわい、それから、どこそこの酒はうまい。あそこの蕎麦は絶品だ、と、味を思い出しているのか、ゆっくりとうまそうに話す。
 平蔵もつられて、だれそれが作る桜飯をぜひ食わせたい。汚い店だが、うまい深川丼をだす店があること、などなど楽し気に話しだす。
 1本のつもりだった酒が、2本になり、3本へ……。
 江戸を荒し回っていた盗賊団が平蔵により一網打尽にされたのは、それから半月後のことである。
 縄をかけられた盗賊のお頭は、手下たちをながめまわし、
「わしらを売ったイヌは、だれだ」
と、憎々し気に怒鳴った。
 そこへ、漱石の猫が現れ、こういった。
「イヌは吾輩である」

 と、ここで「吾輩は猫である」の文型の話に戻ることにする。猫がイヌに変身したわけでもなく、イヌの霊が取り憑いたわけでもなく、「吾輩はイヌが食べたい」の省略した形でもない。
 「回し者・スパイ」の比喩として使われているのは、文脈から明らかだ。
 大事なのは、文脈である。そして、語順も、それで決まると思えばいい。
 盗賊の頭が「わしらを売ったイヌは、だれだ」と問うので、猫は「イヌは吾輩である」と答えたのだ。
 平蔵が盗賊を捕縛するために猫に「密偵になってくれ」と頼み込んだ時、猫は「吾輩がイヌであるか」と聞き返したはずだ。
 この比喩は文型1でしばしば使われる。「目が節穴だ」「やつはうどの大木」「彼女はカナヅチ」「お腹がビア樽だ」「脳みそも筋肉でできている」……どうも悪口に多いような気がする。

 この「ウナギ文」の親戚関係にある文として、「コンニャク文」というのがある。

「コンニャクは太らない」


 もちろん、コンニャクが太っていく訳ではない。「コンニャクはいくら食べても、食べた人は太らない」という意味だ。
 これも、同じ構造だ。これは、食べ物と太る関係を述べている文脈の中では、ごく当たり前に使われる。
 「コンニャクの話ですよー」と主題を示し、食べ物と太る関係を述べている共通認識があるから、そこは省略し、「太らない」と述部を述べているだけなのだ。
 日本語はパーツ・パーツを組み合わせての帰納法的にできているのではなく、この大きな構造が大事なのだ。文脈、文型と「てにをは」で作られたスペースに自立語が放り込まれる。ただ、それだけなのだ。



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by spanky2011th | 2011-08-11 16:17 | 日本語  基本の3文型