ふかひれスープのぼうけん(1)

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 絵かきの藤壺さんは、ほんとうはお金持ちの一人むすこなのですが、どう見ても、そうは見えません。
 なぜならば、かみの毛はモシャモシャで、ビッシリあごひげをはやし、着ているものはカーテンの真ん中をくりぬいて作ったもの。
 当人は、このきみょうな服をインドのサリー(布をからだにまきつける服)だといいはっていますが、やはりカーテンはカーテンです。
 そして、青果市場でもらった台車に、絵の具やキャンバス、絵筆、ねぶくろ、まくら、水とう、おなべ、おさら、フォーク、スプーン、マグカップなどを積みこんで、森下市のあちこちをガラガラ押しながら、絵をえがいているからです。
 海に面した森下市。その高台にある高級住宅地を歩いていて、おしゃれな白フェンスで囲まれた、ひときわ目立つやしきがあったら、そこが藤壺さんの家です。
 このやしきの主が藤壺さんなのですが、藤壺さんは、家のことは執事の床伏さんにまかせっきりで、自分は、かって気ままに、森下市をほっつき歩き、好きな絵をかいているのです。
 ポカポカ、ついねむくなってしまう、春のある日のことです。
「ぼっちゃん、ぼっちゃん」
 お気に入りの公園のベンチにねっころがっていた藤壺さんは、聞きおぼえのある声で目をさましました。
 あたりを見回しましたが、どこにも、床伏さんのすがたがないので、
「なんだあ、ゆめか。それにしても、ふわ~あ。いい天気だなあ~」
と、大あくびをしました。
 空にうかぶ白い雲をスケッチブックにえがいてたら、ついウトウトしてしまっていたのです。
「ぼっちゃん、ぼっちゃん」
 はじめは空耳かと思いましたが、たしかに、小さいころから聞きなれた床伏さんの声です。
「じい、ここですよ~」
 モシャモシャのひげをひっぱりながら、ねっころがったまま、藤壺さんは大きな声でよびました。すると、
「ぼっちゃん、ぼっちゃん」
といいながら、黒いモーニングすがたの床伏さんが、公園の植え込みのあいだから、あらわれました。モーニングの下には、バリバリにのりをきかせた白ワイシャツに、黒のチョウネクタイをしめています。イギリス風に、ワイシャツのえりは、ピンと立たせています。
 床伏さんは、藤壺さんのすがたを見つけると、
「ぼっちゃん!」
 ひときわ大きな声をあげ、藤壺さんのベンチめがけて、つっ走ってきました。
「じい、あわてて、どうしたのですか」
 藤壺さんは、ベンチからからだを起こすと、大きくのびをしました。
 藤壺さんといつもいっしょに行動している愛犬ボランも、ベンチの下からはいだしてきて、四本の足でふんばると、背中をきゅうっとのばしました。
「東京のびじゅつかんから、さいそくの電話がありましたよ。ぼっちゃん、絵のほうはできましたか」
 床伏さんは、ポケットから真っ白のハンカチを出すと、藤壺さんの顔のよごれを、ふきだしました。
 藤壺さんは、てんらん会に絵を出すよう、びじゅつかんから、たのまれていたのです。そのしめきりが、もうすぐなのです。
「いま、考えているところなんですけど、なかなか、声が聞こえてこないのですよ」
 藤壺さんが、夜、公園や橋の下でねたりするのも、いつ、どんなところで、風景が「わたしをえがいてください」といってくるか、わからないからです。
 朝、太陽が公園のむこうにのぼってくるときに、風景が「わたしをえがいてください」といってきたときもあるし、夜、川岸を歩いていたら、月のかかった桜の木が「わたしをかいてください」といってきたときもあります。
「ぼっちゃん、とにかく、今夜は、やしきにもどって、おふろにおはいりください。もう、五日もおふろにはいっていないのではないですか」
 床伏さんは、こんどは、藤壺さんの首のうしろをふきだしています。
「そうですね。今夜は、帰ることにします。ですから、じいお得意の、コーンにひき肉とニンニクをたっぷりいれたスープを作っておいてください」
「わかりました。ぼっちゃん、たっぷり作っておきますから、かならず、夕飯の時間にはお帰りください」
 床伏さんは、ハンカチで藤壺さんの耳のうらをふきおえると、藤壺さんのそうじに満足したらしく、うなずきました。
「では、じいは、これから、デパートに買い物にいきます。ボラン、しっかり、ご主人さまのお供をするのですよ」
 ボランの頭を軽くポンポンとたたくと、足早にいってしまいました。
 藤壺さんは、またベンチにねっころがり、青空にうかぶ雲をながめだしました。
 真っ白い雲が、なにか話しかけてこないかと、耳をすましていたら、とつぜん、藤壺さんの口から、こんなことばがでてきました。
「あ~あ。ふかひれスープがのみたいなあ~」
 藤壺さんは、自分の口からとびだしたことばに、びっくりしてしまいました。
 なんで、きゅうにそんなことを思ったのか、ちっともわかりません。
 床伏さんにたのんだスープから、ふかひれスープを連想したような気もしますし、白い雲から、ふかひれスープを連想したような気もします。
 藤壺さんの目には、真っ白いおさらに盛られたふかひれスープが真っ白いゆげをたてているところが、しっかりと見えていました。
 つばをゴクリとのみこむと、
「よし、安光さんのところへいってみよう」
 藤壺さんは、ベンチからおきあがり、荷物をのせた台車をおしはじめました。向かうのは、おさななじみの安光さんの家です。

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by spanky2011th | 2011-08-11 18:22 | 長編童話 ふかひれスープの冒険