陳述構文について(3)

 いまは、仕事を変えて、時間が取れなくなってしまったが、なんとか、日本語についてのこのコーナーも書き続けていきたい。
 仕事仲間が、「日本語は独特で、むずかしい」としゃべっているのを耳にした。俗説である。誰が言い出したかわからないが、「日本語は、よその国の言語と比較して独特であり、むずかしい」と信じている人が多いようだ。新書「日本辺境論」にもあるが、どうも、日本人は日本の文化を独特であると信じ込みたがっているようだ。
 よその言語が独特であるのと同様に、日本語の言語は独特であるが、それ以上でも、それ以下でもない。
日本語は、「主語+動詞+目的語」というような語順で意味を伝達する言語ではなく、「てにをは」と呼ばれる助詞を膠として、言葉をくっつけていく言語である。
 わたしたちが日常接する多くは、英語圏の人々であり、または中国語圏の人々である。語順で意味を伝える人々であって、孤立語の言語体系の人々が、膠着語の日本語を学ぼうとすると、とても苦労するのだ。
 たとえば、中国の人に、「日本語と英語のどちらが、マスターするのに苦労するか」と聞いてみよう。まず、まちがいなく日本語と答えるだろう。脳が、孤立語仕様になっているのだから当然なのだ。
 逆に、脳が膠着語仕様の日本人が、英語をマスターするのに苦労するのも、当たり前なのだ。だったら、中国語も当然、苦労するはずだと思うだろうが、日本語は、卑弥呼の時代よりも前から、漢文を読み下すために、いろいろと苦労してきた。「てにをは」そのものが、そのために生まれたようなものだ。つまり、漢文は読み下せても、中国語の会話は苦手。

 さて、陳述構文だが、「きのう、お寺で、坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いた」が基本であると述べた。そして、その応用として、
「日本の国宝とも呼べるすばらしい坊主の絵を、きのう、お寺で、坊主が屏風にすばやく描いた。」
「完全密室殺人事件が起きた昨夜、坊主である彼は、お寺で、屏風に上手に坊主の絵を描いていた。だから、彼にはアリバイ があるのだ。」


の文を例文として作ってみた。
 
「きのう(名詞・自立語)、お寺(名詞・自立語)で、坊主(名詞・自立語)が屏風(名詞・自立語)に上手に(副詞・自立語)坊主(名詞・自立語)の絵(名詞・自立語)を描いた(動詞・自立語)」
 助詞が膠の役目をしているのがよくわかるだろう。「きのう」の後の読点「、」も助詞の働きをしている。「お正月にぼくはお餅を食べる」の「に」と同じ働きをしているのだ。
 自立語とはその言葉だけで意味をなすもので、「で・が・に・の・を」といった助詞は付属語と呼ばれている。
 試しに、辞書でも、子供の教科書でもいいから、文法のところを見てもらいたい。付属語として、小さくしか、扱われていない。
 が、実は、日本語では、付属語の方が重要な働きをしている。それにしても、付属語などと名前を初めに付けてしまったがために、後々の人が苦労しなくてはならないのだ。助詞は重要ではないという、勘違いの原因になっている。
 中学、高校のときの文法の授業を思い出してもらいたい。品詞分解ばかりで、助詞の重要さを学んだ記憶はないはずだ。教えている方も、その重要さに気づいていないみたいだ。また、気づいていても、学校の先生方は、マニュアルから逸脱することを禁じられているから、教えたくても教えられないでいる。

 陳述構文の語順だが、
「時格 + 場所 格 + 主格 + 与格 + 対格 + 動詞」
が基本である。これをベースにして、さまざまな変形が作れるのだ。そのときに活躍するのは主題を作る「は」である。この「は」は、「なになにの話ですよー」という、話題の提示である。

きのうは、お寺で、坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いた。
お寺では、きのう、坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いた 。
屏風には、きのう、お寺で、坊主が上手に坊主の絵を描いた。
坊主の絵(を)は、きのう、お寺で、坊主が屏風に上手に絵を描いた。


という具合だ。

 さらに、「お寺」「坊主」「屏風」「坊主の絵」といった名詞には、その前に、詳細な描写や説明としての「形容詞」や「名詞修飾文」といったものをつけることができる。文法的にはそんなことばはないが「飾り」と、以後呼ぶことにする。
 たとえとして、「屏風」に「飾り」をつけてみよう。左甚五郎が出てくる落語が個人的に好きだから、「左甚五郎が名人芸を発揮して作り上げた」という文で「飾り」としてみよう。

きのう、お寺で、坊主が左甚五郎が名人芸を発揮して作り上げた屏風に上手に坊主の絵を描いた。

「坊主が左甚五郎が」が「ガガ」となって、読みにくい。歌手の「ガガ」は素敵だが、日本語の「ガガ」は、さけなくてはならない。
 このような場合、長い部分を前に持っていく。事実、そこらへんにある文章を、適当に読んでみてもらいたい。多くの場合、そうなっているはずだ。

左甚五郎が名人芸を発揮して作り上げた屏風に、きのう、お寺で、坊主が上手に坊主の絵を描いた。

というように並べ替えればいいのだ。
 もっと「飾り」をつけてみよう。その屏風に「総檜作りの木枠に、こうぞを原料にした和紙を貼付けた」をくっつけてみよう。

左甚五郎が名人芸を発揮して作り上げた、総檜作りの木枠に、こうぞを原料にした和紙を貼付けた屏風に、きのう、お寺で、坊主が上手に坊主の絵を描いた。

というように、「屏風」にふたつの「飾り」をつけることも簡単にできてしまう。
 
「来週、新幹線で、ぼく達は、東京から京都へ修学旅行に行く」という文章があるとしよう。
この場合、一番大切なのは、助詞であるのは言うまでもないが、次に大切なのは「動詞」である。動詞が「行く」だから、「から」「へ」「に」という助詞が導きだされると言ってもいいだろうう。
 動詞により、必要な助詞が決まってくるといってもいいだろう。
 日本語の陳述構文とは、動詞に、「てにをは」という膠で、さまざまな自立語をくっつけて意味を相手に伝達する言語といっていいだろう。


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by spanky2011th | 2011-12-06 18:32 | 日本語  基本の3文型