第一章 スコールの中で(1)
約210枚の子供向け作品です。福島原発後の格差社会を舞台にしました。A小学生新聞の公募に出したものですが、審査員の目には留まらなかったみたいなので、ここで、少しずつ公開していきたいと思っています。どうしても書きたくて、夢中になって書きました。いま、いまの子供たちに読んでもらいたい。そんな気持ちでいっぱいです。
ファミッコ伝説
第一章 スコールの中で(1)
日本だけではなく、世界中がどこか変だ。
目の前の、バケツをひっくり返したような豪雨を見ながら、拓也はそう思った。
マンション入口のひさしの下にかくれても、吹き込む風で、服もズボンもびしょびしょになり、スニーカーもぐっしょりと重くなっている。
いまは夏休み。とうぜん、夕立が起きてもふしぎでない季節だが、こんなすごい夕立は、いままで体験したことがない。
バリバリ、ドカーン。
かみなりも落ちてくる。あまりに近いので、こわいくらいだ。
とつぜんの大雨に、拓也同様に逃げ込んできた男の人が、携帯電話で、
「夕立なんてものじゃないんだ。そっちは降ってないの?」
と話している。
たぶん、会社に電話をしているのだろう。
「いつから、日本は熱帯地方になったんだ。これじゃあ、スコールだよ。傘があっても、出られないんだ」
と、なげいている。男の人のズボンも革靴もぬれている。
いつやむのかわからない雨を、拓也は呪いたくなった。
アスファルトの上を、雨水が流れている。そして、道のすみにある側溝へ流れ込んでいるが、すでに側溝は水があふれ、川のようになっている。
なにかが変だ。どこかが狂っている。
地球温暖化のせい?
環境破壊のせい?
でも、それとはちがう何かがあるような気がする。
バリバリ、ドカーン。バリバリ。
東日本大震災が原因で、福島の原子力発電所が大事故を起こしてしまい、それで、すごい量の放射能が日本のあちこちにばらまかれてしまった。
日本はどうなるのだろうか?
ぼくたちの未来はどんな風になるのだろうか?
ぼくたちは、ぶじに、生きていけるのだろうか?
不安ばかりだ。
希望を捨ててはいけない。未来は自分たちの手で築いていくものだ、と、大人たちはいろいろという。
でも、次から次へと、むずかしい問題を作り上げ、その後始末を自分たちに押しつけてきているのは、当の大人たちではないか。
そう思うと、拓也は、バカバカしくなってくる。
「やってられないよな」
放射能一つにしても、もう安全だという人もいれば、まだまだ安全ではないという人もいる。拓也には、どっちを信じたらいいのか、まったくわからない。
とにかく、大人はズルイと思う。自分たちはいいかげんなことをしておいて、後始末は、全部ぼくたち子供に押しつけてくるのだから。
それでいて、自分たちは、のうのうと暮らしていこうとしているのだから。
こんなことを考えていると、真面目に生きていくのが、イヤになってくる。
ズルをしてでも、楽に、いい思いをして、生きていきたくなる。
拓也は、普通いわれる意味での頭のいい子ではないが、バカな子供でもなかった。
ただちがうのは、自分が納得できるまで、とことん考え込んでしまうくせがある点だ。
拓也は来年、名門と呼ばれる都立一貫校を受けるつもりでいる。半分は自分の意志だけど、もう半分は親の意向だ。
それで、受験対策のテキストを六年生になってから、コツコツとやりはじめた。大半の同級生が進学塾に通っているが、拓也は塾に通わせてもらっていない。
以前は通っていたのだけど、通信教育の方が安いから、いまはそれだけだ。
拓也が受けようと思っている中学校の入試は、いわゆる暗記ものが少なくて、考えさせる問題を出すところで、出された資料を読んで、どう考えるか、を書くのが中心になっている。
テキストを自力でやっていて、模範解答のような答えを書こうとは思うのだが、こんな性格だから、
(ホントにそうなのかな?)
とか、
(ちょっと、変だなあ)
と、次から次へと疑問が広がっていき、どうもうまく書けない。
(「リア塾」に通っている子たちは、そこら辺のコツもしっかり、教わっているんだろうな。
多分、来年の受験は、失敗するんだろうな。
まあ、ダメでも、みんなと同じ区立の中学へ行くことになるだけだから、ちっともかまわないけど……)
拓也は、まあ、それはそれでもいいかな、と思っている。
半分は強気で、半分はウソだった。
豪雨を見ていたら、ふっと、
(恵みの雨……)
ということばが、頭に浮かんできた。
いま降っているこの雨が、東北から関東にばらまかれた放射能を、地表から全部洗い流してくれているような気がした。
そう思うと少しは気が楽になる。
この都会の地下深くの、どこか一カ所へ、放射能は集まっていき、そこにある大きな森がきれいな砂にかえている……。
そんな、うれしい考えが浮かんできた。そう、ナウシカの「腐海の森」がそうだったように。
でも、そんなに都合良く、この世界ができているはずがない。
それとも逆に、地下のどこかに集まった放射能のすぐそばには、ミミズやモグラやゴキブリがいて、ゴジラのようなとんでもない怪獣に育てている最中なのかもしれない。
拓也には、想像の翼を広げてしまうくせがあった。
当たり前だが、そのくせを、自分では変だとは思っていない。
「拓也くんは、本当は頭がいいのに、それを勉強に向けようとしないのね。
ときどき、ぼーっとしているけど、自分の考えに夢中になりすぎているみたいね。
そのくせをなくして、ケアレスミスをなくせば、もっと成績は上がるはずよ」
と、いまの担任の先生にいわれたことがある。
「いくら、社会をよくしようとしても、どうせ、世の中、変わらないのだから、考えるだけ、ムダだよ」
とも、同級生にいわれたこともある。
(きっと、いまの時代、ぼくみたいなやつは、ムダ飯食いの役立たずなんだろうな)
考え込んだり、あちこちに想像の翼を広げること自体が変なのだろう、と思うことにしている。
そうは思っても、この想像ぐせは、自分ではどうしようもない。
ファミッコ伝説
第一章 スコールの中で(1)
日本だけではなく、世界中がどこか変だ。
目の前の、バケツをひっくり返したような豪雨を見ながら、拓也はそう思った。
マンション入口のひさしの下にかくれても、吹き込む風で、服もズボンもびしょびしょになり、スニーカーもぐっしょりと重くなっている。
いまは夏休み。とうぜん、夕立が起きてもふしぎでない季節だが、こんなすごい夕立は、いままで体験したことがない。
バリバリ、ドカーン。
かみなりも落ちてくる。あまりに近いので、こわいくらいだ。
とつぜんの大雨に、拓也同様に逃げ込んできた男の人が、携帯電話で、
「夕立なんてものじゃないんだ。そっちは降ってないの?」
と話している。
たぶん、会社に電話をしているのだろう。
「いつから、日本は熱帯地方になったんだ。これじゃあ、スコールだよ。傘があっても、出られないんだ」
と、なげいている。男の人のズボンも革靴もぬれている。
いつやむのかわからない雨を、拓也は呪いたくなった。
アスファルトの上を、雨水が流れている。そして、道のすみにある側溝へ流れ込んでいるが、すでに側溝は水があふれ、川のようになっている。
なにかが変だ。どこかが狂っている。
地球温暖化のせい?
環境破壊のせい?
でも、それとはちがう何かがあるような気がする。
バリバリ、ドカーン。バリバリ。
東日本大震災が原因で、福島の原子力発電所が大事故を起こしてしまい、それで、すごい量の放射能が日本のあちこちにばらまかれてしまった。
日本はどうなるのだろうか?
ぼくたちの未来はどんな風になるのだろうか?
ぼくたちは、ぶじに、生きていけるのだろうか?
不安ばかりだ。
希望を捨ててはいけない。未来は自分たちの手で築いていくものだ、と、大人たちはいろいろという。
でも、次から次へと、むずかしい問題を作り上げ、その後始末を自分たちに押しつけてきているのは、当の大人たちではないか。
そう思うと、拓也は、バカバカしくなってくる。
「やってられないよな」
放射能一つにしても、もう安全だという人もいれば、まだまだ安全ではないという人もいる。拓也には、どっちを信じたらいいのか、まったくわからない。
とにかく、大人はズルイと思う。自分たちはいいかげんなことをしておいて、後始末は、全部ぼくたち子供に押しつけてくるのだから。
それでいて、自分たちは、のうのうと暮らしていこうとしているのだから。
こんなことを考えていると、真面目に生きていくのが、イヤになってくる。
ズルをしてでも、楽に、いい思いをして、生きていきたくなる。
拓也は、普通いわれる意味での頭のいい子ではないが、バカな子供でもなかった。
ただちがうのは、自分が納得できるまで、とことん考え込んでしまうくせがある点だ。
拓也は来年、名門と呼ばれる都立一貫校を受けるつもりでいる。半分は自分の意志だけど、もう半分は親の意向だ。
それで、受験対策のテキストを六年生になってから、コツコツとやりはじめた。大半の同級生が進学塾に通っているが、拓也は塾に通わせてもらっていない。
以前は通っていたのだけど、通信教育の方が安いから、いまはそれだけだ。
拓也が受けようと思っている中学校の入試は、いわゆる暗記ものが少なくて、考えさせる問題を出すところで、出された資料を読んで、どう考えるか、を書くのが中心になっている。
テキストを自力でやっていて、模範解答のような答えを書こうとは思うのだが、こんな性格だから、
(ホントにそうなのかな?)
とか、
(ちょっと、変だなあ)
と、次から次へと疑問が広がっていき、どうもうまく書けない。
(「リア塾」に通っている子たちは、そこら辺のコツもしっかり、教わっているんだろうな。
多分、来年の受験は、失敗するんだろうな。
まあ、ダメでも、みんなと同じ区立の中学へ行くことになるだけだから、ちっともかまわないけど……)
拓也は、まあ、それはそれでもいいかな、と思っている。
半分は強気で、半分はウソだった。
豪雨を見ていたら、ふっと、
(恵みの雨……)
ということばが、頭に浮かんできた。
いま降っているこの雨が、東北から関東にばらまかれた放射能を、地表から全部洗い流してくれているような気がした。
そう思うと少しは気が楽になる。
この都会の地下深くの、どこか一カ所へ、放射能は集まっていき、そこにある大きな森がきれいな砂にかえている……。
そんな、うれしい考えが浮かんできた。そう、ナウシカの「腐海の森」がそうだったように。
でも、そんなに都合良く、この世界ができているはずがない。
それとも逆に、地下のどこかに集まった放射能のすぐそばには、ミミズやモグラやゴキブリがいて、ゴジラのようなとんでもない怪獣に育てている最中なのかもしれない。
拓也には、想像の翼を広げてしまうくせがあった。
当たり前だが、そのくせを、自分では変だとは思っていない。
「拓也くんは、本当は頭がいいのに、それを勉強に向けようとしないのね。
ときどき、ぼーっとしているけど、自分の考えに夢中になりすぎているみたいね。
そのくせをなくして、ケアレスミスをなくせば、もっと成績は上がるはずよ」
と、いまの担任の先生にいわれたことがある。
「いくら、社会をよくしようとしても、どうせ、世の中、変わらないのだから、考えるだけ、ムダだよ」
とも、同級生にいわれたこともある。
(きっと、いまの時代、ぼくみたいなやつは、ムダ飯食いの役立たずなんだろうな)
考え込んだり、あちこちに想像の翼を広げること自体が変なのだろう、と思うことにしている。
そうは思っても、この想像ぐせは、自分ではどうしようもない。
by spanky2011th | 2012-03-30 16:25 | 長編児童文学 ファミッ子伝説