カテゴリ:世相 妄想随談(音楽付き)( 19 )

地政学   オリンピックで「狂気」がきけるとは

 ロンドンオリンピックの開会式・閉会式は、非常に面白く、皮肉たっぷりで、イギリスの長い歴史が感じられた。格差社会という現実も、あからさまに世界へ見せてしまって、恥じないところが大人だと思った。クラッシュの「ロンドンで暴動が起きてますよ」という歌詞内容の「ロンドン・コーリング」が使わていたり、王室をメチャクチャ貶すセックス・ピストル「コッド・セイブ・ザ・クイーン」が使われていたり、と見るものの想像力に訴えかけるものが多かった。

  ご存知のように、大英帝国の繁栄は、貿易力によるものである。
 ビートルズの生まれた町リヴァプールは、18世紀頃より、貿易で栄えた港町であった。そこを拠点に、産業革命で作られた製品や武器を、船に乗せて海外へ輸出した。行き先はさまざまだが、その取引先の一つに、アフリカがある。アフリカでは、主導権争いしている部族に武器を売る。そして、その部族が捕まえた人質を代金としてうけとり、アメリカなどへ運んでいき奴隷として売りさばき、そしてトウモロコシなどを積んでイギリスへ戻っていく。もちろん、こんな単純なものではないが、こういう図式の上に、アフリカ、アジアなどは植民地化され、大英帝国は築かれていったのである。
 その大英帝国の取引先の一つとして、中国がある。中国は、イギリスから買いたいものがほとんどなかった。イギリスは、そこで、インドで栽培したアヘンを売ることにした。それがアヘン戦争へつながっていくのである。

 アメリカの海軍士官で、マハーンという人物がいた。彼は、イギリスの繁栄の理由を研究し、海の支配権こそ、大英帝国の土台であることを見抜いた。「海洋型地政学」の誕生である。
 「海洋型地政学」と対をなすもので「大陸型地政学」というものがある。ナチスのヒトラーは、ハートランドを支配するものがヨーロッパを制するという考えで、フランスやポーランドなどを支配下に置こうとした。「大陸型地政学」である。

 モンロー主義を捨て、第二次世界大戦後、海洋国家アメリカは、「海洋型地政学」をとっている。
 
 地政学は、あくまでも戦争の学問の要素が強い。いま、話題となっている尖閣諸島、竹島問題も、この地政学的な観点から考え出し、国益という考え方をしだすと、どうしてもたどり着いてしまう答えは一つになる。軍隊で守るという発想だ。人類が、戦争をなくそうとして、なくせない理由はここにある。
 これが単なる島の問題ではなく、二百海里という排他的経済区域の問題が出てきて、さらに、そこを艦隊が通れるかどうかという問題になっていく。

 中国に味方するつもりはない。が、中国が軍事大国化しているというが、一度、中国の視点から、物事を考えてもらいたい。アメリカ軍事同盟国に、海への出口をふたをするように、取り囲まれているのである。いつでもミサイル攻撃され、いつでもアメリカが誇る海兵隊がオスプレスで、中国上陸作戦ができる体勢をとられているのである。だから戦争はしたくなくても、相手を圧倒する武力が欲しくなる。
 逆に、アメリカの視点から考えると、太平洋のシーレーンは、中国の大国化・海軍の増強によって、脅かされているように思えてしまう。だから戦争はしたくなくても、相手を圧倒する武力が欲しくなる。
 地政学的視点だと、結局は、こんな考え方になってしまうのだ。
 
 しかし、現実は、もっと複雑化していて、アメリカに本社のあるアップルやナイキが、製品を中国で作っていたりするのだ。他の会社も同じだ。政治家は、アメリカとか、中国とかの国にこだわっているが、経済活動は、グローバル化がすすみ、国境などなくなっているのだ。

 ジョン・レノンの「イマジン」ではないが、経済活動では、「国境などないと思ってごらん」は、すでに、半分、実現している。ただし、それが、「ウイン」「ウイン」の関係にならずに、ガルトゥングがいう「遠いところから搾取する」の搾取する側、搾取される側となっていることが問題なのだが。多国籍企業が稼いだお金は、本国にもいない。タックスフリーの国に集まり、どこがどうなっているのかわからない状態になっている。

 日本がとる態度は、第二次世界大戦前も、大戦後も、今も対して変わっていない。アメリカという大国と、中国という大国(以前はソ連だったが)の狭間にある。引っ越しはできない。
 いろいろな意見はあるが、だいたい、次の四つに分かれている。

(1)アメリカとの軍事同盟を継続させる。
(2)アメリカと別れ、中国と軍事同盟を結ぶ。
(3)スイスのように永世中立国となり、スイス同様に軍隊をもつ。
(4)コスタリカのように、軍隊をなくしてしまう。

 私としては、(4)が理想であるが、すぐに、そんなことが可能とは思っていない。
 いくつもの手順を踏まなくてはならないだろう。その一つとして、日本が世界に誇れる憲法「戦争放棄」を、日本の周辺国に、同じ条文を盛り込むように、辛抱強く呼びかけることだろう。
 まずは韓国。北朝鮮問題を抱えているのでうまくいくとは思えないが、少なくても、日韓間では、どんな問題が起きても、軍隊を国境は超えさせないという信頼関係を作っていくことである。
 それと同時に、先に触れた外交官。問題があるたびに呼びつけて、抗議するというのではなく、韓国の外交官を日本の外務省で働かせる。逆に、日本の外交官を韓国の政府で使ってもらう、というような交流が大切になってくるだろう。
 それと、あくまでも、フィクションとしての歴史ではなく、史実としての歴史をほりさげる努力を、共同でしていくべきだろう。たとえば、日本人も、韓国の詩人「ユン・ドンジュ」の詩を、教科書で取り上げたりしていく努力をすべきだ。

 嫌韓とかいってないで、日韓友好へ、日本は舵取りしていくべきなのである。

 オリンピックを見ていて、日本のメダルへの執着には、うんざりさせられた。愛国心を鼓舞するするよりも、世界市民として、オリンピックは楽しむべきだろう。
 批難が続出した閉会式のNHKのアナウンサー。やたらとメダルのことばかり話していたような印象がある。世界の何番目に、メダルが多かったなんかは、どうでもいいことなのだ。
 「参加することに意義がある」というオリンピック精神はもどこへいってしまったのか。
 
 とくに、ピンク・フロイド好きのわたしとしては、「うおー」となる場面が三カ所ほどあった。世界には、同じ趣味を持つ人がいるらしく、検索をかけてみたら、3つとも動画がアップされていたので、自分の記録用に、ここに貼付ける。

 独特のタイムキープ感のニック・メイソン。アルバム「炎」の燃え上がる人が、綱渡りの後に再現されます。「あなたがここにいてほしい」と、意味深な曲を選択したものだ。



若いアスリートたちが点火した聖火の花が閉じてゆき、一つの花のようになっていくシーン。まるで、世界連邦を連想してしまいました。アルバム「狂気」のラストの曲。


触れるものすべて 見るものすべて
味わうものすべて 感じることすべて
愛するものすべて 憎むものすべて
信用しないものすべて 大切にするものすべて
与えるものすべて 取り引きするものすべて
買うものすべて 請い願うものすべて
借りるものすべて 盗むものすべて
創造するものすべて 壊すものすべて
為すことすべて 言うことすべて
食べるものすべて 会う人すべて
軽蔑するものすべて 戦う相手すべて
現在(いま)あるものすべて 
過ぎ去ったものすべて
来たるべきものすべて
すべては太陽の下 調和を保っている
しかし太陽は 月に侵蝕されてゆく...
(グーグルで検索したら、こんな和訳が出てきました)


ピンクのブタといえば、資本主義の病理を皮肉ったアルバム「アニマルズ」。「狂気」のタイムも出てきます。

 

 

 
[PR]

by spanky2011th | 2012-08-22 21:03 | 世相 妄想随談(音楽付き)

電気使用量枠組みを

 数週間前の新聞記事だが、海底深くに眠るメタンハイドレードに、日本は、いよいよ手を付ける気でいるらしい。
 仕方がないとは思うが、使えるモノは何でも使う姿勢でいると、未来の子供たちに、大切な資源を残してあげれなくなる。
 原子力も不安、石油も不安、しかたがないので、メタンハイドレードを掘り出して、火力発電にバンバン使用するつもりなら、ちょっと待ったといいたい。
 少なくても、燃料電池の技術が確立するまでは、メタンハイドレードは使わないでいてもらいたい。
 それよりも大切なことは、低エネルギー社会へ、低炭素社会へ、ゆっくりと舵を切ることではないのか。

その一つとして、こんなアイデアがふっと浮かんだので、ここで紹介する。
 話だけでしか知らないが、食糧難の戦後、食料配給券なるものが存在した(らしい)。
  それを見習って、いっそのこと、電力は、配給制にしてしまったらどうだろうか。一人当たりの使用量枠組みを設け、その範囲内で収めた場合には、一定の割引 率にし、それを超える場合には、余った人からその権利を買い取る。買い取れなかった場合には、枠を超えて使用した部分に対しては上乗せ価格にする。
 このような制度を導入することにより、電気の無駄遣いガ減るのではないか。そして、低エネルギー社会への技術開発が進んでいくような気がする。
 へんな言い方だが、ホームレスのような人々にもこの電気使用量枠組みを与え、その権利を売ることにより、収入が得られる。
 もし、ドラマ「北の国から」でやってたような風力発電で、自分の家の電力をすべてまかなえことができれば、その権利がそっくりその家の収入になる。
 電力会社の宣伝に踊らされた人には悪いが、オール電化の家に住む人には、それなりの経済力があるのだろうから、それなりの負担をしてもらう。これは、当然なことだと思う。

 もちろん、これには、一般家庭と、企業などの経済活動と、別に考えなくてはならないだろう。また、きめ細やかな例外規定を作らなくてはならないだろうが、このような、制度の導入を考えることが大切だろう。

 そんなバカなと思う人もいるだろうが、このやり方は、国際間では、「温室効果ガス」の排出取引として実際に行われている。
 文学部国文科出身の自分には、これ以上のことは書けないが、経済学を学んだ人なら、もっとすばらしいアイデアを知っているはず。そのアイデアを自分は知りたい。
 限られた電気を効率的に使うようになる契機になる、制度の導入が一番大切なような気がする。

 単に原発反対(もちろん私も反対だが……)と叫んでいるだけではなく、どうしたら、原発に依存しないでいけるか、そのための衆知を結集すること。これなら、自分たちにもできそうで、ゆっくりと舵を切ることができる方法を考えること。これが大切だと思う。
 
 これとは話が別だが、今日(2/9)の東京新聞に面白い記事が載っていたので紹介。

預貯金など「眠っている金融資産」を多く持ち、家計に余裕のある富裕層ほど多く負担するのが「貯蓄税」。創設を提唱しているのが、クレディ・スイス証券チーフエコノミストの白石浩道さん。「消費税率5%アップの増収分にも相当する税収が見込める」と力を込める。

 資産全体に毎年課税。納税者は富裕層に限定する富裕税。
 預貯金と国際に毎年課税する貯蓄税。
 相続があったときに課税する相続税。
 贈与があったときに課税する贈与税。

 ロバート・B・ライシュの「暴走する資本主義」を読んだとき、ハッとしたことだが、彼は、企業などの法人税はタダにして、代わりに高額所得者の税負担を重くせよ、と述べていて、まったくその通りと思ったものだ。
 日本の大手企業は、いろいろな手を使い、実質法人税はタダにしていて、法人税を払っているのは中小企業のみ。
 だったら、こんな不公平はなくし、ライシュ氏のいう通りにした方がいいと思った。





[PR]

by spanky2011th | 2012-02-09 19:53 | 世相 妄想随談(音楽付き)

坂本龍一と桑田圭介

 エレクトリック・マイルスと呼ばれる時代のマイルス・デイビスの作品群の中で、いちばん好きなアルバムはと聞かれたら、迷わず、「パンゲア」「アダルタ」のライブ盤をあげる。ほかもすべて捨てがたいが、聞き込み度からいっても、この二つは、ダントツで聞いていた。
 まるで太古の巨大生物が洞窟の中で生息していて……といった空想が、どこまでも広がっていったものだ。
 いまも、折があると、聞いている。
 私は、そのライブを聴いて、音楽にはスペースというべきものがあり、広がりとか、色とか、さまざまな要素があると言うことを学んだ気がする。
 ギター1本がすべての空間を占めてしまったり、パーカッションの一音が様々な色を持っている。そんなことを学んだような気がする。それを楽しむことを教えてもらった気がする。
 惜しむらくは、自分に絶対音感があって、和音なども聞き取れる音感があれば、もっと深いところまで堪能できるのだろうと思うのだが。

 以前、NHKの番組で、天下の坂本龍一に、爆笑問題ののっぽの方が「サザンオールスターズ」の曲がサイコーだとやたらとしつこく主張していた。そう、サザンの桑田圭介は独自でオンリー・ワンだが、音楽の一部でしかない。
 桑田圭介をけなしているわけではない。
 ただ爆笑問題ののっぽのバカが、新橋の居酒屋にいる酔っぱらいみたいに、自分の意見に固執している姿を見ていて、こういうやつって、多いよな、と思うから書くのだが、日本人の多くは、「メロディーのついた歌詞」のみを音楽と思っているように思う。
 それは、音楽の一部であって、それがすべてではない。もっと、もっと、音楽の世界は裾野が広くて、いろいろな楽しみ方があるのだ。
 たとえば、ラベルの「ボレロ」。たとえば、ドビュシー。たとえば、ストラビンスキー。口ずさみにくいが、すばらしい音楽があるのだ。「ボレロ」などは、スペースと色を楽しむことができない奴には、まさに、ただ延々とつづく同じメロディーにしかすぎないだろう。
 たしか、大昔に読んだ「日本人の脳」という本だったと思うが、虫や鳥の鳴き声を、日本人は言語脳の方で処理していて、西洋人は音楽脳の方で処理しているとあった。「え」「い」「う」というような母音に意味がある日本語。ところが、西洋では「え」「い」「え」だけでは意味をなさず、子音プラス母音の列で、はじめて言語となっている。
 虫の鳴き声(母音)は、西洋人には単なる雑音として処理されてしまう。しかし、日本人には、言語として、情感を感じるというのだ。
 たぶん、そのせいで、日本人の「メロディーのついた歌詞」のみを音楽だと思い込んでいるやつが多いのだろう。

 坂本龍一は、日本では数少ない、スペースとか、色を持った音楽の作れる音楽家。デビューアルバムの「千のナイフ」のときからそうだったのに、その大作曲家に、あのバカののっぽは、「メロディーのついた歌詞」の大家がサイコーとしつこく食いさがったのだ。
 結局、坂本龍一は、苦笑いするだけ。あたりまえだと思う。
 坂本龍一はたぶん、桑田圭介のことを「メロディーのついた歌詞」の大家としてリスペクトしているけど、自分はちがう道を歩んでいることを知っているのだから。
 言語脳+音楽脳で楽しむ音楽もあっていい。
それと同時に、音楽脳だけで楽しむ音楽もあるべきではないだろうか。また、これがあって初めて、本当の音楽の豊かさを享受できるのではないだろうか。
 
ということで、今日は、坂本龍一。


Ryuichi Sakamoto-Energy Flow




 ryuichi sakamoto - rain(live)



[PR]

by spanky2011th | 2012-01-30 21:08 | 世相 妄想随談(音楽付き)

近況

 A小学生新聞の公募用に、210枚の作品をどうにか書き上げた。時間がないので、とにかく書き上げることのみに専心し、どうにか最後までたどり着いたという感じ。
 村上龍の作品を少し意識して、現代よりもほんの少し未来という設定で、福島の原発事故後の、温暖化がせまってきている東京の都心の子供が、都市伝説におびえる様子を描いたもの。とうぜん、そこでは節電が行われていて、重税にあえいでいる人々が、ごく普通に登場している。
 ある意味実にバカバカしい、それでいてREALなものになった気がする。いつもだと、書いたものを何度も読み返し、推敲するのだが、警備の仕事をやるようになり、とにかく時間がないので、ほとんど推敲なしで、応募に出すことになる。
 「ダイブ」や「バッテリー」が大ブレイクしたせいか、たぶん、いまの公募状況は、その手の「スポーツを通して何かを発見していくもの」ものであふれかえっていると思うので、その手のものは避けることにした。
 また、幽霊や魔法や超能力に対しての皮肉も、随所にちりばめたつもりだ。
 まあ、児童文学というのは、この魔法、幽霊、超能力といったものとは親近性があるので、使いたくなるのもわかるが、書き手が安易に寄りかかりすぎている気がしたので、今回は封印してみた。
 かなり以前、ファンタジーを書きたがっている童話作家に、本当に別世界があると思っているのか、聞いてみたことがある。
 すごく困った顔をしていたのを、思い出す。
 
 面白ければ何でもあり、というのは、児童文学では、わたしはやってはいけないことだと思う。
 そのいい加減な態度が、「オウム真理教」や、最近特に目につく「除霊のためにおこなった」という殺人事件の起きる温床となっていると思うからだ。

 何本か書いた作品のうち、公募にかすりもしなかったら、ネット上で公開してもいいかな、とも思っているが、そうならないことを望んでいる。



 娘が、こんな演奏を動画サイトに投稿しました。関心のある方は見て、激励のメッセージでもかき込んであげてください。


[PR]

by spanky2011th | 2012-01-27 15:01 | 世相 妄想随談(音楽付き)

私の音楽の好み

 いまから四十年以上前の話だ。小学生六年生の修学旅行のときにみんなで歌う歌集を作る係に、私はなった。
なんの曲を入れるか決めるとき、ある女の子が加藤登喜子の「赤い風船」を強く押した。私は、びっくりした。これが修学旅行でみんなで歌う曲か、と。たしか、NHKのみんな歌で、流されていたんだと思う。
 いい曲だけど、交通事後で死んでいく子供の歌なんだぞ、と叫びたかった。でも、結局、修学旅行の歌集に入ることになった。でも、いい曲だな、と思っていた。



 もう少し後の話だ。兄が森山良子のアルバムを買ってきた。その中の一曲に「忘れかけた子守唄」というのがあって、兄がしょっちゅう聞いていた。この曲を検索してみたら、森山良子ではなく、タイガースが歌っているのがヒットした。タイガースが歌っていたなんて、いま、初めて知った。
 
同じ森山良子に 「愛する人に歌わせないで」という曲がある。冒頭が「もう泣かないで坊や」だから、これが曲のタイトルだとばかり、いまのいままで思い込んでしまっていた。
 昭和40年代。学生運動が華やかりしころ。ベトナム戦争が激しく、その報道に胸を痛めていたころ。
 こういうセンチな、社会派な歌が、結構あった。私の性格の一部は、この手の歌に影響されているのはまちがいない。
 いまや、この手の曲は、マンモスやサーベルタイガーと同じ運命を辿り、絶滅してしまった。
 


  中学生になり、深夜のラジオ番組を聞くようになると、洋楽というものにも触れるようになった。ビートルズ、ストーンズ、BS&T、シカゴ、チェイス、ジミ・ヘン、クリーム、ディープ・パープル、ツェッペリンなどを主に聞くようになり、自然と日本の曲とは、おさらばすることとなった。
 その中で、自分の好みに後々にまで影響を及ぼすことになったのは、ピンク・フロイトの「ウマグマ」とマイルス・デイビスの「ビッチェズ・ブリュー」。
 衝撃以外のなにものでもなかった。
 畳に寝そべり、ステレオのスピーカーを頭の左右に置き、目を閉じ、何度も、何度も、聞いたものだ。毎日のように聞いたものだ。
 どうも、14、15歳の頃に衝撃を受けた音楽は、一生、後を引くものらしい。
 いろいろな人と会話していて、たまに音楽の話になると、私は、14、15歳の頃に衝撃を受けた音楽は何か、質問してみることにしている。
 そうすると、その人も、そのときの衝撃を引きずっていることがわかる。
  そういう人に、その曲は、たいした曲じゃないよ、というのはタブー。まるで、人格を全面否定されたように、感じるからだ。
 たまに、Tレックスなどを聞くと、古いなー、と思っている自分がいるのだが、フロイトとマイルスは、少しも古くならないのだ。
 きっと、Tレックスに衝撃を受けた人には、私は古いと感じる曲が、ビビッドに感じられているにちがいない。
 ジェロとか、ジャロとかいう演歌歌手がいるが、彼もきっと、14、15歳の頃に、日本の演歌に衝撃をうけたに違いない、と思うことにしている。

 いまも、フロイトとマイルスは、自分の中では別格の存在だ。
 しかし、私の大好きなフロイトも、別の人に言わせると、つまらない、となるのだ。
 
 マイルスの「ビッチェズ・ブリュー」なんかは、なにをやってるのかわからない、となるのだろう。いかに、つまらない作品か、ぜひ、聞いてもらいたい。
 しかし、私には衝撃が走ったのだ。いま聞いても、40年前と同じに新鮮である。



 ロックはプログレ、ジャズはフュージョン。15歳以降は、これを中心に、音楽は追いかけている。
 ピンクフロイトよりも、80年代以降のキング・クリムゾンの方が、音楽的にすごいことをしているな、と思っても、私にとっては、ナンバー1はピンクフロイトなのである。
 

[PR]

by spanky2011th | 2011-12-20 20:43 | 世相 妄想随談(音楽付き)

上の浪費は、下々の繁栄


 三代目が、びっくりするような金額のお金をカジノで使い、それにからんで逮捕されてしまったが、その金銭感覚を見ていると、人間としてあわれに感じると同時に、格差社会をひしひしと感じてしまう。
 嫌いだからワイドーショーなどは見てないが、コメンテーターがどんな話をしたか、だいたい想像できる。多分、見たら、そのたびに、芥川龍之介「侏儒の言葉」の次の文を思い出すことだろう。

醜聞

なぜ公衆は 醜聞を――殊に世間に名を知られた他人の醜聞を愛するのであろう? グルモ ンはこれに答えている。――
「隠れたる自己の醜聞も当り前のように見せてくれるから。」
 グルモンの答はあたっている。が、必ずしもそればかりではない。
醜聞さえ起し得ない俗人たちはあらゆる名士の醜聞の中に彼等の怯懦を弁解する好個の武器を見出すのである。同時に又実際には存しない彼等の優越を樹立する、好個の台石を見出すのである。「わたしは白蓮女史ほど美人ではない。しかし白蓮女史よりも貞淑である。」「わたしは有島氏ほど才子ではない。しかし有島氏よりも世間を知っている。」「わたしは武者小路氏ほど……」――公衆は如何にこう云った後、豚のように幸福に熟睡したであろう。

 それにしても、カジノなんかで使わないで、日本で使ってくれればいいのに、と思ってしまう。その額を、子供たちの奨学金にしてくれればいいのに、と思ってしまう。
 江戸時代、どこの藩主だったか忘れたが、「上の浪費は、下々の繁栄」という旨をのべた御仁がいた。上と言っても、政府という意味ではないだろう。金を溜め込んでいる人々と解釈すべきだろう。
 そういう人々が、浪費してくれれば、経済は動き出すのだ。計画的に浪費してくれればベスト。しかし、そういう人々は、預金通帳の残高が減ることに異常な恐怖感を覚え、その数字の陰に隠れて、ある意味、庶民を見下し、ある意味、小人のようにふるえながら、生きているのだろう。

 いと、あわれなり。とワーキングプアのわたしは、強がってみることにした。




[PR]

by spanky2011th | 2011-12-06 19:21 | 世相 妄想随談(音楽付き)

地産地消で食料を守れ

 大きな池がありました。池に住む生き物達は、自分の思い通りに、生活していいことになっていました。自由主義です。
 何百年、何千年、いや何万年の時間の中で、自然とバランスのとれた生態系が出来上がっていて、どの生物も、共存共栄をしていました。
 ところが、そこへ、雑食系の外来種の魚がやってきました。マネー資本主義です。
「ここでは、自由にしていいのだよな」
 はじめは、池の小魚達を食べていました。それを食い尽くすと、えびがにやゲンゴロウのようなものまで食べるようになりました。
 外来種はどんどん増え続けました。食べるものがどんどん減っていきました。
 こうなると、自分たちが生き残るためと言って、共食いを始めました。(企業買収などです。株を買いあさり、その資産を手に入れる)
 さて、こんなことをつづけていて、いったい、この先はどうなるのでしょうか。

 ウォール街からはじまった反格差社会デモは、世界のあちこちに飛び火しています。
 かつて、村上ファンドというのがあって、その中心者が「金儲けして、どこが悪いのですか」とのたまいました。
 一時「ウイン・ウイン」の関係という言葉が流行りました。しかし、その実態は「金儲けして、どこが悪いのですか」でした。
 いま、食料が投機の対象として、注目を集めています。このままだと、貧乏人には、「食料は行き届かなくなる」という時代が来るでしょう。
 一キロの肉を作るために、6キロの穀物が必要とされる、とむかし読んだ記憶があります。人口が120億人に達したとき、お金持ちはお肉を食べ、貧乏人は穀物も食べられないで、雑草を食べるしか手がなくなるのでしょうか。
 海にいって、魚を捕るというのは、漁業権の問題もあり、庶民にはできなくなってしまうのかもしれません。

 食料は、それこそ、民衆の命の綱です。これを真剣に、金儲け主義の人たちから、守らなくてはなりません。
 工業製品を世界に輸出し、そのお金で食料などを買えばいいじゃないか、で戦後の日本はやってきましたが、かつての食料の輸出大国だった国は、輸出できなくなってきています。自国の人々のお腹を満たすのに、せいいっぱいになってきたからです。
 
 震災後、地産地消ということばを耳にするようになりました。
 豊作貧乏という言葉に象徴される農業の問題点を解決し、手遅れにならないうちに、1億2千万の人々が、狭い国土で、それなりの生活がてきる経済体制を作ることが、いまの日本の喫緊の課題ではないでしょうか。
 そのノウ・ハウは、世界へ輸出できるはずです。
 
 ということで、こんな素朴な人たちがいたころがうらやましい。
「りんご追分』は、二十世紀の日本の名曲だと思います。ジャズメンもレパートリーにしている人が多いのもうなずけます。

 
 
  
[PR]

by spanky2011th | 2011-10-18 19:18 | 世相 妄想随談(音楽付き)

ガンジーの「人類の7つの罪」について(理念なき政治)

 最近知ったのだが、ガンジーの「人類の7つの罪」について、京都大学原子炉実験所助教小出裕章氏が、5月の「参院行政監視委員会」において「マハトマ・ガンジーの名言・資本主義7つの大罪」を引用していた。このときには「原則なき政治」の翻訳の方を使っていたが……。
 私の記憶が確かならば、マハトマ・ガンジーの「(1)理念なき政治」もしくは「原則なき政治」の「理念・原則」とは、宗教性のことを言っていたと思う。
 この宗教性とは、特定の一宗一派の宗教という意味ではない。「生命の尊厳」ということで、貧しい子どもに貰った一本の鉛筆をチビるまで大切に使ったガンジーは、「ガーンディー聖書」(岩波文庫)で、「予の信条は神に奉仕することである、従って人類に奉仕することである。」と述べている。
 この人類に奉仕する、という姿勢を貫いている政治家がどれほどいるだろうか。それも、宗教的信念を持って。
 選挙のときには「みなさまのために働かせてください」などと連呼し、土下座しているくせに、当選したとたん、ころりと忘れてしまう。公僕と称しながら、高級公務員は「国民の支配者」となり、「国民の支配権」を官僚の手から政治家が奪還しようとしているのが民主党のいう「脱官僚」の実態に思えてならない。
 政治家になったとたんに「人類に奉仕する」ことが身に付くわけではないので、政治家になる前にどれだけ「人類に奉仕する」ことをしてきたか、それを見ないで、投票してしまう我々国民がいけないのだ。
 それにしても、小選挙区制により二大政党制になり、まともな政治が誕生するはずだったものが、とんでもない「ポピュリズム」政治を実現させてしまったものだ。小選挙区制をもう一度、見直してもいい時期がきているよう。
 政治家が口を開くと「GDP」(国内総生産)という言葉が飛び出してくる。そういう政治家の理念は、「経済に奉仕する」ことだと思ってほぼ間違いあるまい。彼らの口から「地球幸福度指数」という言葉が飛び出してくる日が待ち遠しい。ちなみに、「2009年度 地球幸福度指数ランキング」では日本は75位である。

*地球幸福度指数(The Happy Planet Index)は、イギリスの環境保護団体であるFriends of the Earthが2006年7月に紹介した、国民の満足度や環境への負荷などから「国の幸福度」を計る指標であ る。
この指標は国の発展度合いを測る指標としてこれまで重要視されてきたGDP(国内総生産-国内の生産活動を数字として表したもの)や HDI(人間開発指数-国内の住民生活の質や発展度合いを表したもの)が、人間が本来人生に最も望む幸福と健康の 度合いを測るものではなく、金銭的発展度合いを測るだけの指標であり人間生活の真の豊かさの度合いを表したものではないという批判に答え、人間活動である 特に文明の活動が将来にわたって持続できるかどうかを表す概念である持続可能性を組み込んだ国の幸福度を測る新たな指標である。(ウィキペディアより)

ミャンマーで、「理念ある政治」をめざし、戦ってきた一人の女性がいる。民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんだ。軍事政権から民政移管され新政府が発足し、スー・チーさんが表紙になった雑誌が書店に並ぶ時代がやっときた。
 ということで、今日は、ハンコックとショーターの演奏「アウン・サン・スー・チー」を聞きたいと思う。


Herbie Hancock, Wayne Shorter Aung San Suu Kyi Jazz Baltica 2004






人気ブログランキングへ
[PR]

by spanky2011th | 2011-09-09 19:17 | 世相 妄想随談(音楽付き)

ガンジーの「人類の7つの罪」

ガンジーの「人類の7つの罪」を真剣に考えるときが来た



 いま、私は、五十数年の人生でもっとも困難な事態に陥っていて、明日が見えない状況にある。
 しかし、いいたいことをいわないのは「腹ふくるるわざ」なので、ここで書いているのだが、なぜ、日本人はこんなに従順で、反骨精神がないのだろうか、という疑問がいつも、私の頭の中で渦巻いている。「和を持って尊しとなす」伝統が、悪しき方に働いているとしかいえないだろう。

 トインビーの歴史観ではないが、ルネッサンス時代に始まり、フランス革命時代に大きく進化し、二十世紀に大きく花開いた一つの文明が、いま終焉を迎えようとしている。私は、そう信じている。時代は400年、500年単位で大きく転換する。その転換期にきているのだ。
 この文明の底辺にあったのは、理性を尊ぶ「理性信仰」という宗教である。また、便利な「お金」「利息」という発明品であった。
 私は人間理性の信奉者であるが、私がいう理性とは、宇宙とか、自然とかの神秘の前で謙虚になり、そこから多くのものを学んでいこう、という姿勢である。
 ところが、いま、その「理性信仰」「お金」「利息」がかってに一人歩きし巨大化して、人間に逆襲をし始めている。
 原発事故の根本を考えると、絶対的な安全は確立されていないのに、「いずれ、その解決策はみつかるはずだ」という人間の傲慢さであろう。
 聴くところによると、宇宙の動きを研究していくと、私たちの知っている物質というものだけでは宇宙のことはどうしても説明がつかないというのだ。「ダークマター」「ダークエネルギー」という未知のものがほとんどを占めていて、既知のものは4パーセントに満たないという。
 知れば知るほど謎が増えていく、というのが学問の世界であろう。それを十分に知っていて、学問対象に対して謙虚な姿勢を保つ理性を私は信じたい。

 かつて、ガンジーが「人類の7つの罪」と指摘したことがある。早期退陣に追い込まれた総理が就任直後に口にして少し話題になったが、その人の無能ぶりにより、このガンジーの「人類の7つの罪」までも軽く見られてしまったことが残念でならない。

(1)理念なき政治
(2)労働なき富
(3)良心なき娯楽
(4)人格なき知識
(5)道徳なき商業
(6)人間性なき科学
(7)献身なき宗教


 いま、日本は、というよりも、世界全体が、この7つの大罪を犯しまくっていないだろうか。
 理念よりも世論ばかり気にしている政治家は口を開くと「世論の動向を見て」と口にする。
 総理になった自分の息子に毎月何百万円という子ども手当を贈っていた某財閥の母親。当然、彼女の生活の源になったのは、自分が保有している株である。彼女は額に汗して、最低賃金で働き、生活していく苦労を知っているのだろうか。
 ゲームソフトのCERO:Z指定の内容を見てみれば、一目瞭然。ゲーム脳の問題も一時取り上げられたが、単純に考えて、毎日、一時間でも二時間でも「敵を見たらひたすらたたきつぶす」ことのみに専心していて、それが心に影響をもたらさないはずがない。社会学者(宮台真二のような)の中にはメリットばかりをしゃべり、それよりも大きなデメリットに触れようとしていない。
 とにかく、今一度、「人類の7つの罪」を真剣に考えるべきときだろう。


ピンクロフロイドのマネーです。



ザ・クラッシュの「ロンドン・コーリング」です。「トーキョー・コーリング」というような曲が日本で生まれないのは日本の不幸です。



[PR]

by spanky2011th | 2011-08-21 21:52 | 世相 妄想随談(音楽付き)

新しい、いまの季節にあった服が必要だ

「法律はどこまで正義なのか! 新しい、いまの季節にあった服が必要だ。」 

 私の基本的な政治経済体制観は「厚ければ薄着になり、寒ければ厚着になる」という程度のものだ。自由主義も、社会主義も、一長一短があり、そのときどき、その国々の事情により、着替えるべきものだと信じている。
 資本主義・自由主義の大国アメリカは、いわば「夏」。広大な大地があり、そこに住む人間は、ゆたかな大地の恵みを好きなだけ受けることができた。いまのアメリカではなく、開拓時代のアメリカの話だが。自由……その基底部にも、「多くの人が幸せに暮らせる」というのがあったはずだ。苦労して開拓すれば、開拓しただけの報酬があるのだ、という信念があったといえる。
 広大な大地に滅茶苦茶掘って、運が良ければ、チャップリンの「黄金狂絵時代」も、「ジャイアンツ」のように石油を掘り当てることもできた。
 しかし、アメリカン・ドリーム信仰の陰には、こんな悲劇も隠されているのだ。

 インディアンとの死闘の末、手に入れた広大な牧草地帯。そこに、牛を連れ回しては食事をさせ、牛を育て、それを北へ連れて行って売りさばいては生計をたてるカウボーイたちがいた。祖祖父も、祖父も、父も、インデアンとの死闘をくりひろげた。それこそ命をかけての死闘の末に手に入れた牧草地帯だった。これはカウボーイたちの共有財産だった。
 ある日、政府がかってに「柵を立て、そこを耕かしたら自分の土地にしてもいい」という法律を作ってしまった。それはそれでかまわない。ただ、困ったことがあった。かならず移住してきた農民は、共有財産の一番いいところで、農耕を始めるからだ。ほっといても、いい牧草がなる肥沃な土地だ。その土地を手に入れるため、父も、祖父も死闘をし、中には命を落とす者たちもいたというのに、その場所に柵を立て、牛が行き来できないようにし始めたのだ。
 後から来て、苦労もしないでおいしい蜜だけ吸おうというのだ。
 カウボーイたちは、その農家へ出向き、ここに柵を立てられたら、自分たちの死活問題だ。お願いだから、別の土地へ移動してくれないか、と頼み込んだ。
 なんども対話を求めた。何度も説得を試みた。カウボーイの共有財産の牧草地以外を開拓し、畑を作り、種を撒くというのなら、気のいいカウボーイたちは協力を惜しまないつもりでいたのだ。
 しかし、農家は対話を受け入れない。農家は法律を盾に移動してくれない。
 困り果てたカウボーイたち。自分たちの先祖たちが命をかけて手に入れた牧草地帯を守るためだ。すこし、手荒いことをして、移動してもらおうじゃないか。仲間との話し合いがきまった。
 すこしずつ、嫌がらせをすることにした。
 農家に流れ者が一人住み着くようになった。なんでもウワサでは、農家の妻が色仕掛けで、流れ者をたぶらかしているという。流れ者は、あの女房に横恋慕しているらしい。
 ある日、カウボーイたちは、そのならず者によって、ほとんど銃殺されてしまう。彼の名は「シェーン」という、早撃ちで有名な殺し屋だったのである。

 映画「シェーン」も別の角度から見ると、こんな物語になる。なぜ、カウボーイの共有財産に配慮した法律をつくることができなかったのか。法律が作られることにより、不幸な人々が製造されてしまう。
 最近、法律により、不幸な人たちが作られているのではないか。そんな気がしてならない。

 グローバリズムが行き渡った現在は、「苦労しても報酬がない」時代へ突入したといえる。逆を言えば「ボタン一つで大もうけできる」時代だといえる。ボタン一つで儲ける人々になるには、資格が必要だ。

 イギリスの暴動、アメリカの財務問題、日本の円高・デフレ。アフリカの飢餓……、根っこはみな同じだ。
 とにかく、もう今の経済体制では限界だ。
 新しい、いまの季節にあった服が必要だ。お願いだ、経済や、社会学の専門家さんたちよ。私たちが希望を持てるシステムを提示してくれ。

 中国との尖閣諸島問題、韓国との国境問題、海底に眠るメタンハイドレードやメタンガス、レアメタルの奪い合い……、方針なき外交、国内経済の閉塞感……。
 終戦記念日が近いこともあり、テレビでは特番がいろいろある。しかし、なんとなく、「第二次太平洋戦争」の前日という気分がしている。


 アメリカの第二の国歌といわれている「アメイジング・グレース」がききたい気分だ。イギリスの奴隷商人だった人が牧師になり、その人が作ったといわれている名曲だ。





それと、さいきんのお気に入りの曲「Rolling in the Deep」 by Adeleも。




[PR]

by spanky2011th | 2011-08-14 20:49 | 世相 妄想随談(音楽付き)