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地政学的言論に、ご用心 2

先の投稿、『石破なにがし」を防衛大学OBと書きましたが、事実誤認していました。訂正します。
 さて、私の関心は、軍事関係にあるのではなく、どのような流れで戦争が起きてしまうのか、どうしたらその流れをくいとめられるか、ということにある。
 私が大きく影響を受けた本に、ヨハン・ガルトゥングの「構造的暴力と平和」(中央大學出版局)というのがある。平和学の創始者といわれている人の著書だが、その本によると、かつての植民地政策は直接的な暴力である。そして、現代では、新植民地政策という新しい構造的暴力が、直接的な暴力に取って代わっているという。
 特に印象に残っているのは「共産主義は隣の人を弾圧し、資本主義は遠くの人から搾取する」という考え方である。
 その考え方に触れるまでは、恥ずかしながら、私も、自由を認めない共産主義には嫌悪感を持ち、自由のある「資本主義」こそがもっともよい物と信じていた。
 たとえば、私が食べる100円の板チョコ。このルートをたどっていくと、貧困にあえぎ、学校にも通えない児童の労働が存在している。遠いところから搾取しているのだ。
 たとえば、なにげなく使用しているマーガリン。その先には、森林破壊が存在し、貨幣作物をつくるための低賃金労働がある。現在と未来とから搾取しているのだ。
 人口の1パーセントの人が、その国の富のほとんどを独占している状態で、貧困大国と呼ばれる経済大国アメリカ。よその国だけでなく、自国内の遠い人たちからも搾取しているのは、日本もイギリスも、同じではないでしょうか。 
 貧困や差別などに苦しんでいる人々がいるということは、そこには「構造的な暴力」の社会システムがあるのです。
 
 「世界を救う処方箋」(ジェフリー・サックス著)を読み出したが、書名には副題が付いていて「共感の経済学が未来を作る」。「世界を不幸にするアメリカの戦争経済」「暴走する資本主義」というような本と同じように、アメリカの今の経済姿勢を批判する内容だが、いろいろと問題もあるにしろ、アメリカのすばらしさは、こういう言論があることだろう。

 先の投稿に「中華民国も中共も尖閣諸島を自国領土と言い出したのは1970年代に海底資源が確認されてから、オスプレイの事故率は他の航空機と比べても低い、ヨーロッパではEU懐疑論が根強い、政体も経済規模も違いすぎるアジアでは国家連合は作れない、日本はアメリカの国防総省に武官を常駐させている、勉強して書き直せ。」とのコメントが寄せられました。
「オスプレイの事故率は他の航空機と比べても低い」かどうかはわかりませんが、私の文章能力が低いせいで誤解が多いようです。

「日本はアメリカの国防総省に武官を常駐させている」ということですが、軍事同盟国なのですから、当たり前ですよね。私の本意は「中国・アメリカ」の双方の信頼構築に、日本が果たす役割はないのか、ということです。その一つが、外交官の相手国政府の外務省内への相互派遣から、まずはスタートさせられないかと思っているのです。
 平和のために、武器の準備ではなく、平和の準備をすべきだというのが、私の基本的な考え方です。一個一個つみかさねていくしかないのではないのか。

「ヨーロッパではEU懐疑論が根強い、政体も経済規模も違いすぎるアジアでは国家連合は作れない」ということですが、パン・ヨーロッパ運動が起きたときにも懐疑論は強く、政体も規模もちがいすぎるといわれてたはずです。私が、パン・ヨーロッパ運動を知った1970年代でも、ほとんどの日本人はEUなど夢物語だと信じていませんでした。共通の通貨にするくらいにしか思ってなかったのです。
 ギリシャ問題など、難問山積ですが、いま、EUは、人類初めての実験をおこなっている最中で、それこそスンナリといくわけがありません。
 アメリカ、中国、日本、オーストラリアなど、船で行き来している海洋型国家がやがて一つの文明「環太平洋文明」を生み出すだろうというのは、歴史学者トインビーの予想ですが、日本がかつて実力行使で築こうとした「大東亜共栄圏」のようなものにしてはいけないと思っています。また、「パックス・アメリカーナ」でも、「中華共栄圏」でもいけないのです。あくまでも、『環太平洋文明」でなくてはいけないのです。
 こういう思いを抱いている私が、「地政学」的思考には、ご用心、ご用心と思ってしまうのは当然ではないでしょうか。歴史を見ても、地政学的な考えが跋扈した後には、戦争ばかり。構造的暴力ばかりではないでしょうか。

 ところで、
「中華民国も中共も尖閣諸島を自国領土と言い出したのは1970年代に海底資源が確認されてから」という主張は、年がら年中聞き、私もはじめはそうだと信じていました。しかし、調べていくと、果たして、一般的に言われているそれを鵜呑みにしていいのか、疑問に思い出したのです。
 「10年間慎重に調べて」から、1895年1月14日、日本は「国際法」にのっとって、尖閣諸島を日本の領土として「閣議決定」しました。
 私の文にコメントを下さった方は、そこらへんの事情を、詳しく知っているようなので、ぜひ、教えを請いたいと思っています。
(1)なぜ、日清戦争中に、そんなことをしたのでしょうか。そのときの『閣議決定」はどのようなも のだったのでしょうか。
(2)国際法にのっとってやったらしいのですが、ここに、日本側の落ち度はないのでしょうか。日本 にやましい点はないのでしようか。
(3)そのとき、中国は、国際法をしっていたのでしようか。
(4)そのときの中国は、はたして近代国家と呼べる物だったのでしょうか。
(5)1924年に滅ぶ清が、1920年に出した遭難救助の「感謝状」。戦勝国日本を刺激したくない為に しぶしぶ書いたのではないのでしょうか。
(6)それとは別に、中国は、いま国境を接しているすべての国ともめています。いな、多民族国家で あるがために、 国内の独立派を多数抱えています。内戦状態を避けて、うまく解決する方法はな いのでしようか。

  私の理解だと、清が滅んだ後は、袁世凱派と、毛沢東派が争い、国家と呼べる物がなかったように思います。また、国内のことで手一杯で、国境の確定にまで手が回らなかったように思えます。
 ようやく国家らしくなってきたのは、文化大革命後のように思えますが、どうでしょうか。

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by spanky2011th | 2012-08-05 05:46 | 世相 妄想随談

地政学的言論には、ご用心

 先だってテレビでニュースを見ていたら、コメンテーターの肩書きに「国際地政学研究所」(所在地・東京都新宿区)とあって、目の玉が落ちるほど驚いてしまった。知らない間に、それを研究し、それを発信するところが出来ていたのだ。そのときの話題は、いうまでもなく尖閣諸島問題であった。
 「地政学」という言葉を私が初めて耳にしたのはいまから30年ほど前。角川文庫「悪の論理」という本でであった。そのとき、大学に残っていた友人に、日本で「地政学」を研究しているところがあるのか、聞いてみた。すると、戦争の学問だから、批判を恐れて、それを表看板にしているところはないとの事。研究しているところがあるとすれば、防衛大学くらいだろうという。(事実、それは本当で、私は神田古本屋街で、防衛大学翻訳で「世界戦略思想史」という分厚い本を入手。そこに、マハーンという項目があった)
 地政学とは戦争の学問である。地理的なところから発想し、どこを取れば、自国の国益になるのか、というようなことを研究する学問と思えばいいだろう。
 以来、翻訳されたその手の本を何冊か読んだが、知れば知るほど、その学問は、恐ろしい物だと思うようになってしまった。読んだ本の中で特に印象に残っているのは「オレンジ計画」と「第二次太平洋戦争」である。
 前者の「オレンジ計画」というのは、いま手元にないが、新潮社発行で、すぐに絶版になってしまった本だ。
 太平洋戦争が始まる前に、アメリカは「対日戦争」に向けて、すでに「オレンジ計画」という戦争シュミレーションが練り上げて、できあがっていた。アメリカは、どのように考え、どのように準備していたか、を研究した物だった。
 高校の世界史の教科書には載っていないだろうが、その副読本の資料編には、19世紀の世界の植民地が載っていると思う。それをじっと見ていれば、地政学というのがどういうものか、分かると思う。グーグルで検索しても出てくると思う。
 もう一冊の本は、地政学的に、国益をめぐって、また日本とアメリカが戦争へ突入するという本であった。

 20世紀初頭、アフリカ、アジア、南米の植民地が色分けされていて、日本が植民地としていたところがオレンジ色だった。明治時代に日本の天皇家との姻戚関係を求めたハメハメハ大王の独立国ハワイは、アメリカ国民を守る為という名目で上陸したアメリカ海兵隊により、植民地化されてしまい、アメリカはアジアへと手を伸ばしていた。
 日本は、韓国、満州、フィリピンなどを植民地化していたので、アメリカの国益と衝突するのは、当然、オレンジ色の日本であると、日本を仮想敵国とみなしていたのである。
 その頃、ロシア革命のような共産主義の拡大に手を焼いていた日本は、アメリカにも、理解を求めようとしたが、アメリカは、聴く耳を持たなかった。というよりも、敵の敵は味方という発想からソ連と手を結んだのは、歴史が証明している。

 地政学的には、海洋型軍事大国と大陸型軍事大国とは両立できないとされている。いま中国は、ソ連との長い軍事的対立で大陸型軍事大国であったが、海洋型軍事大国へと変貌しようとしている。
 中国の視点からいえば、これは当然のことであり、中国は、抑止力という名のもとで、日本、韓国などのアメリカ軍事同盟から、一方的に、身近なところからミサイルを突きつけられているからである。
 アヘン戦争、日本との戦争など、外国からの侵略者により過去散々な目にあった中国が、自国を守ろうとするのは当然なことだろう。
 数日前の産経新聞には、日本のシーレーンのことが書かれていたが、これも地政学的な考え方である。中東からの石油がどのような海路を通って日本へやってくるのか。それを守る為に、いかに尖閣諸島が大事な役目をしているのか。そういう記事だった。
 尖閣諸島問題を身近な人に話題としてふると、「中国はひどいよな。海底に眠っている資源目当てで、いきなり自国のものだといいだすんだからな」と、マスコミに書かれた内容ばかりが返ってくる。これがいまの日本の世論の大半だろう。

日本としては尖閣諸島は日本固有の領土としているが、それを日本の領土とした年は、日清戦争の真っ最中であったということには、日本政府は、ひとことも触れない。また、慎重に調べた結果、尖閣諸島は、どこの国にも帰属していなかったとのこと。そして、日本が実効支配し、日本の領土とすることにしたが、中国からは異論は出なかったということだが、イギリスが中国からのお茶や美術品を手に入れるために中国へ運び込んだアヘンで、中国の国はぼろぼろにされ、さらにアヘン戦争でぼろぼろとされ、また、日本との日清戦争でぼろぼろにされた中国は、まだ、近代国家となっていなかったのだ。第一、中国は、それを知っていたのだろうか。日本のいつもの手で、こっそりと極秘にやってしまったのではないのか。
 鳥島だったと思うが、そこには清の国王が「日本国鳥島」に送った感謝状がある。数年前、週刊誌で写真を見たが、たしか、それが書かれたのは、日清戦争後の5年後だったはず。
 尖閣諸島の日本国帰属に、白熱教室ではないが、「そこに果たして正義はあるのか」、はなはだ疑問だ。
 国際裁判所のようなところで、きっちりと話し合う必要があるだろう。遠回りのようだが、それが近道のような気がする。
 
 「国際地政学研究所」のようなところが「日本の国益を守るためには、尖閣諸島は大切な役目をしている。中東へ通じる南シナ海のシーレーンは、どんなことをしてでも守らなくてはいけない。あのシーレーンは、日本の命綱だ」というようなことをしゃべりだしたら、日本は戦争への一歩手前だ。
 さらに、某都知事みたいに、「尖閣諸島に、自衛隊を常駐させて、守るべきだ」といいだしたら、戦争への道は、さらに一歩進んだことになる。
 墜落事故ばかり起こしている「オスプレイ」が、中国へ、どのような脅威になっているか、考えなくてはならない。あっという間に、大量の兵士と武器などを、運び込めるのだ。中国上陸作戦の道具なのである。幸いにして、完成度が低いのでよかったが(沖縄の人たち、ごめんなさい。いつも、いつも、本国の安全のために犠牲にさせられて)、完成度が高かったら、それこそ、中国への脅威である。
 かつて「不倫は文化」といった馬鹿がいたが、「文化」を「悪弊」と置き換えたほうが、文脈的にはすんなりとして、的確な表現だろう。石破なんとかみたいな防衛大学出身の軍事オタクは、すぐに「抑止力」という言葉を使いたがるが「抑止力」は「外交能力のない、人間不信の、臆病者が使いたがる暴力装置」という言葉に置き換えたほうがいいだろう。
 地政学的な発言は、一見、凄い説得力があり、それが正しいように思える。それが凄く怖い。
 日本固有の文化だといってしまえば、どんな悪弊もそれらしく聞こえてしまうところが怖い。抑止力といえば、むちゃくちゃな、非人道的な暴力装置も、それらしく聞こえてしまうところが怖い。

 鳩山由紀夫が「環太平洋文明圏」をいいだして、一方的に中国へ接近しようとした時に、地政学的に、むちゃなことをいいだしたものだと、あきれ返ってしまった。アメリカはすぐに怒りだし、鳩山はすぐに、思いつきを引っ込めてしまった。
 数週間前、アメリカは、太平洋沖で、カナダ、韓国、ロシアなどを招いて、合同で軍事訓練を行ったが、これはいうまでなく、いざというときには、この軍隊があなたがたを攻撃しますよという中国へのけん制である。
 数日前、日本が出した防衛白書の、中国の軍事大国化への文章に、中国がすぐさま噛み付いてきたのも、当然なことである。

 いま、私達が真剣に考えなくてはならないのは、そんな地政学的な発想による戦争への準備ではなく、戦争を起こさないためのシステム作りであるはずだ。アメリカも、中国も、そして、アジアの島国も、ともに栄える環太平洋文明圏は作るべきである。そこへ、インドなども加わるようにしていく。

 いろいろ問題は多いが、EUのようなゆるやかな共同体であろう。かつて、ドイツとフランスは、地政学的な対立から世界大戦として二度戦争している。その反省から、互いに、外交官を自国の外務省に派遣しあい、不信感をいだかない(いだかせない)様にしていると聞く。
 日本と中国、日本とアメリカ、アメリカと中国とで、似たようなことは出来ないものだろうか。

 戦争の可能性があるから、基地と、軍産学複合体が存在するのではない。基地と、軍産学複合体が存続し続けるために、戦争の危機が必要なのである。なんとか、基地と、軍産学複合体を、グリーン経済への移行のために、すんなりと変容させる方法はないものだろうか。あったら、ぜひ、教えて欲しい。
 
 かつて、二二六事件の時など、青年将校が立ち上がった時、日本国国民の大半は、彼らを英雄視した。そのせいで、正論を述べていた政治家は、命を狙われる恐怖から、発言を控え、戦争への道をひた走ることとなった。なんとなく、いまの世情が、そのころに似ていて、私は「漠然とした不安」を抱えている。

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by spanky2011th | 2012-08-03 02:21 | 世相 妄想随談

はめられたのではないか  

 お笑い芸人『次長課長」の母親が年金不正に受け取っていたといわれているが、この問題、増え続ける生活保護費を抑えるために、官僚と政治家とが仕組んだ出来レースに思えてならない。彼は、たまたまスケープゴートにえらばれただけ。
 マスコミの報道に流されて、「3000万円も稼いでいるのに、親の面倒を見ないのはけしからん」と怒っている間に、目的をもった奴らがちゃくちゃくと準備を進めていたのだ。それはなにか。子供が親の面倒を見ることの義務化である。厳正化といっているが、義務化で、庶民をまた切り捨てようとしているのだ。
 結果どうなるのか、ますます庶民の生活が困窮することになるのは目に見えている。どういうことか。たとえば、東京に住む年収800万円の長男が、故郷に残した母親の面倒を見なくてはならなくなるのが義務化されたら、どういうことになるのだろうか。
 貯蓄が底をつくまで、親に仕送りしなくてならなくなり、そして、その家庭も貧困に転げ落ちていく。そういうことだ。
 世阿弥の「離見の見」ということばではないが、離れたところから、自分のしていることを見ることが出来ない。
 それにしても、自民党の某さつき議員は、よくも冷酷に、彼をつるしあげできるものだ。道義的には問題もあるだろうが、法律論的には、謝罪会見をした彼は、まったくの白。問題はないのだ。それよりも問題は、彼に増額をもちかけた役人のほうではないのか。その役人の方が、ちゃんと説明責任を果たすべきである。
 また、議員報酬で年間3000円が確実にもらえるさつき女史には、浮き沈みの激しい生活をしている人に対する共感能力に欠けている節がある。
「利権の件」には、政治家も官僚も鼻が利くが、自分達の浅ましい姿を、もう少し離れたところで、自分達のしていることを見てもらいたいものだ。
 そういえば、あの人は、東大から官僚へ、官僚から議員へと進んだ人でしたね。
 たぶん、選挙前になって、顔を思い出してもらう為のパフォーマンスとして、彼をさらし者にしたのではないのか。そんな気がする。
 それにしても、怒りを感じる。
 ちゃんと説明すれば、あのお笑い芸人は、納得したはず。

 怒りに任せて、また、庶民は自分で自分の首をしめてしまった。不正にうけとっている人の問題よりも、大きな問題は、生活保護から漏れている人たちが、またあちこちで餓死していくことだ。今年も、何件もありませんでしたか。そんな記事が。貧困に追い詰められて、無理心中しようとした記事は見た記憶がありませんか。

 財政健全化され、餓死者続出。

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by spanky2011th | 2012-05-26 20:27 | 世相 妄想随談

創設者の志を口に出さない松下政経塾生たち

 昨日の東京新聞の投稿欄に、いまの野田総理の評価を、天国にいる松下幸之助に問う投書が載っていた。そして、消費税を上げようとしているのは、松下さんの考えなのかと問いかけていた。
 これに、お答えします。わたしは、経営の神様の本を熟読しているものではないが、それでも、耳学問で入ってくる知識で知っている範囲でも、そんな考えがなかったのは明白。
 「松下幸之助」「税」だけでグーグルしてみれば、一目瞭然のはず。松下幸之助の基本的な考え方は、会社経営。その根幹の考え方は、税を毎年必要な分だけあつめ、すべて使い切る今の体系を止めさせること。彼が生きているとき、税金を毎年使い切らずに1割程度貯金し、それを別の形で活用すれば、税金を無税にすることは可能だ、と提案したのを覚えている。
 無税はともかくとして、彼は、この提案で、経済評論家たちから凄まじい嘲笑をあびた。バブル期で、今の日本の姿をだれも想像していなかった時代のことだ。
 野田総理は、松下政経塾の一期生ということだが、彼の口から、一度でもこんな考えが出されたことがあるだろうか。いな、政経塾出身者からでも聞いたことがあるだろうか。
 松下氏はさすが経営の神様、国家というのを会社としてみたて、日本の一番まずい点をしっかり押さえいる。
 組織というのは、予算が1兆あれば、それに見合うような規模になっていくのである。翌年、それを一割削るのは、大変なことなのである。その1兆にぶら下がって いる人がたくさんいるからだ。
そして、その組織は、一兆円プラスαを。来年度要求するようになる。これを戦後からずっとつづけてきて、日本の国家機構は、ふくれにふくれあがってしまったのだ。
 たとえば、10人の公務員がいたとする。一人一人が、その年に必要な予算を請求し、それを獲得したとする。たまたま、仕事の関係で、1人はその半分しか使わないで済んだとすると、その人は、それをすべて年度内で無駄遣いをしてでも、使い切ってしまう。そうしないと、来年度は予算を削られてしまうからだ。そうすると、来年度は、自分が困ることになる。ある人は、たまたま、突発事故かなにかで、予算オーバーしてしまう。 10人のあいだで融通し合えば十分なのに、それをしないのだ。そして、来年の予算請求は、本年プラスαの数字を出していくのだ。
 ここの仕組みを変えるのが一番の眼目なのだ。
 イオングループの御曹司の政治家が、とつぜん、思いつきで、国家公務員の削減を打ち出してきたが、こんなことで、ふくれあがった組織が縮小できるわけがない。
 あるのは、本来の意味でのリストラ、組織再構築であろう。公務員の首を切らずに、組織を再構築するしかない。そして、使い切らずに、大枠の予算の中で、なんとかやりくりする仕組みを作るしかない。
 それにしても、政経塾の塾生たちには失望させられる。口先ばかりで、志が低すぎる。そもそも、政経塾に入ったのも、政治屋になりたかったので、そのための手段として、学びながら給料をもらえる政経塾にはいったのではないのか、と疑りたくなるくらいだ。

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by spanky2011th | 2012-04-20 11:55 | 世相 妄想随談

創設者の志を口に出さない松下政経塾生たち

 昨日の東京新聞の投稿欄に、いまの野田総理の評価を、天国にいる松下幸之助に問う投書が載っていた。そして、消費税を上げようとしているのは、松下さんの考えなのかと問いかけていた。
 これに、お答えします。わたしは、経営の神様の本を熟読しているものではないが、それでも、耳学問で入ってくる知識で知っている範囲でも、そんな考えがなかったのは明白。
 「松下幸之助」「税」だけでグーグルしてみれば、一目瞭然のはず。松下幸之助の基本的な考え方は、会社経営。その根幹の考え方は、税を毎年必要な分だけあつめ、すべて使い切る今の体系を止めさせること。彼が生きているとき、税金を毎年使い切らずに1割程度貯金し、それを別の形で活用すれば、税金を無税にすることは可能だ、と提案したのを覚えている。
 無税はともかくとして、彼は、この提案で、経済評論家たちから凄まじい嘲笑をあびた。バブル期で、今の日本の姿をだれも想像していなかった時代のことだ。
 野田総理は、松下政経塾の一期生ということだが、彼の口から、一度でもこんな考えが出されたことがあるだろうか。いな、政経塾出身者からでも聞いたことがあるだろうか。
 松下氏はさすが経営の神様、国家というのを会社としてみたて、日本の一番まずい点をしっかり押さえいる。
 組織というのは、予算が1兆あれば、それに見合うような規模になっていくのである。翌年、それを一割削るのは、大変なことなのである。その1兆にぶら下がって いる人がたくさんいるからだ。
そして、その組織は、一兆円プラスαを来年度要求するようになる。これを戦後からずっとつづけてきて、日本の国家機構は、ふくれにふくれあがってしまったのだ。
 たとえば、10人の公務員がいたとする。一人一人が、その年に必要な予算を請求し、それを獲得したとする。たまたま、仕事の関係で、1人はその半分しか使わないで済んだとすると、その人は、それをすべて年度内で無駄遣いをしてでも、使い切ってしまう。そうしないと、来年度は予算を削られてしまうからだ。そうすると、来年度は、自分が困ることになる。ある人は、たまたま、突発事故かなにかで、予算オーバーしてしまう。 10人のあいだで融通し合えば十分なのに、それをしないのだ。そして、来年の予算請求は、本年プラスαの数字を出していくのだ。
 ここの仕組みを変えるのが一番の眼目なのだ。
 イオングループの御曹司の政治家が、とつぜん、思いつきで、国家公務員の削減を打ち出してきたが、こんなことで、ふくれあがった組織が縮小できるわけがない。
 あるのは、本来の意味でのリストラ、組織再構築であろう。公務員の首を切らずに、組織を再構築するしかない。そして、使い切らずに、大枠の予算の中で、なんとかやりくりする仕組みを作るしかない。
 それにしても、政経塾の塾生たちには失望させられる。口先ばかりで、志が低すぎる。そもそも、政経塾に入ったのも、政治屋になりたかったので、そのための手段として、学びながら給料をもらえる政経塾にはいったのではないのか、と疑りたくなるくらいだ。

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by spanky2011th | 2012-04-20 11:55 | 世相 妄想随談

砂時計の落ちた子供たち

 教育格差の問題が数日前の新聞に載っていた。
 ちょうど、いま、書き出している次の作品が、その問題をちょっとデフォルメして、都市伝説なども交えて、現代の病理を描けないかな、と思っていた所なので、その記事を興味深く読んだ。

 教育格差と収入格差の相関関係は、以前より指摘されていたことで、内容的には大したことはないが、数値として出されると「やはりそうか」となる。しかし、あの数値にはゴマカシがある。

 たとえば、高校しか卒業していない両親がいたとする。その両親は低所得だとする。しかし、その両親は、苦労しているので、日常的に様々な本を読んで、たえず学習していたとする。
 そんな家庭で育った子は、学習するのが当然であり、学ぶことの楽しさ、素晴らしさを知っている。当然、大学へ当人も進みたいと思い、両親も進めたいと思っていた。しかし、経済的に……と二の足を踏む。
 奨学制度があると言うが、いまの奨学制度は利息付の奨学制度であり、大学へ進むことによって、社会人になったとたん、多額の借金を背負い込むような制度なのである。「大学は出たけれど」といわれる就職超氷河期のいま、そんな借金を好き好んで背負いたいバカはいない。背負わせたいバカな親はいない。
 大学に合格するだけの学力があるのに、大学進学を諦めている子供が多すぎるのではないのか。

 とくに問題は、大学である。
 たとえば、大学に合格できる学力があっても、大学に支払う経済力のないと、大学生になれないことである。  
 また、大学生になれたとしても、四年間の学費を支払う能力がなければ、大学卒業という「領収書」をもらえないことである。
 そして、この「領収書」が、なぜか、社会では大きな目安になっている。
 理科系はともかくとして、文系の学生は、あまり勉強しないでも卒業できてしまう。 

 本当の意味での学力格差は、本人のやる気と努力で、参考書を買いさえすれば、いくらでも克服できる。

 あんな数値の出し方ではなく、その家庭の両親が日常的に読書をしているのか。学習しているのか。どんな本を、どんなことを学んでいるのか、のデータまでとらなければ意味がないだろう。

 自分の高校二年生の娘のことで恐縮だが、塾に通わせる経済力がないので、中学三年生の一時、塾に通わせただけで、それ意外は独力で勉強してきてもらってきた。その理由も、受験の情報が入ってこないからだった。それでも、勉強好きな娘は、有名な進学校にすすみ、周りの高校生が塾に通っているのに、いまも独力で勉強している。
 欲しい本はアマゾンやヤフオクで購入している。見ていて、涙が出るほど、けなげだ。
 大学へ進み、数学の美しさをきわめてみたい、などといわれると、つらくてならない。
 
 親がともに好奇心旺盛で、関心のあることは図書館で本を借りてきて調べたりしている。暇さえあれば、本を読んでいる両親を見ているので、本を読むのが子供の頃より当たり前になっている。
 そんな親をもっているので、読書や学ぶことは当然だと思ってくれているのだろう。
 
 低所得者の子が、低学力なんて、ウソッぱちだ。
 高所得者の子が高学力なのは、塾や家庭教師をつけているからだ。そして、その子の学力にあった大学に入り、高い大学の学費を払う。同じ学力があっても、低所得者の子はその大学をあきらめる。
 ただ、それだけ。それを延々と繰り返してきただけだ。

 10年、50年単位で長いスパーンで考えれば、日本は、なんと巨大な損失を出しているのだろうか。
 たとえば、最高学府を卒業した低所得者の子と、高所得者の子がいたとすれば、ハングリー精神から言っても、どちらが有益な人材かは一目瞭然ではないか。
 国難とも言われる危機を乗り切れる知恵ある方法を思いつくのは、どちらの子なのだろうか。
 昭和の一時、一億総中流時代の一時、低所得者の子も、大学へ進めた。その人たちが、いまの社会の中枢にいて、「自分たちの時代はこうだった。いまの子はそれと比べると……」とのたまわっているが、いまの子たちの方がずっとシビアな時代になっている。
 一億総中流時代は終わり、砂時計時代になった。中流の砂はみな下へ落ち、上流もきっかけがあれば下へ落ちていく。
 その中の学ぶ意志のある子に、どうか、チャンスをあたえてもらいたい。その子たちが、いずれは日本を救うことになるはずだ。

 だが、日本は、そういう子たちを長期にわたり見捨てつづけてきて、これからも見捨てていくのだろう。

 


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by spanky2011th | 2012-01-07 01:52 | 世相 妄想随談

砂時計の砂のように

 民主党がいよいよ消費税アップに着手する。日本の財政が破綻寸前なのは、みんな、知っている。ギリシャに日本はなりかけている。そして、それを阻止しないととんでもないことになる。だから、消費税を上げなくては行けないというのだろうが、ちょっと待て!
ギリシャの場合もそうだけど、公務員の問題に手を付けないで、消費税アップはないだろう。私は、公務員を敵視するつもりはないが、既得権として、様々な旨味は絶対に手放したくないという人間の欲望にこそ、メスを入れなくてはいけないと思っている。
 共産主義、社会主義の革命は、失敗に終わってしまったけど、当初の志はすばらしいものだったと思っている。平等で、みんなが平和に豊かに暮らせる世界を目指した。その失敗の原因は、テクノクラートと呼ばれる公務員の腐敗にあった。
 社会に巣食うガンみたいに、栄養分を吸い付くし、本体を死なせてしまう組織にいつしか変貌してしまったのだ。勘違いしないで欲しいのだが、行政組織はちゃんと機能させなくてはならない。
 たとえば、定期的に行われる自動車免許の更新。ここに寄生して、労働に見合う以上の栄養を取っているガン細胞みたいな組織はないのか。
 たとえば、スーパーコンピューター「京」開発に投じられる予算のうちから、何割かをさらっていく組織はないのか。
 そういうものに、きっちりとけじめを付けてからの「消費税」議論なら、筋も通るが、そうではない。低所得者への定額給付と、すこし甘いアメをちらつかせれば、国民は納得するはずだ、というその姿勢自体が国民をバカにしている。
 税金の高い国というのは、国民が政治を監視し、行政組織もその監視を受けて、透明度を高くして、国民の信頼を勝ち取っている。
 今のまま、消費税アップしても、最終的に国民のサービスに回される分は、たいしたことがないだろう。パイが大きくなればなるほど、公務員にかすりとられ、公務員の福祉と老後の蓄えに回せるパイも大きくなるだけだ。
 また、それに付随する業者がかすめ取るパイが大きくなるだけ。
 格差社会。もしくは、砂時計社会。中流だった人々が、砂時計の砂のように、貧困層へどんどん落ち込んでいるなかで、公務員だけは、上にとどまろうとしている。まるで、崩壊寸前のときのソ連のようだ。

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by spanky2011th | 2011-12-31 00:41 | 世相 妄想随談

世界人口70億人突破


 ついに、世界の人口は70億人を超えてしまった。もちろん、これはよろこぶべきことであって、嘆くべきことではないが、しかし、いまの世界の経済体制は、その70億人の人々をみな幸福にするようにはできていない。
 産業革命以前、つまり人口が少なかった時代に発明されたルールを基本として、それをベースに、さまざまな改良(?)点を加えられて、現代に至っているといっていいだろう。
 世界に飛び火した格差反対デモにみられるように、格差があまりにもひどくなりすぎてしまったのだ。
 いまの経済体制も人間が作ったもので、神とかが作ったものでもなく、永遠不滅の正しい体制であるわけでもない。
 これを擁護するのは、甘い蜜を吸っている人たちだけで、その他の人々はうんざりとしているはずだ。ただ、それに変わる経済体制を思い浮かべることができないでいるだけなのだ。
 とくに、資本主義の弱点をきびしく見つめたマルクスが唱えた経済体制が、あのような形で終焉を迎えた姿を目撃してしまった私たちにとって、特にそうだ。
 そこにあったのは、官僚主義の弊害と、特権化した人々の醜いまでの自己中心主義であった。
 ここにメスを入れた形での経済体制を作れないと、世界には希望までもなくなってしまう。

 それにしても、過去の学説をただ研究しているだけの学者先生が多いのか、大きなスケールと卓越した構成力で、新時代の体制を唱えてくれる学者が出てこないのにはあきれ果ててしまう。
 もしかしたら、学者先生方にも官僚主義が蔓延し、新しい説を唱えたときの、他の学者からの総攻撃を畏れ、事なかれ主義がはびこっているのではないだろうか。

 
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by spanky2011th | 2011-11-01 21:51 | 世相 妄想随談

ウォール街のデモに思う

 ウォール街でくり広げられたデモ。アメリカの1パーセントの人々が富のほとんどを独占し、アメリカの大半が貧困に喘いでいる。その苦痛な叫びが今回のデモだ。「貧困大国アメリカ」や「大搾取」を読んでもらえば、その実態は明らかだ。
 広大な大地があり、豊かな自然の恵みがあり、その中で、 「自由」に金儲けできる時代は、資本主義でよかった。自然から搾取しても、ヒエラルキー内で処理されていたのが、中世以前の経済だった。
 人間が科学を手に入れ、大量生産・大量消費への道を歩み始めた産業革命以降、様子がかわっていく。自然から搾取する時代(開拓時代)を経験し、次に、他国からの搾取時代(植民地時代)を経験し、次にたどり着いたのは中産階級からの搾取する時代だった。こんなことをつづけていたら、人類は滅亡への行進を早めているだけだといえるだろう。
 資本主義という経済体制は、神が作り上げたものではなく、あくまでも、人間が何世代もかけて作り上げたものだ。人間が作ったものだから、人間の手で変化させることができないわけがない。
 ただ、やみくもに、これを正しいと信じるのは止めるべきだ。
 「日本古来の文化」という言葉同様、言葉に騙されてはいけない。このように書かれると、つい、長くつづいているから、それが正しいと思い込んでしまう。長くつづいているものの実態を細かく観察してみると、「日本古来の悪習」と言い換えた方がいい場合が多々ある。
 資本主義がいま、人類を破滅へと導こうとしている。
 人体を想像してもらいたい。脳、心臓、胃、腸、筋肉……とある意味、カースト性がひかれているといえる。しかし、すべてが関連し合い、必要な分だけの栄養が行き渡るようにできている。
 脳がすべての中心であるように思われているが、決してそうではなく、意識がいくら「心臓よ、止まれ』と命じても、心臓が止まることはない。
 おいしそうなお菓子を目の前に置かれると、「おっ、おいそうだ。食べようかな」と、思って、手を伸ばすわけではない。
 目が菓子を確認すると、よだれが出て、手が伸びてゆき、「おっ、おいそうだ。食べようかな」と思うのである。これが最近の脳科学の知見である。
  人体と同じような、すべての部分に必要に分だけの栄養が行き渡る「経済体制」を模索しなくてはいけないのだ。
 そのヒントとなるのは、お役御免と思われている「社会主義」にあるような気がする。あれは、「社会主義」が敗北したのではなく、社会主義を運営するエリートたちの腐敗堕落し、がん細胞と同じように、自分たちががん細胞と同じように、栄養を独占し、他の部分を顧みなくなってしまったからだ。
 「資本主義」の長所と、「社会主義」の長所を取り入れた経済体制が、次の経済体制だろう。しかし、それを維持するには、リーダーたちの腐敗をいかに防ぐか。ここに、幸福な未来への鍵がある。
 1パーセントの人々は、いま、有頂天でいるだろう。それが永遠不滅なわけでいると思っていたら、大間違いだ。がん細胞化して、あまりに肥大化しすぎている。
 このまま、つづくと、彼らも不幸になる。

 人間は科学を手に入れた。そして、さまざまな知識も手に入れた。その人間が、持続可能で、人類の皆が幸せになれる経済体制を作り出せないはずがない。
 既得権として、1パーセントの人々は、今の経済体制にしがみつこうとするだろう。抵抗し、様々な手をつかって、今の体制を維持しようとするだろうる
 しかし、庶民は賢くなった。新しい経済体制のモデルを提示されれば、十分、理解可能だ。
 1パーセントの人たちが、コソクな手を使えば、それは自分の首を絞めることになっていく。
 
 とにかく、いまの経済体制はチェンジされなくてはいけない。
 経済の成長神話がもたらしたものは、行き詰まった社会と、放射能で汚染された日本。
 古いパラダイムでしか、ものを考えられないリーダーは去るべきだ。投票しなしないべきだ。責任を取らずに、日本の未来像をきめていく官僚達も、庶民の手で、監視していくべきだ。
 公僕というのは公務員のことであって、公務員の生活を安泰にし、贅沢させるために庶民が僕になっている今の姿はまちがっている。

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by spanky2011th | 2011-10-09 14:03 | 世相 妄想随談

ガンジーの「人類の7つの罪」 「労働なき富」

ガンジーの「人類の7つの罪」について

 トルストイの童話に「人間にはどれだけの土地がいるか」というのがある。出発点からまるまる一日歩いて、また出発点に戻ってくる。それで囲えた土地が自分のものにできるというので、主人公は必死になって歩き、出発点に戻ったときに死んでしまうというものだ。結局、主人公に必要だったのは、自分のなきがらを埋める土地だけだった、という皮肉な結末だ。
 どこかの進学塾のコピーではないが、「夢は大きく、目標は高く」も結構だが、それが単に、どこまでも肥大化する、利己的な人間の欲望の肯定になってしまうところに、現代の問題点がある。何のために、「夢は大きく」持つのか。何のために「目標は高く」持つのか。
 単に、自分の物欲・名誉欲・権力欲などを満たすだけのものなのか。それとも、利他的なものなのか。ここに、大きな分岐点がある。

 ガンジーの「人類の7つの罪」では「労働なき富」を悪としている。

 以前も触れたことがあるが、庶民感覚では「おい、貰い過ぎだろう」というカルロス・ゴーン氏も、コストカッターとしての手腕を発揮しないと、いつでも株主に首をきられてしまう存在なのである。非情に徹して多額のマネーを手にするか、情けをかけて株主に首を切られるか。この選択をいつもせまられているのだ。他の人たちも同様だ。
 
 復興増税がいよいよ実施されるが、「労働なき富」でノウノウと生きている人々のふところはあまり痛まないようにできている。
 政治家が株などで儲けているのはみな知っていること。既得権益の所有者たちが寄り合って、日本を動かしているからだ。

 これは感覚的な問題だが、日本が変になりだしたのは「馘首」を「リストラ」、「売春」を「援助交際」などと、言葉をすり換えることによって、その実態を見まいとした90年代頃からのような気がする。 

 今、日本には、「働けど働けど猶わが暮らし楽にならざり」を実感している人で満ちあふれている。ワーキングプア、若者の就職難、老人の万引き……。貧困がじわじわと下から上へと広がっている感じだ。

 ワーキングプア……言葉を換えれば、「正当な労働により得られるはずの富」が、どこかで、誰かによって搾取されていると言ったらいいだろう。小泉政権が行った構造改革が、じわじわと庶民をいたぶっている。

 若者の就職難……真面目に学んで、社会に出て行こうというのに、そのチャンスまでもが、どこかで、誰かに潰されている。

 老人の万引き……家族が、もしくは社会がめんどうを見るべき老人達が捨てられている。核家族時代は終焉を迎え、無縁社会へと移行している。

 不気味な時代だ。こんな時代世相なのに、革命だ、と叫ぶ人が出てこないのが不思議なくらいだ。これが欧米なら、何万、何十万という人々がデモをおこなっていることだろう。暴動が起きていることだろう。

 「民主主義」のはずなのに、いまや、「金主主義」の時代ではないか。それも、たくさんの金をもっている人が「主人」になり、そうでない人たちは、彼らのための働き蟻状態だ。
 目に見えないカースト制度が日本を覆っている。

 働き蟻よ、革命を起こそうじゃないか。

 まずは、経済の仕組みを変えること。遠くのどこかの人々から搾取する資本主義でもなく、隣の人を抑圧する共産主義でもない、第三の経済の仕組みを生み出すこと。これが急務だろう。
 日本の学者の中にも、気骨のある人がいるはずだ。より多くの人が安心して暮らせる経済の仕組みを、真剣に生み出してもらいたい。
 昔読んだ本だが、地球の食料で考えると、120億人くらいの人口を支えるのがいっぱいいっぱい、とあった。
 つい先だって、70億人を突破した。時間は残されていないのだ。70億人の人々が幸せに人生を全うできる経済システムを考案してほしい。
 
 既得権益をもっている人人が、その「経済システム」を潰しにかかるだろう。

 それに対抗する革命勢力は、暴力革命ではなく、非暴力でなくてはならない。非暴力の最大の武器は、「いま、なにがおこなわれているか、それを正しくみんなに知らしめること」、これしかない。

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by spanky2011th | 2011-10-04 20:31 | 世相 妄想随談