カテゴリ:世相 妄想随談( 32 )

台風の被害を拡大させている気象庁の台風情報独占

 台風の被害にあった人に、心からお見舞い申し上げます。

 以前にも書いたが、気象庁は台風情報を独占している。この独占が被害を拡大させていると断言していいだろう。この独占を止めさせて、どのように台風情報を伝えるべきか、民間にルールを作らせて、台風被害防止の知識を啓蒙する形での気象予報にすべきである。
 二、三年前に、本当にあった話なのだが、ある民間の気象予報会社が「ただいま、台風が××に上陸しました」との情報を顧客に知らせたところ、後日、その会社は気象庁から厳重注意を受けてしまった。予報ではなく、事実を伝えただけなのに、気象庁が発表する前に情報を提供してしまったがため、気象庁がカンカンになってしまったのである。
 民間の気象予報の方がきめが細かく、精度も高いのは常識である。
 これも、あまり知られていない事実なのだが、気象予報士は「台風に関しては、気象庁が出した以上の予報はしていけない」とされているのだ。そして、これに違反したときの罰則にはあきれ果ててしまう。なんと、苦労して手に入れた気象予報士の資格が剥奪されてしまうのだ。
 テレビでの台風情報を見ていていつも思うのだが、台風前に、本当に必要とされる情報が視聴者に提供されていない。
 今回の台風でも、台風接近とともに台風情報がテレビで頻繁に流された。ユーチューブに投稿された台風情報を見てもらいたい。




 テレビ局は、気象庁からの指導が入らないように、予報にかかわるところは巧みに逃げまくっているのがわかるだろう。事実として起きていることばかりを報道し、これからなにが起きようとしているのかは報道しないのである。
 たとえば、その中で、「窓ガラスを守るために板で覆う男性」を紹介している。本来は、台風で窓が破れてしまったとき、どういうことが起きるのかを知らしめなくてはならないのに、だ。窓ガラスが割れると、風が屋内に流れ込み、屋根が内側から吹き飛ばされてしまうという台風被害の常識が報道されないのだ。
 通常は、こんな風に、アバウトに注意勧告がなされる。
 


 もう少し、詳しくなって、こんな具合だ。雲の流れ、雨の量がどのくらいなのか、もう少し、細かく知らされていたら、こんな被害が大きくならなかっただろう。



 台風は、台風の本体の右側が被害が大きくなるのは、これまた常識。湿気を大量に含んだ風が、山脈にぶつかり、大量の雨として降るのも、これまた常識である。雲の流れを見てもらいたい。一年間に降る雨の三分の二近くが、この台風によりもたらされるとは想定できなくても、なにが起きるかは想像できたのだ。
 ただ、報道されなかっただけなのである。
 「触らぬお上にたたりなし」で、テレビ局は、事前に、具体的な注意を勧告しなかったのだ。
 台風一過の快晴とならないで、まだ、雨が降り続けることがどういうことをもたらすのか、当然、想像できていたはずである。想像できていなかったら、その気象予報士は、とんでもない大バカものである。
 しかし、
「ひきつづき、土砂災害や、低地の浸水、河川の氾濫に厳重に警戒してください」
というような、あいまいな表現しかされない。これしか、許されていないのだ。気象庁の独占のせいで。
 





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by spanky2011th | 2011-09-05 18:44 | 世相 妄想随談

いま必要なのは職業政治屋ではなく、志の政治家

「いま必要なのは職業政治屋ではなく、志の政治家」 

 今はどこの大学も、経営的に厳しいときく。教授といえども、高校回りをして、自分の大学の素晴らしさを宣伝し、一人でも多く受験してもらおうと悪戦苦闘している、ときく。
 研究に没頭したくてもできない現状。文系はまだしも、実験しなくてはならない理科系はとくにひどいらしい。
 私は、国家の下に学問があるのではなく、学問が民衆とともに国家を監視すべきであり、学問が民意を汲み取り、国家の進むべき道を示すべきであると考えている。学問の世界に詳しい訳ではないが、いろいろな学説が対立する場合も多いだろう。
 しかし、その対立は止揚するために必要なものであり、その対立なくしては進歩はない。時間がかかろうが、考え抜いていくうちに、やがて正解が見えてくるものだ。
 「君の説には反対だが、君がその説を主張する自由は断固守る。」
という学者の態度が、学問の自由を死守するためには必要だろう。
 この態度なくして、教育権を司法・行政・立法から独立させても無意味であろう。政治の世界はある意味、数の論理で、少数意見を尊重しつつも多数意見が通っていく。
 しかし、学問の世界は、時間はかかるが、少数意見が多数意見を凌駕していく。正しい方へ、正しい方へと流れていくのが常である。ときには、10年、20年と非常に時間がかかる場合もあるだろうが、それでいいのだ。

 歴史は400年くらいで大きな節目がきて、次の歴史が始まるという説がある。
 私は、いま、資本主義(アンチとして登場した社会主義・共産主義)が終焉を迎えようとしている気がする。いや、未来のために、終焉を迎えさせなくてはならない、と思っている。
 大量生産・大量消費の時代がいずれ行き詰まるのは、ローマクラブの「成長の限界」で指摘されていたことだが、いよいよ限界に近づいてきたように思う。日本の大量生産・大量消費の原動力になっていたのは、原発といっていいだろう。
 ワールドウォッチ研究所の「地球白書」に書かれていたことが、現実化してきている。十数年前なら異常気象と報道されていた現象が、ここ数年はごく当たり前のこととして報道されている。去年同様に熱中症で死者がでる酷暑が異常気象でなくてなんだというのだ。
 異常気象が常態化して、異常と感じなくなってしまったのは、私たちの感性が異常だからなのか。
 世界のトップクラスの豊かな国であるはずなのに、5人に1人が200万円以下で暮らしている貧困大国ニッポン。それを作ったのは人間である。
 異常気象を作り上げたのも人間である。
 人間が作り上げたものを、人間が変えられない訳がない。
 
 進むべき道はみんな判っているのだ。ただ、その方向に、メガマシーンのニッポンが舵をきることができないでいるのだ。どのように舵を切れば、混乱を引き起こさずに、安全に方向転換できるのか、それができるのは政治家ではなく、学問の世界だろう。
 政治家が学問の世界に真摯に学び、学問の世界が狭い学界に閉じこもらずに民衆の中に飛び込み、民衆がエゴにとらわれない、賢さを見せる。この幸福な関係をきずかなくてはならない。
 よく「政治家が悪い」といわれる。たしかに、いまの政治家は、世襲制の政治屋と、官僚出身の政治屋と、松下政経塾出身の政治屋ばかりで、志の政治家がいない。
 松下政経塾出身者も、初心を忘れてしまったようで、政局やポスト欲しさばかりに気がとられているような気がする。
 松下幸之助はかつて「年度ごとに予算をすべて使い切るいまのやり方を変えれば、無税にすることができる」と言った。無税はともかくとして、そのことだけでも松下政経塾出身者が力を合わせて実現化してもらいたいものだ。




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by spanky2011th | 2011-08-11 15:01 | 世相 妄想随談

「わたしと風評被害と放射能不感症」

「わたしと風評被害と放射能不感症」 


 女房曰く「福島の人は可哀想。テレビに映る映像見ていると、あまり被害が深刻そうに思えないんだもの。」と。
「いくら、マスクをしていても、その向こうに見える風景は、緑豊かで、空気も澄んでで、東京よりもずっと住みやすそうなんだもの。津波で壊滅した町と比べて、大変そうに思えないんだもの。東京から見ていると、福島のお母さん方が神経質すぎるように映ってしまうんだもの。」と。
 女房が放射能の恐ろしさを知らないわけではない。私は見てないが、単館でやっていたチャルノブイリの原発事故の映画を友人と見に行っているくらいだから。
 女房曰く「チェルノブイリもそうだったけど、自然がきれいなのよね。故郷で暮らしたくなるのも判る気がする。」と。
 
 見慣れてしまうと、感覚的に風化してしまう。頭では放射能の恐ろしさは判っていても、慣れてしまうのだ。神経が麻痺して、怖くなくなるのだ。深刻に感じなくなるのだ。ある意味、放射能よりも恐ろしいのは、この放射能不感症ではないのか。 
 私たちは、これを警戒しなくてはいけない。
 広島に落とされた原爆の20倍の放射能が日本中にばらまかれたというのに、現在も進行形であるというのに、相手が「見えない・匂わない・味がない」敵であるために、等身大で警戒することができないのだ。
 怖い、怖いといくらいわれても、私たちが目にし耳にするのは「**ベクトル」というような数値化されたデータでしかないのだから。つくづく厄介なものだと思う。

 フクシマの風刺詩を作りました。元にしたのは金子みすゞさんの詩「お魚」です。 

 「フクシマ」

 フクシマの物はかわいそう。

 お米がフクシマでつくられる、
 牛も牧場で飼われてる、
 魚も海にはたくさんいる。

 でも、フクシマ産のものは、
 電気以外はいりません。
 見えないあいつが怖いので
 安全確認されるまで、
 トウキョーには一歩もはいれません。

 安全確認されてはいってきても、
 南の物を買うでしょう。

 ほんとうにフクシマの物はかわいそう。




 大震災で国民的詩人となった「金子みすゞ」さんの詩が曲になっています。完全に忘れられていた詩人なのに、ある熱烈なファンが執念で発掘し、世に出し、そして、国民的な詩人となってしまう。不思議なものを感じます。宮沢賢治の同じ道をたどりだしています。

わたしと小鳥と鈴と




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by spanky2011th | 2011-08-06 09:19 | 世相 妄想随談

「教育権の独立」が脱原発の近道

 サッカーの基本は、相手が嫌がることをやれ、である。権力者たちがもっとも嫌うもの、それが教育権の独立である。

 いまの日本(政治などのことです)は変な姿になってきた。というより、もともとそうだったものが、顕在化してきただけなのだ。
 
[ 原発事故に直撃された福島県で今月、脱原発団体が批判する学者や機関と県内の大学との連携の動きが相次いだ。福島大学は独立行政法人・日本原子力研究開発機構(原子力機構)と連携協定を締結。福島県立医大では「年間一〇〇ミリシーベルトの被ばくまで安全」と講演した山下俊一・長崎大教授が副学長に就任した。地元では「大学の権威で、被害の訴えが封じられるのでは」と、懸念する声も漏れている。] 東京新聞(7月28日朝【特報】)

 何度も主張しているが、「教育権の独立」こそが日本の未来を切り開いていく近道である。

 日本には、独裁者もいなければ、カリスマもいない。ただ、利権の旨味をすっている複数の有形無形の組織と人々がいて、それらが複合体をなして、自分たちの都合がいいように、都合がいいようにと、物事を運ぼうとするのだ。
 その典型が、東京新聞で報道されている根回しなのである。
 大学はいま経営危機である。どこも資金繰りに苦しんでいる。たぶん、「連携協定を締結」はそこを突いてきたものだろう。
 京都大学の反原発の研究者たちが冷や飯を食わされていたのも、同じ理由からだろう。
 とにかく、裏からこっそりと「学問の世界」に近づき、自分たちに都合のいい学説を唱えてくれる学者を、組織の中心に据える。
 九電のメール問題も、根っこは同じである。裏からこっそりと仕込む根回しは、気づきにくい。

 全体観と部分観で、物事はみなくてはいけない、といわれている。いまの日本の政財界を見ていると、目先の利益のみに眼がいき、全体観がなくなっている。
 外国から日本が、「衝突回避機能付き行き先不明漂流物である」と揶揄されるのも当然だ。
 利害の対立が起きて衝突しそうになると回避し、まだ、じわじわとまた同じことをやりだす。根本的解決の筋道を模索しようとしない。中国・韓国・ロシアとの国境問題も、「日本の固有の領土」と主張しておきながら、衝突しそうになると回避してしまう。根本的解決を模索しない。

「利権の旨味をすっている複数の有形無形の組織と人々」にとって、理想の人材とはどういうものか。人文科学系、とくに、いま流行の「正義とは何か」というような問題には関心がなく、それでいて、専門分野ではとびきりに優秀な人物だ、といえるだろう。
 いまの大学を見ていると、こういう学生を育てる下請け機関になりさがっているのではないか、と思うところもある。
 「正義とは何か」という倫理に目覚め、専門分野でもとびきりに優秀な人物が、一市民の立場で、政治や経済にも監視の眼を光らしだしたとき、日本は変わりだす。
 「正義とは何か」という倫理に目覚め、専門分野でもとびきりに優秀な人物が、と書いたが、これはたとえだ。去年の暮れ、日本に感動の渦を巻き起こした、たくさんの「タイガーマスク=伊達直人」たちが、一市民の立場で、政治や経済にも監視の眼を光らしだしたときにも、日本は変わりだす。

 復興税の問題が出てくると、必ず、「税の公平な負担」というステレオタイプな言葉がでてくる。しかし、彼らが絶対に口にしない言葉がある。全体観で見れば、あまりにも当たり前すぎることである。
 
「その前に、富の公平な分配がおこなわれているのか」


 最低賃金問題が云々されていたが、これを引き上げられたら、倒産してしまう中小企業がワンサカとある。とにかく、弱肉強食で、弱い立場のものが泣きを見る市場原理のみでいいのだろうか。ここでも、「その前に、富の公平な分配がおこなわれているのか」が問題になる。
 
 震災当日、東電会長は中国にいた。そのとき、マスコミOBもいっしょだったと報道されていたが、このマスコミOBたちは、現役時代、どんな記事を書いていたのだろうか。 
 だれか、調べて教えてくれないものだろうか。



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by spanky2011th | 2011-07-29 19:29 | 世相 妄想随談

やめられない、とめられない

 いまから40年前ほど前、私が高校生のとき、地理の先生が授業前に突然、「私たちが気づいたときには、もう止められないという仕組みがある」という趣旨の発言をしたことがあった。
 それは、先生の住む近くに高速道路が建設され、その反対運動をしていて感じたことだそうだ。
 きょう、地デジへの完全移行が行われたが、これも、どこか私たちの知らないところで決定され、スカイツリー建設も決定され、すべて青写真が出来て、組織も作られてから、「2011年7月23日正午地デジ完全移行」という告知が始まる。
 決めるのは、お役所と放送局と、その他もろもろの利益関係組織で、わたしたち利用者はいつも蚊帳の外というのが現状だ。
 いま、気づいている人々は気づいているだろうが、スポンサー離れが激しく、民放は青息吐息で、低予算で番組を作っている。地デジどころの状況ではない。
 ホリエモンがある放送局にレバレッジをかけたころ、こんな状況が来ると誰が予想しただろうか。あのころは、テレビのデジタル・双方向性化で、たとえば番組中にタレントが着ている洋服が、注文をだした数日後に届くように出来る、と夢のようなことが囁かれていた。
 商品が届くことが夢のようなのではなく、バブルがはじけたとはいえ、こんな切り詰めた経済状況になるとは、当時だれも思わなかったのだ。
 民放は、デジタルの特性を活かした、物販なども行うというサイドビジネスに投資する余力もない状況だ。ただ、アナログを廃止しただけで、デジタル移行の旨味が何もない。
 国民の大半がブツブツ文句をいいながらも、デジタル化に従った。しかし、大口のスポンサーがCMを流さないようになり、ここ数ヶ月、デジタル化に一番反対したかったのは、意外にも民放テレビ局ではないのか、と思えてならない。




 一度動き出したら、当事者といえども、止められない。それが今の日本という国のありようではないのか。
 「和を持って尊しとなす国」日本は、なにをやるにも、合議制でやる。はっきりとした意志決定組織をつくらない。責任の所在をはっきりさせない。ずるいのである。
 はじめは小さな組織で、「こんなものじゃないかな」レベルでスタートし、その組織にさまざまな思惑や利害が絡み付き、もたれ合い、互いの思惑や利害を調整しながら、どんどんと組織が大きくなっていく。
 メガ・マシーン化して、私たち国民の目に触れるようになったときには、もう、だれもその動きを止められなくなっている。一市民としては止めたいと思っても、メガ・マシーンの一部に組み込まれた当事者たちは、自分をはじめ多くの人たちの生活がかかっているから、止められない。
 どこへいくのか行き先を決められない、それが日本という国だ。政治家が変えようとしても、官僚組織が止めに入る。官僚が止めようとすると、その官僚は窓際に追いやられてしまう。

 「経済産業省資源エネルギー庁が原発に関するメディア情報を監視してきたことが、本紙の調べで分かった。本年度発注分を含めると、外部委託費の総額は四年間に約一億三千万円に上る。昨年度までは、いずれも電力会社役員らが理事を務める財団法人が受注していた」(東京新聞H23/7/23)
というような、こんな組織まで作られてしまうのだ。

 アウシュビッツ収容所の所長のルドルフ・ヘスを思い出してしまう。彼は信仰心も厚く、家庭人としても立派であったと言われている。
「しかし命令という事が、この虐殺の措置を、私に正しい物と思わせた。当時、私はそれに何らかの熟慮を向けようとはしなかった。私は命令を受けた。だから実行しなければならなかった。」

 原子力がなければ、いまの日本の国は成り立っていかない。とあくまでも、仕事に忠実であり続けようとしている人々がいる。自分の信念に忠実であるのは立派だが、それ以外の生き方があるとは信じられない人人がいる。彼には、大局的な視点しかなく、巻き込まれる被害者のことは念頭にない。その大局的な視点も、自分は偏っているのではないか、という自省する謙虚さもない。
 彼のいう大局的視点というのは、日本全体の国民というのではない。百年後の日本の子どもたちのことでもない。目先の利益にきゅうきゅうとしている、自分の周りにいる経済人たちのことを、大局的視点と信じているのだ。
 戦時中の指導者と同じだ。




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by spanky2011th | 2011-07-24 20:57 | 世相 妄想随談

日本語を考える人が、エネルギー問題を考えると「こうなる」(2)

 
「教育権の独立」が脱原発の近道

菅直人が唐突に「脱原発依存」宣言をし、脱原発派の人々が勢いづいているはずなのに、なぜか、それほどの勢いを感じない。
 それもこれも、あまりに唐突で、彼の言葉が信用されてない証拠だろう。辞任するはずの人が、最後に名誉心からいいだした、としか思われていないのだ。
 ナウシカの荒れ果てた大地を作ったのは、与謝野薫氏のような、真面目で教養もあり、子どもたちの未来に豊かさを残したいと願っている人々だろう、と以前書いたが、なんの構想もなく、ただ、原発をとめればいい、という問題ではない。
「上司は思いつきでものをいう」というタイトルの本があったが、思いつきで発言する上司にふりまわされた経験のある人なら、この手の人物がいかに厄介であるか、説明するまでもないだろう。また、その手の人物が指揮をとると、まとまる話がまとまらず、ただ混乱を現場にもたらすだけ、というのも納得してくれるだろう。

 言ってしまおう。
 妄想癖のある私は、いまという時代を、消費文明が終焉を迎え、新たな持続可能な、次なる文明の駘蕩期ではないか、と思っている。
 歴史学者トインビーではないが、新しい勢力が古い勢力に挑戦する。しかし、古い勢力もだまっていない。これを潰しにかかろうと応戦してくる。どちらが勝つかはわからないのだ。
 次なる文明がどんなものなのか、私の妄想も追いつかない。ただ、それは持続可能な経済発展を指向したものになることだけは確かだろう。
 平和学者ガルトゥングの「資本主義は遠くの人から搾取し、共産主義は隣の人を抑圧する」ではないが、資本主義も共産主義も限界にきている。
 もともと、その底辺の理念は「自由・平等・博愛」のフランス革命から来ている。
 平等を指向した、偉大なる実験だった共産主義は、テクノクラートという特権階級により、不平等が恒常化し、資本主義よりも早く終焉を迎えた。終焉を迎えるにあたり、テクノクラートはソ連の財産だったもの(国有企業など)をこっそりと私物化し、財閥となった。
 自由を指向したアメリカも、いまや「貧困大国アメリカ」という不名誉なレッテルを貼られてしまっている。アメリカの高学歴高収入の人々も、いつ、貧困に転げ落ちるか、見えない影に怯えている。だから、余計にお金にしがみつく。「暴走する資本主義」(R・ライシュ)が、全世界に貧困を巻き散らかしている。
 以前、私はこんな妄想を心に描いていた。人体の血管のように、多国籍企業のネットワークが全世界を覆うことにより、世界中に富をめぐらせるのではないか、と。
 しかし、それは単なる希望的妄想にすぎなかった。実態は、世界中の富がどんどんとどこかへ消えていき、飢えた子どもたちばかりが増えてしまった。

 とにかく今真っ先にやらなくていけないことは、司法・行政・立法の三権から、教育権を独立させることだろう。
 たとえば、震災復興などというと、銀行系のシンクタンクなどがしゃしゃり出てくる。
 教育権の独立により、震災復興などのプロジェクトは中立的立場の学者にたててもらう。もしくは、賛成派反対派が同数参加して、たててもらう。
 その上で、これに市民運動の人々にも参加してもらい、ともに具体的なシミュレーションをたてるのだ。この現場と学問の世界の交流こそが、遠回りのようだが、一番の近道なのではないか。
 今夜放送されたNHKの「クローズアップ現代」。社会に貢献したいという市民がお金を出す「市民ファンド」。新しい勢力は確実に生まれている。
 脱原発依存も、この学問の世界と、現場の市民の世界との信頼関係が作られて、その上で、彼らが描いた「脱原発シミュレーション」に沿ってすすめていくのが、最良だろうと私は信じている。



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by spanky2011th | 2011-07-21 20:15 | 世相 妄想随談

エネルギー問題を考える

日本語を考える人が、エネルギー問題を考えると「こうなる」
 本来、「日本語を考える」つもりでブログを立ち上げたが、ここ数日、エネルギー問題ばかりを考えている。
 日本語力の低下に拍車をかけているその元凶は、明治時代に作られた学校文法を後生大事に温存し、教え続けている人々にある、と私は思っているが、それを検証する機会も時間もいまのところないので、いずれ、じっくりと考えていきたいと思っている。

 エネルギー問題について。私の立場を述べれば脱原発派。しかし、やみくもに原発を止めろ、という立場ではない。
 福島の「greenwich-village」さんのブログにかき込んだように、私は、へんな妄想を抱いている。

 それは、原発を止めたとたん、電力不足になり、日本の経済が立ちゆかくなくなり、「日本中から電力をよこせ」という世論が巻き起こり、無理して原発を再稼働させたときに、大事故が起きる、というものだ。

 ご存知の通り、日本には資源がない。外貨を稼いで、パンも、肉も、衣類も買って、日本の生活はなり立っている。この流れが壊れてしまうのである。
 大きく分類すると、選択肢は次の3つしかない。

(1)原発をただちに止める。ただし、与謝野馨氏が述べているように、貧乏国になるという代償がつきまとう。それも、私たちが思う貧乏以上の貧困が襲う。日本の食料自給率を考えると、餓死する人も出るだろう。日本の国土から考えると、適正人口は5000万人と聞いたことがある。6000万人近くの人の食料をどう調達するのか。

(2)低炭素時代になるために、原発を使い続ける。豊かさは当分続く。ただし、限界ある地球が悲鳴を上げたとき、または、今回の大震災のような事態が起きたとき、とんでもないことになる。また、使用済み核燃料の問題は、次世代に背負わせる。原発推進派も、化石燃料に変わる代替エネルギーがあるのなら、本音では原発に頼りたくないと思っている人が多いはず。それまでのつなぎとして、原発をつかいつづけるという立場の人が多い。

(3)徐々に、脱原発、脱化石燃料社会へシフトしていく。口で言うのは簡単だが、実は、これが一番実行が難しい。
 例えば、原発で生活している人たちが職を失う。また、それに関連した人々が職を失う。この人たちをどうするのか。昔みたいに、海外へ棄民するのか。 
 与謝野氏が言うように、エコ発電は場所を食い過ぎる。ソーラーパネルを敷きつめるという単純な物ではない。日本の建てられるすべての場所に風力発電を建てるとして、どれだけの敷地が必要なのか。それで、どれだれの電力が作れるのか。


 いま、(3)の立場の人たちがやらなくてはならない喫緊の課題は、「どうやったら、脱原発、脱化石燃料社会へ移行できるか。持続可能の経済のシステムはどういうものなのか。空想科学ではなく、あくまでも現実として、そのシミュレーションを作ることである。ゲーム「シムシテイー」のように、失敗したら、やりなおせばいいという物ではない。ちょっとした失敗が、何万人の命をうばう、というものなのだ。もしくは、ホームレスに転げ落ちる、というようなものだ。舵取りを失敗すると、内戦状態になる可能性も捨てられない。


 菅○人が行った「脱原発依存」記者会見は、世界に「日本の総理、脱原発宣言」として報じら(ニューヨーク・タイムズ)、世界は「日本の国際公約」と受け止めている。
 翌日には、「私の個人的な意見を述べたもの」と釈明しているような人物に、このような難しい問題の舵取りができるとは思えない。
 また、専門家に任せればいいという問題でもない。軍事の専門家に、軍事のことを任せると、ほぼ戦争になる。頭の中のパラダイムが、どうしても戦争を招き入れてしまうらしい。
 心理学でいう「見えないゴリラ」のように、専門家は熱中するあまり、集中していること以外のリスクを見逃す確率が高いからだ。
 また、解体されることを怯えたメガ・マシーンはロビー活動を活発に行うだろう。ありとあらゆる手段を使って、政治家・官僚・学者に働きかけ、生き残りをはかるだろう。
 へんな言い方だが、もし私が原発関係の仕事をしていて、平均年収の2倍近い額をもらっていたら、どんな手を使ってでも、その仕事を手放さないだろう。
 そして、原発事故のような想定外のことは、もうおこらない、と信じ込むだろう。脳は、自分自身にも嘘をつくのだから。

 第一歩として、まず、やらなくてはならないことを箇条書きしてみた。大きく、これも3つあると思う。

(1)化石燃料・原発の代替エネルギーを育てる
(2)低エネルギー社会への移行
(3)その環境づくり


 例えば、「(3)その環境づくり」にしても、次のようなことが思い浮かぶ。
(1)立法・行政・司法から、教育権を独立させる。本来は、学問の世界が三権を監視しなくてはならないのに、支配下に置かれてしまっている。
(2)予算を年度中に使い切る国の仕組みを改める。故松下幸之助氏がいった提案。松下政経塾出身の政治家が多いのに、これを実現しようとする政治家がいないのは日本の七不思議の一つ。
(3)行政の透明度を高める。お金の入りと出をガラスばりにし、無駄に浪費したのではないかを市民がきちりチェックできる仕組みを、行政が積極的に築き上げるべきだ。
(4)浮かせた予算で、実現可能代替エネルギーを育てる
(5)現行の電気料金決定の法律等を改める。いまの料金体系は、原発のような高い箱物を作った方がもうかる仕組みになっているそうだ。
(6)大規模発電と小規模発電の有機的なネットワーク作り。ナデシコジャパンで触れたこと。

                          などなど。


 このシミュレーションは、一人のアイデアではなく、大局的な視点から物を考える人々の英知を結集しなくては、完成しないだろう。
 たとえば、経済界の代表がこの作成に加わると、いつしか、経済界の有利になるようなものに変質されてしまう。金融界しかり。全体観で考えなくてはならないところを、どうしても団体観で考えてしまうからだ。


 私の試案に付け加えたいアイデアがありましたら、かき込んでください。もしくは、自分の案がありましたら、お教えください。


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by spanky2011th | 2011-07-17 10:31 | 世相 妄想随談

「なでしこジャパン」に見る日本のエネルギー問題(3)


 昨日、書きたかったことの続きを書く。
 「なでしこジャパン」は、こまかくパスをつないでいく。ここに、日本らしいエネルギー問題の解決法が見える。

 例えば、日本の電気も、東電・関電・九電などと連例を深め、互いに余った電力をやり取りする。足りない需要予想のときには、前もって、他社にお願いをしておく、というような、スタイルを築き上げることだ。そのスタイルは、電力会社というメガ・マシーン同士はあたりまえだが、ソーラーパネル発電をして、余剰電力を電気会社に買い取ってもらっている人々や、新規に発電に乗り出す人々にも広げていく。

 原理的には、大昔の、精米するための水車小屋でも、発電は可能なのだ。小川でも、流れがあれば発電は可能なのだ。東京の地下にある巨大下水道でも、やろうと思えば、発電は可能なのだ。 
 近年、多くなった一時間100ミリを超える雨。それを下水にただ捨てるのではなく、どこかにプールできれば、発電は可能なのだ。
 私たちが水とともに捨てている糞尿。これからも、発電が可能だ。微生物からも発電が可能なのだ。
 通勤時間帯の駅の揺れからも発電は可能なのだ。
 草を食べて牛が出すゲップ(メタンガス)からも発電が可能なのだ。実は二酸化炭素よりも温室効果ガスとしては大問題とされている。
 こういった、小さな発電を、ニュービジネスにつなげていく。


 原発と比べれば、規模が小さすぎる、と原発推進派はいう。
 これは弱点ではなく、強みなのだ。どう組み合わせるか、によって、大きな雇用を生み、安定した電力供給もでき、放射能のような危険度はない。

 と、同時に、節電技術の向上もはからなくてはならない。

 いま主流の建物の内断熱。これを外断熱主体にし、補助的に内断熱を使う。グリーンカーペットも外断熱の一種だ。
 ソーラーパネルの代わりに、屋根に水道管を万遍なくひきつめるだけで、太陽光⇨電気⇨お風呂の湯よりも、効果的にお風呂の湯がたける。
 河川の空気の流れも、研究しなくてはならない。韓国ではすでに成功した例があるが、自然に戻すことにより、河川がヒートアイラントを冷やす効果があるのだ。
 銀座のミツバチプロジェクト。これなども、省エネの一つのヒントだろう。


 ただ、問題は、都心の交通機関の時刻表よりも綿密な、有機的なシステムを作らなくてはならないことだ。それができるのは、今のところ、日本人とドイツ人しかいないのではないだろうか。
 しかも、この分野では日本人の方が向いているような気がする。このスタイルが構築できたら、世界は技術を買い取りにくるだろう。
 サッカー同様に、地震大国で、資源のない島国に住む私たちは、自分たちのスタイルのエネルギー問題解決法を切り開いていくことだ。
 


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by spanky2011th | 2011-07-16 09:58 | 世相 妄想随談

「なでしこジャパン」に見る日本のエネルギー問題(2)

 どういういきさつでだったか忘れたが、オシム監督が「どんなフォワードがいやか、中沢と闘莉王にきいてみなさい」とマスコミ陣にいったことがある。きっと、対戦相手が大男ばかりで、日本人の体格が見劣りしている、といった文脈の中で出た発言だったと思う。
 これを聴いたとき、「さすがだ」と私は思った。そして、いま、世界に出て活躍している日本人選手が身長差はあまりサッカーとは関係ないと証明している。
 背の低い(香川のことをいっているのではありません)ということは小回りがきくということで、足が短い(長友のことをいっているのではありません)ということは、重心がしっかりしていて、当たり負けしないということにつながっていく。
 「なでしこジャパン」がアメリカ人並みの体格だったら、戦術と技術の差で勝敗が決するだろうが、今回は、まったく分からない。ティラノザウルスに立ち向かう、チーム・ヴエロキラプトルの対決のようだからだ。
 日本の背の低さ(つまり、小回りのきく体型)が有利に働きそうだ。しかし、相手も研究してくる。だから、こちらも更なる研究をしているだろう。
 「日本が勝つか」とTVではそればかりだ。が、本当の楽しみは、互いがどう互いの長所を出し切り、または、互いがどう相手の長所を消し去ろうとするのか。
 流れの中で、監督がどう采配を振るうのか。また、どんなビューティフルなアイデアがとびたしてくるのか。
 近年まれに見る名勝負が展開されそうだ。なぜ、それを楽しみにしないのか、私には理解できない。
 桜梅桃李というではないか。世の中、どうしようもないことがある。桜が梅になったり、桃が李になったりはできない。どうしようもないことがあるのだ。
 しかし、そのどうしようもないことを優劣とは思わず、差異にしか過ぎないと信じて、自分たちのサッカーをとことん追い求めていく。そうやって切り開いて(築いて)いったのが、いまの「なでしこジャパン」の姿だと思う。

 さて、私には子どもの頃から妄想癖があった。「共有地に悪魔が棲む理由」で妄想した悪夢が、いま、現実になろうとしている。よって、改訂することにする。
 手柄を立てようとして、「例のあの人」(ボルデモードではありません)が、「脱原発依存」のへんな動きをしだしたのだ。「脱原発依存」はいいが、慎重を期さなければいけないことを、お気楽気分でいいだした。めちやめちゃにしそうで、とても怖い。

 最先端医療の手術室では、いま、手術がおこなわれている。それを、ガラス越しに2階から眺めている人物がいる。(テレビ「医龍」のワンシーンを連想してもらいたい)
「原発を廃止することにする」
「えっ!」
 チームのみんなが唖然としている。
「そんなの、ヨーロッパでは当たり前のことなんだ。」
と、どなり口調の医院長の声が流れてくる。
「この前、医院長を変えようという動きがあった時、やつは辞任をほのめかした。それで、なんとか、その場は逃れた。でも、いつ、やめるか、はっきり明言しなかった。いま、やつは必死なんだ。一発逆転をねらい、手柄を立てたくてならないのだ。だから、いまのあいつが一番怖い。なにをしでかすか、わからん。あっ、まずいぞ。あいつの鼻の色が赤くなってきたぞ。また、なにかしでかすつもりだ……」


また、それ以前に、こんな妄想も抱いた。

 いま、ビッグビジネスのチャンスとばかり、鵜の目鷹の目で、そのお金に群がろうとしている人々がいる。一時期、被災地にお金がおとされる。しかし、そのお金はいつしか、東京などに還流され、一部は政治家に献金され、やがて、資本マネーで潤っている人々の懐へ入っていく。そして、被災地では、そのお金によって実体経済が育つ訳ではない。
 いわば、食い物にされるのだ。


 再生可能エネルギーを高い価格で買い取り、普及を加速化させる仕組みそのものは大いに結構。しかし、それにある条件を付け、一般的な人たちを排除し、やわらか○ンクなどが金儲けをしようとしている。
 アイデアマンなのはいいが、ガムシャラに金儲けに走りすぎていないか。

 「成長の限界」(1972年 ローマ・クラブ)発行から約40年経つが、いよいよ、限界があちこちで現象として現れている。
 石油を使い尽くし、中国のレアメタルを全世界が奪い合う。
 それでも、政府は、日本の経済成長のため、使い捨てが持続すると信じて、地デジ完全移行を断行する。移行したら、庶民は、十年に一度はテレビを買い換えなくてはならないハメになるのだから、こんな有り難い話はない。パソコンも旧型はどんどん使えなくなる。だから、次から次へと買い替えてくれるから、経済成長はいつまでも続くのだ、と信じて。
 でも、地球にはそんなに無尽蔵の資源がないのだ。
 温暖化の影響でアメリカでは巨大竜巻や山火事が頻発し、日本を襲う台風も年々巨大化し、集中豪雨というよりもスコールに近い雨。疫病も次々と新型が登場し、どうなっているのかと思うほどだ。
 さらに、年々増え続ける使用済み核燃料棒という巨神兵が、全世界のあちこちで眠り続けている。どの国も、この疫病神をどう始末しようかと悩みながら。深い海溝に捨てるか、何万年も奥深くの地底に埋めるか。いずれ、だれかがすごい技術開発をして、この巨神兵を安全にしてくれるさ。望みうすなのは知っているが、とりあえず、自分の代ではあばれださないだろう、と信じて。
 持続可能な成長を真剣に模索しなくてはいけないときだからこそ、名誉欲の連中とか、自分の金儲けしか頭にない連中とかは、われわれ庶民が監視し、見破っていかなくてはいけないのだ.

 ここで、妄想.
 だれも彼のことばを信じなかったら、あのヒトラーも大悪人ではなく、大ピエロ。




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by spanky2011th | 2011-07-15 20:13 | 世相 妄想随談

「なでしこジャパン」に見る日本のエネルギー問題

日本のエネルギー問題の日本化

決勝進出、おめでとうございます。
 澤選手を中心に、チームが一体となり、こまかいパスを繋いでいく、日本人にあったサッカーが、ついに日本に生まれたような気がします。しかも、そのサッカーは、相手が「どうせ細かく繋いでくるんだ」と思っていると、その裏をかきロングもうってくるという、実に相手に取ってはいやなサッカーです。
 決勝進出よりも、そちらの方が、私には明るい希望です。
 日本のサッカーは男子中心で(いまもですが……)、フラットスリーの某監督のような植民地主義的なサッカーも体験し(私が作り上げた戦術通りに動かないと、外すぞ方式)、才能豊かな選手を集めて彼らのプライドを大切にしながら、彼らに丸投げした監督もいた。その結果、プライドとプライドが激突し、チームが崩壊してしまった……というような苦い経験も積んできました。
 それが変わってきたのは、オシム監督が代表監督になったあたりからだと思います。
 そして、そのキーワードは「日本代表の日本化」という彼一流のいいかたで表現されたあの考え方だと思っています。
 ほんと、へんな言い方ばかりする、おこりっぽい監督でしたよね。
 でも、じっくり考えるとすごい言葉だと思います。と、ここで口調を変えます。

 それまでは、世界に遅れた日本が進む道はただ一つ、世界の最先端の技術や戦略、戦術をひたすらに我がものにすることだけ。これが至上命令であった。とにかくガムシャラに自分のものにする。日本は辺境の国なんだ。日本は遅れた国なんだ。この日本人の劣等感が、躍進の原動力であった(「日本辺境論」参照)。
 それに対して、オシム監督は、そうではないと、明確にノーといったのだ。
 彼は、自分たちで考え、自分たちで「美しいプレイ」を生み出すことを求めたのだ。その為にはじめた三色、四色のビブスをつけた練習など、じつに様々な固定観念を破る練習を選手に課した。そして、口癖のように、「考えながら、もっと走れ! 考えながら、もっと走れ! 」とくりかえしたのだ。
 選手が馬鹿なミスをすると烈火の如く激怒し、点につながらなくてもクリエイティブなプレイをするとビューティフルとほめ、点につながったビューティフルなプレイに対しては、いいプレイだったけど、こんなアイデアもあるのではないか、と慢心するのにクギを刺すのを忘れない、という実にさまざまな顔を見せてくれた。
 ところが、ご存知のように、オシム監督は倒れてしまい、志し半ばで、日本化した日本代表を見ることが出来なかった。
 
 しかし、男子に眼を奪われている間に、日本サッカー界の辺境で、多分オシム監督が夢見ただろうサッカーが着実に育っていたのだ。
 岡田ジャパンが呪縛にかかったように勝てなくなった時期に、「女子サッカーのパスサッカーをみならうべきだ」という内容のコラムを目にしたことがある。

 与謝野薫は原発推進派で、菅直人は原発撤退派。そのメンタル面を考えると、ともに辺境人としか、私には思えない。片や、世界がこうこうこうだから、原発は必要だ、と主張し、片や、世界の流れが脱原発だからと「脱・原発依存」の記者会見をするというありさま。
 とくに、菅直人は、自分の立場が判っていない。一民間人なら、居酒屋談義でそれもいいだろう。それが、一国の総理が、なんの青写真もなく、とつぜん、「脱・原発依存」の記者会見はないだろう。混乱を引き起こすだけで、なんのメリットもない。震災から何か月たっているんだ。これから、その具体的内容を検討してもらう、とか。
 いま、必要なのは、明確なビジョンである。
 日本のエネルギーの約30パーセントは原発に頼っている。それを五年がかりで、転換する。その代替エネルギーは風力が○パーセント、海底に眠っているメタンハイドレードの燃料電池化で○パーセント、微生物による発電が○パーセント、ソーラーパネルが○パーセント、県営や市営発電所の設置で○パーセント、省エネ技術の進展で○パーセントの節電と、具体的に提示するのが一国のトップの役目だろう。
 それにしても、福島でソニーがやるはずだったバイオマス発電が、震災で暗礁に乗り上げてしまったことが悔まれてならない。
 日本の理科系大学の研究室では、准教授あたりが実に面白い、将来性のある研究をしている。
 彼らは、口を揃えて金がないという。彼らに、紐付きでない予算をもっと与えて、自由に研究させるべきだ。原子力につぎ込む金額とくらべれば、安いはずである。また、技術革新につながり、将来は、海外にその技術は輸出することが出来る。

 細かいパスをつないでサッカーを組み立てるように、これからは細かいエネルギーを繋いで、大きなエネルギーにするというソフト・マシーンの時代だろう。
 スーパースターのいない「なでしこジャパン」が世界の頂点に挑む時代だ。原発というスーパースターにすべてをおんぶにだっこする時代はもう終わらせよう。メガ・マシーンに頼るのは、事故が起きたときには、影響が大きすぎる。問題が多すぎる。
 参考にするのならまだしも、他国のまねではなく、今必要なのは、「日本のエネルギー問題の日本化」であろう。



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by spanky2011th | 2011-07-14 13:19 | 世相 妄想随談