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ふかひれスープの冒険(10)

        10
 ドスン。         ガリッ。
    ガチッ。     「おっとと」
  ドスン。
    「おりゃあ」
       バシャン。
   ボコン。
 グサッ。       「食らえ」
 ガブリ。
             ドスン。
     「まだまだ」
 バキン。
         ガブリ。
   「死ねえ」
 長考中の矢古さんの耳には、ずうっと、にぶくて大きな音と、はげしいどなり声とが、聞こえていました。
 でも、それがなんだか、よくわかっていません。いつものことなのです。いちど、長考にはいってしまったら、地しんが起きようが、かみなりが落ちようが、気にならないのです。
 ところが、この日の矢古さんには、その音がのどにつっかかった魚の骨みたいに、チクチク気になってしようがなかったのです。
 とくに、ドスン、ドスンという、にぶくて大きな音が……。
「そうか! そういうことだったのか!」
 いきなりさけんだ矢古さんのメガネのおくの目が、キラリと光っています。
 どうして、ドスン、ドスンという、にぶくて大きな音がこんなに気になるのか考えていたら、矢古さんのあたまに、ピカッとひらめくものがあったのです。
 「考える人」のポーズのまま、そうじゅう席にころがっていた矢古さんが、ピクリとうごきました。そして、そのつぎに、ゾンビみたいにムックリとおきあがりました。
「船長、わかりましたよ」
 そうじゅう席を見ても、船長はいません。
 サメのこうげきは、まだつづいているようで、船がはげしくゆれています。
 船室ものぞいてみましたが、気を失っている茂津さんのほかにはだれもいません。
「あれほど、船室から、出てはいけないといわれてたのに……」
 矢古さんは、ブツブツひとりごとをいいながら、そうじゅう席から、顔だけ、外にだしました。
 すぐそばに、藤壺さんと安光さんがいました。ふたりは、からだをひねっていて、つりざおとフライパンをふりまわしています。
「そんなところで、なにしているのですか」
 長考にはいっていたので、矢古さんは、あれからどうなったのか、ちっとも知らなかったのです。
「この、うすらとんかち。船長がてえへんなんだ」
 安光さんにどやしつけられて、矢古さんは船の前の方に目をやりました。
 なんということでしょう。
 田西さんが、船に身をのりあげた大ザメと、必死にたたかっている真っ最中です。
 大ザメは、大口でガブリ、ガブリと、田西さんの足を食いちぎろうとしていて、田西さんは、
「おりゃあ」
「まだまだ」
「死ねっ」
 かけ声とともに、すばやく、サメのとんがった鼻っつらをけっとばし、目をねらってモップをつきおろしています。
 田西さんのたたかい方ときたら、大ザメにまけていません。
 窮鼠猫をかむ(おいつめられたネズミが逆にネコをかむという意味)、火事場の馬鹿力(火事になって、思いもしなかった馬鹿力で重い物をもちあげてしまうという意味)、鬼神がのりうつった(鬼か神さまがとりついた)ということわざがありますが、まさに、このときの田西さんがそうです。
 そうじゅう席の窓ごしに見ていると、まるで、映画を見ているみたいです。
「船長、わかりましたよ」
 矢古さんが大声でさけんでも、死にものぐるいでたたかっている田西さんには、聞こえていません。
 田西さんの目は、大ザメにくぎづけになっていて、
「さあ、たたきつぶしてやる」
と、大ザメにむかってどなっています。
 大ザメは、息が苦しくなってきたのでしょう。からだをゆすりながら、船から海に戻りだしました。
 でも、まだ、あきらめません。
 海を泳ぎまわって、たっぷり酸素をエラで吸い込むと、ふたたび、大ザメがこうげきの態勢にはいりました。
 サメが、マストの田西さん親子にむかって、泳ぎだしました。
 それを見た矢古さんは、
「おっと、これは本物だったんだ」
 あわてて、デッキの外にとび出すと、なにを考えているのか、船の後ろのいかり用ウインチのところにスクッと立ちました。
 そして、
「おーい。ばかザメ、こっちだ、こっち」
 矢古さんは、ピョン、ピョンとびはね、足でドン、ドンとデッキを踏み鳴らしだしたのです。
「矢古さん、もどってください。あぶないですよ」
 藤壺さんがさけびましたが、矢古さんはやめようとしません。それどころか、思いつくかぎりの悪口を、大ザメにあびせかけだしたのです。
「ばーか、かーば、ちんどんや、お前のかあさん、でべそ」
「やーい、しょんべんたれ。お前の肉は、くさいぞ」
「あほんだらの、大まぬけの、こんこんちき。お前ののうみそ、ぬかみそだ」
 サメに、矢古さんの言葉がわかったのでしょうか。田西さん親子めがけて突進していた大ザメが、向きをかえました。そして、まるで、フリースビーみたいに大きく曲がると、矢古さんの方に突き進んでいきます。
「矢古さん、あぶないですよ。にげてください」
「なにやってんだ。早く、にげやがれ」
 藤壺さんと安光さんは、とびついて助けだそうとしましたが、からだを結びつけているので動くことができません。
 矢古さんの悪口は、これが学校の先生のいうことかと思うほど、どんどん品がなく、とても、ここには書けないようなものになっていきました。
 そして、ドンドン踏み鳴らすデッキの音も、はげしくなっていきました。
 3メートル、2メートル、1メートル……。
「矢古さん、にげてくださーい!」
 いのるような気持ちでさけんだのに、なにを思ったのか、矢古さんはその場にすわりこみました。
「うわあ。食われちまう」
 安光さんと藤壺さんは、おもわず、目をつぶりました。
 ガブリ。ガリガリ。
 骨をかみくだくような、いやに音がしました。
 おそるおそる目をひらいたふたりの前に、矢古さんの顔がありました。そして、その顔がニヤリと笑いました。
「矢古さん!」
 生きていたのです。
「ああ。こわかった」
 矢古さんが、そういいました。それから、
「作戦どおりにいけば、これでたすかります」
と、ちょっと得意そうに、鼻をうごかしています。
 実は、大ザメにくいつかれそうになったとき、矢古さんはすばやくいかりのウインチのスイッチを押し、サッとうしろにとびのいていたのです。
 ガリガリ。
 見ると、海から上半身をだしている大ザメが、ウインチのあるデッキに、かじりついています。
 ゴクリ。ガリガリ。
 そして、からだをはげしくゆすって、ウインチをかじりとりと、飲み込んでしまいました。
「これで、99パーセント、作戦は成功です」 
 矢古さんが自信たっぷりにいいましたが、安光さんと藤壺さんには、どうして、これが「作戦成功」なのか、わかっていません。
「まあ、見ていてください」
                                                    (つづく)



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by spanky2011th | 2011-09-18 09:37 | 長編童話 ふかひれスープの冒険

「はが文」について

 中学・高校の英語の文法の授業で、さんざん絞られたので、60才近くになった今でも、英語の基本文型は頭にこびりついている。しかし、日本語の文型となると、興味のある人が独学でやるか、大学で不人気学部の国語学部に入った人くらいしかやらない。
 英語文型にない、日本語独特の文型として「はが文」というのがある。題述構文と陳述構文とのハイブリット構文というような、実に興味深い文型である。
「は」と「が」でさんざん書いたことだが、「は」は主題を表し、「が」は主語を表す。そして「が」は、五感認識伝達であると書いてきた。
 一度「文法 ハガ文」で、ググッてみてほしい。けっこう、おもしろい論文や、意見が出てくる。

「はが文」の「は」は主題だからスンナリと問題なしなのだが、ここでも問題になるのは「が」だ。日本語には必ず「主語-述語」がなくてはならないという信仰から、無理矢理に説明しようとしていたり、実に興味深い。

(1)「彼は目が青い」
(2)「彼は焼き芋が好き」
(3)「彼は娘が大学生だ。」


(1)(3)での助詞「が」は「主格」で、 (2)は「目的格」であるとされている。
 ここら辺にも、欧米の文法をガムシャラに勉強して、その考えをベースに日本語の文法を構築しようとした弊害を、筆者は感じてしまう。日本は欧米と比べれば遅れた国であるという、辺境人意識の抜けきらない学者さんの陥りやすいミスなのだろう。
 助詞の働きや違いをこまかく分析して、欧米の「主語」「目的語」を作る辞であると思い込んでしまい、「主格」「目的格」と分類したのだろう。ちなみに、(1)(3)の「は」は、「の」に置き換えることが可能だ。
 もっとシンプルに考えて、「が」は「着眼格」であるとすれば、「主格」「目的格」の両者の説明がつく。もちろん、いまの日本語の文法には「着眼格」などという分類は存在しない。
 「着眼格」といっても、目に情報収集の大部分を頼っている人間だから、五感「眼・耳・鼻・舌・皮膚」の代表選手としての「眼」なのであって、もし、人間が犬のように匂いに頼る存在なら「臭格」「着鼻格」(冗談です)ということになるのだろう。
 文法研究のタブーなのか、客観性がない・検証のしようがない・数字化しにくいという理由なのか、日本語を使うときの使い手の意識を内省することが、まずない。聞くときの聞き手の意識を内省することも、まずない。
 以前にも書いたが、私たちが日常色々なものに出会い、判断し、生きている。このときに中心になるのは、「人が歩いている」「車が通った」などなど「が」で作られた言葉である。外国人に日本語を教える日本語教師用のテキストでは、「が」は「現象文」とされている。

 たとえば、A氏と道でばったりと出あったときのことを、「が」を多用して書いてみよう。

(1)昨日、わたしはのんびりと道を歩いていた。やたら暑かった。むしむしした。汗がだらだらと流れる。
(2)すると、向こうからA氏がやってきた。
(3)私「やあ、お久しぶりです」
(4)A「おや、お腹がずいぶんスリムになりましたね」
(5)私「娘がダイエット食品会社に勤めだして、ダイエット食ばかりがテーブルに並ぶのですよ』
(6)A「そこらで暑気払いでもしませんか」
(7)私「ビールが飲みたいですね。たまには、発泡酒ではなく、ぜいたくに生ビールがいいですね。それに、脂っ気の多い焼き鳥もたまにはたべたいですよ」
(8)A「だったら、おいしくて、安い店がこの近くにありますよ」


 この文章の視点はわたしにしてみた。
(1) 以前さんざん悪口を書いた「未知情報・既知情報」でいうと、「が」は未知情報になるのだけど、主語なしの「やたら暑かった」「むしむしした。」と同じ意識で、「汗がだらだらと流れる。」と書いている。汗だけが新情報な訳ではない。暑かったと書けば「気温」であることがわかり、むしむししたと書けば「湿度」だ。当たり前すぎるから、省略しているのだ。ここで、わたしの意識は、まず、気温に着眼し、次に湿度に着眼し、次に、汗に着眼しているのだ。この意識の流れを無視して、言葉を考えること自体、ナンセンス。
 「汗がだらだらと流れる。」という文は、現象文らしい現象文にもなっている。「汗はだらだらと流れる。」にしてしまうと説明的になって、現実味がなくなってしまう。

(2) 私の目がA氏の姿を捉えた(着眼)ので、「向こうからA氏がやってきた。」となっている。めずらしく、新情報らしい「が」である。

(4) A氏は、私のお腹に着眼し、スリムになったと印象を述べている。

(5)私は、A氏の問いに答えようとしたら、まず娘の顔が浮かんだ。だから、娘に着眼し、ダイエット食に着眼して、お腹がへこんだ理由を説明している。

(7)暑気払いといわれて、私の頭に浮かんだのはビールだった。だから、「ビールが」と着眼して言葉にし、次に「飲みたいですね。」と付け足している。次に浮かんだのが「生ビール」で、その次が「焼き鳥」と着眼していく。
 この「が」は、従来の文法では「目的格」なのだが、「が」を「を」に置き換え可能だからにすぎない。「ビールをのむ」という言葉があるからだ。

(8)A氏は、「おいしくて、安い店」に着眼し、「この近くにありますよ」とのべているだけ。他の文章に書き換えることも可能だ。「だったら、私は、この近くにある、おいしくて安い店を知ってますよ』とかになるのだろう。このような文が最近、激増している。英語文法で書かれた日本語だ。

[文型1のパターン認識はこうだ]にでてきた「はが文」を拾いだしてみよう。主題「彼の話ですよー」とまずやって、次にその彼の一部分に着眼しているのがよく判るはずだ。

彼は、耳が欠けてる。
彼は、声が大山のぶ代にそっくりである。
彼は、ドラ焼きが好きである。
彼は、ネズミが嫌いである。
彼は、友達がノビ太である。


 それにしても、「着眼格」というのは、あまりにもダサすぎる。もっと的確な表現があったら教えてほしい。


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by spanky2011th | 2011-09-17 21:29 | 日本語  基本の3文型

ガンジーの「人類の7つの罪」について(理念なき政治)

 最近知ったのだが、ガンジーの「人類の7つの罪」について、京都大学原子炉実験所助教小出裕章氏が、5月の「参院行政監視委員会」において「マハトマ・ガンジーの名言・資本主義7つの大罪」を引用していた。このときには「原則なき政治」の翻訳の方を使っていたが……。
 私の記憶が確かならば、マハトマ・ガンジーの「(1)理念なき政治」もしくは「原則なき政治」の「理念・原則」とは、宗教性のことを言っていたと思う。
 この宗教性とは、特定の一宗一派の宗教という意味ではない。「生命の尊厳」ということで、貧しい子どもに貰った一本の鉛筆をチビるまで大切に使ったガンジーは、「ガーンディー聖書」(岩波文庫)で、「予の信条は神に奉仕することである、従って人類に奉仕することである。」と述べている。
 この人類に奉仕する、という姿勢を貫いている政治家がどれほどいるだろうか。それも、宗教的信念を持って。
 選挙のときには「みなさまのために働かせてください」などと連呼し、土下座しているくせに、当選したとたん、ころりと忘れてしまう。公僕と称しながら、高級公務員は「国民の支配者」となり、「国民の支配権」を官僚の手から政治家が奪還しようとしているのが民主党のいう「脱官僚」の実態に思えてならない。
 政治家になったとたんに「人類に奉仕する」ことが身に付くわけではないので、政治家になる前にどれだけ「人類に奉仕する」ことをしてきたか、それを見ないで、投票してしまう我々国民がいけないのだ。
 それにしても、小選挙区制により二大政党制になり、まともな政治が誕生するはずだったものが、とんでもない「ポピュリズム」政治を実現させてしまったものだ。小選挙区制をもう一度、見直してもいい時期がきているよう。
 政治家が口を開くと「GDP」(国内総生産)という言葉が飛び出してくる。そういう政治家の理念は、「経済に奉仕する」ことだと思ってほぼ間違いあるまい。彼らの口から「地球幸福度指数」という言葉が飛び出してくる日が待ち遠しい。ちなみに、「2009年度 地球幸福度指数ランキング」では日本は75位である。

*地球幸福度指数(The Happy Planet Index)は、イギリスの環境保護団体であるFriends of the Earthが2006年7月に紹介した、国民の満足度や環境への負荷などから「国の幸福度」を計る指標であ る。
この指標は国の発展度合いを測る指標としてこれまで重要視されてきたGDP(国内総生産-国内の生産活動を数字として表したもの)や HDI(人間開発指数-国内の住民生活の質や発展度合いを表したもの)が、人間が本来人生に最も望む幸福と健康の 度合いを測るものではなく、金銭的発展度合いを測るだけの指標であり人間生活の真の豊かさの度合いを表したものではないという批判に答え、人間活動である 特に文明の活動が将来にわたって持続できるかどうかを表す概念である持続可能性を組み込んだ国の幸福度を測る新たな指標である。(ウィキペディアより)

ミャンマーで、「理念ある政治」をめざし、戦ってきた一人の女性がいる。民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんだ。軍事政権から民政移管され新政府が発足し、スー・チーさんが表紙になった雑誌が書店に並ぶ時代がやっときた。
 ということで、今日は、ハンコックとショーターの演奏「アウン・サン・スー・チー」を聞きたいと思う。


Herbie Hancock, Wayne Shorter Aung San Suu Kyi Jazz Baltica 2004






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by spanky2011th | 2011-09-09 19:17 | 世相 妄想随談(音楽付き)

ふかひれスープの冒険(9)

        9
 あたらしく来たサメの三角形の背びれは、すごいスピードで、コンチキ2号にまっすく近づいてきます。
 「死のおどり」をおどりくるっていたイタチザメたちが、おどりをやめました。なにか、あわてふためくように、反対方向にもうスピードでにげていきます。
 それまで船をこうげきしていたホホジロザメが、いきなり、コンチキ2号をひっぱりだしました。あわてふためていて、にげようとしているみたいですが、チェーンでつながれているため、にげられないでいるみたいです。
 どうやら、サメにもおそれられているサメが来たようです。
「矢古さん、まだですか」
 田西さんは、ムダだとは知っていましたが、長考中の矢古さんに声をかけました。
 思ったとおり、返事はありません。
「茂津さん、きてください」
 田西さんは、こんどは、船室にむかって、大声でどなりました。
「茂津さんは、いま、気を失ってしまっています。手つだうことがあったら、手つだいますけど……」
 生きるか死ぬかの場面だというのに、間のびした声とともに、藤壺さんが、船室から顔をだしました。
 こんなときにたよりになるのは茂津さんと、今回の航海にはいないけど、けいさつ官の桑形さんだけです。藤壺さんでは、のんびりしすぎていて、こんなときには、まったくたよりにならないのです。
「藤壺さんは中にいてください」
 気を悪くしないように、田西さんは、ていねいにいいました。
「でも、なにか、やらせてください」
「それでは、ひろしのそばにいてください」 
        ドスン。       ガリガリ。
 すさまじい音とともに、船が大きくゆれました。
「うひゃあ」
 藤壺さんは、なさけない声をあげて、そうじゅう席と船室とのさかいのところで、もがきだしました。
「あーあ」
 田西さんは、ためいきをつきました。
 前を見ると、新しくきたホホジロザメがあたまを海からだして、コンチキ2号のふなべりに、ガップリかみついていました。
 その、大きいの、大きくないのって! たたみを6枚たてにならべたくらい(10・8メートル)あります。
 こんな大きなホホジロザメは、いままでに、見たこともなければ、聞いたこともありません。
 白いあごのまわりには、たくさんのきずあとがあります。
 きっとガブリとかみついたエサが、あばれたときに、ひっかいたり、かみついたりしてできたきずでしょう。
 そして、背びれのところには、折れたもりがささっていました。
 これまで、そうとうはげしい戦いをして、生き抜いてきたのでしょう。
 巨大ホホジロザメが、チラリと田西さんの方を見ました。なにを考えているのかわからない、ぶきみな目が、田西さんをじっとみつめました。
「おれは、はらぺこなんだ。ぜったい、くってやるぞ」
 サメが、そんなことをささやいた気がしました。
 そして、そのささやきにまじって、船室にいるひろしの
「パパ、こわいよー」
という声が、聞こえたような気がしました。
 こわさで腰がぬけそうになっていた田西さんの顔が、キリッとし、いかりで真っ赤になっていました。
「サメめ。ぜったい、生きのびてやるぞ」
と、どなりかえしました。
 サメがニヤッと笑ったような気がしました。 サメは、あたまを左右にふると、ミシミシと音をたてて、船の一部をくいちぎり、海へもどっていきました。
「矢古さん、じゃまだ」
 田西さんは、船室にかけこむと、そうじ用のモップにほうちょうをくくりつけ、外に飛び出しました。そして、こんどはマストに自分のからだをくくりつけました。
 手には、あわてて作ったもりをかかえています。
「サメめ。かかってこい! ひろしたちは私が守るのだ。」
 船の回りをゆっくり泳いでいるサメに、田西さんはいいはなちました。
 食うか、食われるかの、いのちをかけた戦い。
 それが自然のおきてとはいっても、まさか、自分がそういう戦いにのぞむはめになるとは、田西さんはちっとも思っていませんでした。
 エサを食べなくてはサメも死んでしまうかもしれませんが、田西さんにも、いのちをかけて守らなくてはならないものがあるのです。それは、宝物のひろしと、だいじに仲間です。
 どうしても、負けるわけにはいかないのです。
「パパ! ぼくも、戦う!」
 ひろしが、モップを持ってやってくると、マストに自分をくくりつけました。
 見ると、藤壺さんと安光さんも、デッキに出てきていて、そうじゅう席のところにからだをくくりつけています。
「いいか、ひろし。目をねらうんだぞ」
「うん。わかった」
 エサがわざわざ船のうえに出てきたと思ったのでしょう。サメが、円をえがいて泳ぐのをやめると、コンチキ2号に向かってきます。それも、田西さんとひろしに向かってです。
 サメが上半身を船にのりあげました。船は大きくかたむきました。からだをくくりつけていなかったら、とっくに海に転げ落ちていたでしょう。
 ガチリ。ガチリ。
 足元から、ぶきみな音がします。大口をあけて、田西さんたちふたりの足にかみ付こうとしているのです。
 きょりにして30センチほどたりないので、サメはくやしそうに、ガチリ、ガチリと歯をならすだけでした。
「これでも、くらえ」
 田西さんは、サメの目めがけて、モップのもりをつきおろしました。
 ガチッ。
 たしかにサメの目をねらったのですが、はげしい生存競争を生き抜いてきただけのことはあります。もりがつきおろされたしゅんかん、サメはあたまを少しずらしたので、ほうちょうは、かたいサメのはだにきずをつけただけでした。
「くそっ!」
 田西さんらしくないきたないことばが、田西さんの口からこぼれました。
 サメは、目をつぶされてはたいへんだとばかりに、あわてて海にもどっていきました。
 でも、あきらめたわけではありません。
 なぜならば、船からはなれたサメが、また、船の方に向きをかえたからです。
「ひろし、がんばれよ」
 田西さんは、はげまそうとして、となりのひろしに、声をかけました。
 返事がありません。
 田西さんがチラリと横を見ると、ひろしは気を失っていました。あまりのこわさのためでしょう。
 まるで、眠っているようです。
 その顔を見たら、田西さんのからだに、ふしぎな勇気があふれてきました。
「ぜったいに、子どもを守るぞ」
 それは、いのちをかけて子供をまもろうという、野生動物の本能です。
 サメがどんどん近づいてきます。
 こんどは、いっぱつで、二人の足に食らいつこうと考えているのでしょう。サメは、さっきよりスピードを出しています。
                                     (つづく)



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by spanky2011th | 2011-09-09 17:21 | 長編童話 ふかひれスープの冒険

台風の被害を拡大させている気象庁の台風情報独占

 台風の被害にあった人に、心からお見舞い申し上げます。

 以前にも書いたが、気象庁は台風情報を独占している。この独占が被害を拡大させていると断言していいだろう。この独占を止めさせて、どのように台風情報を伝えるべきか、民間にルールを作らせて、台風被害防止の知識を啓蒙する形での気象予報にすべきである。
 二、三年前に、本当にあった話なのだが、ある民間の気象予報会社が「ただいま、台風が××に上陸しました」との情報を顧客に知らせたところ、後日、その会社は気象庁から厳重注意を受けてしまった。予報ではなく、事実を伝えただけなのに、気象庁が発表する前に情報を提供してしまったがため、気象庁がカンカンになってしまったのである。
 民間の気象予報の方がきめが細かく、精度も高いのは常識である。
 これも、あまり知られていない事実なのだが、気象予報士は「台風に関しては、気象庁が出した以上の予報はしていけない」とされているのだ。そして、これに違反したときの罰則にはあきれ果ててしまう。なんと、苦労して手に入れた気象予報士の資格が剥奪されてしまうのだ。
 テレビでの台風情報を見ていていつも思うのだが、台風前に、本当に必要とされる情報が視聴者に提供されていない。
 今回の台風でも、台風接近とともに台風情報がテレビで頻繁に流された。ユーチューブに投稿された台風情報を見てもらいたい。




 テレビ局は、気象庁からの指導が入らないように、予報にかかわるところは巧みに逃げまくっているのがわかるだろう。事実として起きていることばかりを報道し、これからなにが起きようとしているのかは報道しないのである。
 たとえば、その中で、「窓ガラスを守るために板で覆う男性」を紹介している。本来は、台風で窓が破れてしまったとき、どういうことが起きるのかを知らしめなくてはならないのに、だ。窓ガラスが割れると、風が屋内に流れ込み、屋根が内側から吹き飛ばされてしまうという台風被害の常識が報道されないのだ。
 通常は、こんな風に、アバウトに注意勧告がなされる。
 


 もう少し、詳しくなって、こんな具合だ。雲の流れ、雨の量がどのくらいなのか、もう少し、細かく知らされていたら、こんな被害が大きくならなかっただろう。



 台風は、台風の本体の右側が被害が大きくなるのは、これまた常識。湿気を大量に含んだ風が、山脈にぶつかり、大量の雨として降るのも、これまた常識である。雲の流れを見てもらいたい。一年間に降る雨の三分の二近くが、この台風によりもたらされるとは想定できなくても、なにが起きるかは想像できたのだ。
 ただ、報道されなかっただけなのである。
 「触らぬお上にたたりなし」で、テレビ局は、事前に、具体的な注意を勧告しなかったのだ。
 台風一過の快晴とならないで、まだ、雨が降り続けることがどういうことをもたらすのか、当然、想像できていたはずである。想像できていなかったら、その気象予報士は、とんでもない大バカものである。
 しかし、
「ひきつづき、土砂災害や、低地の浸水、河川の氾濫に厳重に警戒してください」
というような、あいまいな表現しかされない。これしか、許されていないのだ。気象庁の独占のせいで。
 





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by spanky2011th | 2011-09-05 18:44 | 世相 妄想随談

ふかひれスープの冒険(8)

        8
 いのちづなを腰にくくりつけた茂津さんは、そうじゅう席を出ると、デッキをはって、いかりのウインチににじりよっていきます。
 食べられるものはすべて食べつくしたとみえて、サメのこうげきがふたたび、はじまりました。
「茂津さん、しっかりにぎってますから、安心してください」
 いのちづなのはじをがっちりつかんでいる矢古さんが、茂津さんに声をかけました。
「てやんでえ。安光さまがついているから、安心してねえか」
 いのちづなを腰にまきつけている安光さんもいいました。
「安心しろ」「安心しろ」といっても、茂津さんは、ちっとも「安心」なんてしていられません。
 あのホホジロザメが船のわきに体当たりしてくるたびに、船はかたむき、茂津さんはデッキをゴロゴロころがるはめになるのです。そのうえ、うっかり、手や足を船べりから外に出そうものなら、イタチザメが海からとびだしてきて、ガブリとやろうとするのですから。
 ころがるたびに、安光さんと矢古さんがいのちづなを引っぱってくれていました。でも、生きた心地がしません。
 ウインチまで、きょりにして、3メートルくらいですが、その遠いことといったら、ありません。
 それでも、なんとか、ウインチにたどりついた茂津さんは、工具箱をあけ、金ノコで、鉄のチェーンをギコギコはじめました。
 からだを大の字にして、右手だけでギコギコやっているのですから、なかなか、切れません。
 ドスン。ホホジロザメが体当たりした反動で、工具箱が海に落ちて行きました。
「うわあ」
 茂津さんはあわてて、海に落ちようとする工具箱を左手でつかもうとしましたが、イタチザメがその手にむかって、とびかかってきたので、
「うわあ」
 茂津さんは、あわてて、手をひっ込めました。
 そんなようすを見ている安光さんと矢古さんも、はらはらのしどおしです。
 かじをとりつづけている田西さんにも、そのはらはらぶりが伝わってきて、手に汗がにじんできました。
「うわあ」
 こんどは、となりの安光さんと矢古さんが大声でさけんだので、田西さんは、ふりかえりました。
「うわあ」
 あのホホジロザメが、また、デッキに上半身をのりあげて、大口をパクパクされていたのです。
 田西さんたち三人は、死にものぐるいになって、いのちづなをひっぱりました。
「茂津さん、だいじょうぶですか」
と、さけびました。
 そうじゅう席にひきづりこまれた茂津さんの顔を真っ青でした。きょうふときんちょうのためです。
「ええ。だいじょうぶっス」
 茂津さんは、そうつぶやくと、気をうしなってしまいました。
「安光さん、船室につれていってください」
 田西さんは、そうたのむと、キリッと前をにらみました。こうなったら、エンジンが焼き切れるまで、スピードをあげてみるしかありません。
 そうすれば、サメの重さで、チェーンが切れることもありえるからです。でも、もし、エンジンが焼き切れたら、どうなるのでしょう。
 そのときは、そのときです。
 田西さんは、エンジンの回転を速めるレバーを引きました。
 タッ、タッ、タッ、タッというエンジンの音がタッタッタッタッと早くなりました。
 いきなり、田西さんのとっているかじが、ガガガガとしん動し、そして、それまで調子よくまわっていたスクリューがガガガガとみょうな音を立てました。
 焼き切れてしまったのでしょうか。
 どうしよう、と田西さんが思ったのと同時に、サメたちのこうげきがピタリととまりました。
「………?」
 海に目をやると、口をきずつけたサメに、ほかのサメたちがいっせいにおそいかかっているところでした。
 どうやら、おそわれているあのイタチザメが、スクリューにくらいついたようです。
 サメたちは、よってたかって、その一匹の肉をひきちぎり、くいつくしていきます。
 まるで、おどっているみたいに、サメたちはからだを左右にくねらせ、気がくるったみたいにグルグル泳いでいます。
 田西さんは、サメにくいつかれている自分たちのすがたを、想像してしまいました。ゾーッとして、鳥はだがたってきました。
「死のおどりです。血のにおいに、こうふんして、ああいう行動をとるのです」
 そう説明する矢古さんの顔からも、血の気がなくなっていました。

「矢古さん、どうしたらいいでしょう」
「どうしたらいいんでしょうかね。とにかく、いまはサメを観察するしかないですね」
 田西さんは、なんともたよりないちえぶくろの返事に、泣きたくなってしまいました。
「船長、たいへんだっ!」
 サメを観察しようといった矢古さんが、とつぜん、大声でいいました。
「どうしたんですか」
「あっちから、大きなサメの背びれが近づいてきます」
 矢古さんがゆびさした方向に、大きな三角形の背びれが、水を切って泳いでくるのがみえました。
 すぐそばで、「死のおどり」をまっているホホジロザメよりも、大きそうです。
 目指すは、もちろん、コンチキ2号です。
 一匹のホホジロザメでもてんてこまいしているのに、もう一匹、もっと大きなやつがふえてしまったら、どんなことになるのでしょう。
「ちくしょう。なんで、こんなにサメがあつまってくるんだ」
 田西さんがはきすてるようにいいました。そして、矢古さんに、手をすりあわせて、
「助かる方法を、すぐに考えてください」
と、たのみました。
 わらにもすがる気持ちといいますが、このときの田西さんは、わらどころか、糸くずにでもすがりたい気持ちでした。
「わかりました」
 矢古さんは、また「考える人」になってしまいました。

                            (つづく)





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by spanky2011th | 2011-09-04 15:06 | 長編童話 ふかひれスープの冒険