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陳述構文について

 さて、陳述構文についてだが、書かれた文書を手にしてみれば一目瞭然。新聞でも雑誌でも、何でもいい。とにかくほとんどが、この構文である。
 どういうのかというと、「ぼく、それ、たべたい」という幼稚園生児が使う言葉も、「どうか、私を政治家にさせてください。お願いします」という政治家の使う言葉も、この陳述構文である。
「日本語の語順には法則性がない」などとほざく御仁もいるが、ちゃんと基本形があって、TPOによって、語順がさまざまに変化していっているのだ。

 その一番スタンタードな語順は、

時格 + 場所格 + 主格 + 与格 + 対格 + 動詞

といわれている。これは、たくさんの雑誌の文章で統計を取った結果、でてきたものだ(国立国語研究所報告25)。
  覚えたければ覚えてもいいが、無理に覚える必要はない。
 しかし、ほんと、ご苦労様。そんな苦労をしなくても、私たちには過去のすぐれた知的財産が残されているのだ。それは、次の文だ。

坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いた。

 主格 + 与格 + 対格 + 動詞だけでなく、副詞まで入っていて、これを基本として、日本語を考えた方が、ずっと、まともな文章が書けるようになれるのだ
 おい、おい。時格 + 場所格 が抜けているではないか、とつっこまれてしまうが、心配は不要。

きのう、お寺で、坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いた。

これでカンペキ。
 この基本文を頭に入れておけば、陳述構文は大丈夫なのだ。しかも、5W1Hといわれるが、そのほとんどの要素が含まれてしまっているのだ。

 この基本形があって、あとは、言語主体(つまり話し手)がなにを重要かと考えるかである。その重要な部分が当然前に出てきて、相手に強く印象づけようとする。

 日本の国宝とも呼べるすばらしい坊主の絵を、きのう、お寺で、坊主が屏風にすばやく描いた。

となるのだ。

  完全密室殺人事件が起きた昨夜、坊主である彼は、お寺で、屏風に上手に坊主の絵を描いていた。だから、彼にはアリバイがあるのだ。

 となるのだ。

 統計を取れば、科学的と信じている人々が多いようだが、この言語主体への洞察なくして、日本語を考えるとはまったく、バカバカしい限りだ。

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by spanky2011th | 2011-10-27 17:38 | 日本語  基本の3文型

ふかひれスープの冒険(13 最終回)

   13
 茂津さんが中心になって、船のあちこちをしらべました。
 藤壺さんだけは、料理をつくるため、船室に残っていますが、あとは、みんな、ロープで折れた柱をしばったり、くいちぎられたところに物をつめこんだりと、大いそがしです。
 でも、あちこちが食いちぎられていましたが、沈没する恐れがないことがわかったので、一安心でした。
「そろそろ、かえるとしますか」
 田西さんは、パイプを口にくわえると、火をつけなおして、
「おもかじいっぱい」
と、かじを右にまわしました。
 タタタッ、ガタッ、タタタッ、ガタッ。
 イタチザメが体当たりをくらわせたため、スクリューの軸が少し曲がってしまったみたいです。いつもの心地好い音はしません。
 このスピードだと、港に帰れるのは、真夜中になりそうです。
 太陽が、西にかたむきかけています。
 バタバタバタ。バタバタバタ。
 とおくからヘリコプターのさわがしい音がしました。そして、拡声器で、
「そこの船、とまりなさい」
と、よびかけられました。
「いったい、どういうわけだろう」
と思いながら、田西さんはエンジンをとめました。
 ふかひれをとったことが、法律にふれるのでしょうか。でも、正確には、ふかひれは取ったというよりも、拾い上げたのです。思いあたることがありません。
 コンチキ2号のま上にヘリコプターがやってきました。
 ヘリコプターは海上保安庁のものでした。そして、スルスルとなわばしごがのびてきて、デッキに制服姿の人がおりてきました。
 その人は、なわばしごにぶらさがりながら、なにか、大声でどなっているようですが、ヘリコプターの音にかき消されて、なにをいっているのか、よくわかりません。
 デッキにおりたつと、その人は、
「こらっ、けしからんではないか! 本官だけ、おいていくとは、なんということだ」
と、どなりました。
 幼なじみで、クルージング仲間の桑形さんでした。これで、コンチキ2号の乗りくみ員がぜんいんそろったわけです。
 桑形さんは口ではおこっていますが、コンチキ2号のメンバーに会えて、うれしそうです。
 警察の仕事をおえて、知り合いの海上保安庁の人にたのんで、見回りのヘリコプターに乗せてもらってきたのです。
 ヘリコプターがいってしまうと、
「おい。ところで、そろそろ夕めしの時間だろう。今夜のおかずはなんだ」
と、桑形さんがたずねたので、デッキにいた人たちは口をそろえ、
「ふかひれスープ!」
と、こたえました。
「それはすごい!」
 くいしんぼうの桑形さんがあわてて船室に入っていったので、ほかの人たちも、あわてて、船室にかけこんでいきました。のこらず飲まれてしまってはたいへんだからです。
「おい。こら。まだか」
「藤壺さん。おなかがすいたよー」
「ペコペコで死にそうっスよ」
「胃袋が栄養を補給したがっています」
「てやんでえ、さっさと、くわせろ」
「ワン、ワン」
 みんなは、たいへんな思いをして手にいれたふかひれが、藤壺さんのみごとな料理のうでで、みごとなスープに変身しているものとおもっていました。しぜんに、かおがほころんでしまいます。
 ところが、皮のはがされたふかひれは、船室の小さな流しで、金のボールで水につけてあるだけでした。
「みなさん、どうしたのですか?」
 みんながどやどやとやってきたので、藤壺さんはふりかえって、聞きました。
「こら、夕めしはまだできないのか」
 桑形さんが、おこった口調でいいました。
 すると、藤壺さんはおどろいたような声で、
「だって、きょうは、夕飯はみんな、家でたべることになっているのではないですか。わたしも、床伏さんちのスープを食べるつもりでいるのですよ」
と、答えたものだから、たいへんです。
「なにいってんだ。港には、とうぶん着かないぞ」
「はらぺこなんだ。なんか、くわせろよ」
 みんながいっせいにしゃべりだしたから、なにをいっているのかわからなくなって、藤壺さんは耳をふさいで、すわりこんでしまいました。
「みんな、だまれ!」
 茂津さんがとってもでっかい声でどなったので、みんな、シーンとしました。
「ふかひれスープはまだできないっスか」
 茂津さんが、みんなを代表してたずねました。
「ええ。いま、つくっているところですが、まだ、とうぶんはできないですね」
「おい、とうぶんって、どのくらいだ。三分後か、それとも十分後か」
 こんどは、桑形さんがききました。
「そうですねー、いま、ふかひれの血ぬきをしているところで、それがすんだら、太陽の日にたっぷりあてなくてはいけませんから、そうですね、早くて、あと、三、四か月くらいですかね」
 藤壺さんの返事をきいたみんなの顔から、ほほえみが消えました。
「うへっ。そんなの、ちっとも早くないじゃんか」
 安光さんは、藤壺さんの気の長さにあきれていいました。
「そうだっ! 非常食があったろ」
 桑形さんがどなりました。
「それがないのです……」
 矢古さんが申しわけなさそうに、答えました。
「なにっ! おれはゆうめしに間に合うように、すっとんできたんだぞ。どうしてくれるんだ」
 桑形さんがプリプリおこっています。
「ということは、この船にはふかひれがあるだけなのか!」
 みんなに取り囲まれた藤壺さんは、
「だめです。できるまで、待ってください」
と、小さな流しの前に立ちました。ふかひれを守ろうというのです。
「そんなに待てないよー。はらぺこで、死にそうだ」
と、いったのはひろしです。
「ふかひれには、毒はないから、さしみにして食べたらどうですか」
 矢古さんも、すぐたべるのに賛成です。
 みんなが藤壺さんににじりよったので、
「だめです。そんなの、いけません」
 藤壺さんは、流しのふかひれの上に、身をのせました。
「ええい。やっちゃえ」
 ふかひれを守ろうとしている藤壺さんに、みんなはいっせいにとびかかりました。
「だめです。まだ、たべられません」
「うるさい。よこせ」
「ワン、ワワン」
「はらぺこで、いらいらしてるっスよ」
「てやんでえ、どきやがれ」
「パパの分も、とっといてよ」
 サメよりも、コンチキ2号の乗り組み員の方が、きょうぼうかも知れません。
                                             (おわり)



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by spanky2011th | 2011-10-23 12:25 | 長編童話 ふかひれスープの冒険

地産地消で食料を守れ

 大きな池がありました。池に住む生き物達は、自分の思い通りに、生活していいことになっていました。自由主義です。
 何百年、何千年、いや何万年の時間の中で、自然とバランスのとれた生態系が出来上がっていて、どの生物も、共存共栄をしていました。
 ところが、そこへ、雑食系の外来種の魚がやってきました。マネー資本主義です。
「ここでは、自由にしていいのだよな」
 はじめは、池の小魚達を食べていました。それを食い尽くすと、えびがにやゲンゴロウのようなものまで食べるようになりました。
 外来種はどんどん増え続けました。食べるものがどんどん減っていきました。
 こうなると、自分たちが生き残るためと言って、共食いを始めました。(企業買収などです。株を買いあさり、その資産を手に入れる)
 さて、こんなことをつづけていて、いったい、この先はどうなるのでしょうか。

 ウォール街からはじまった反格差社会デモは、世界のあちこちに飛び火しています。
 かつて、村上ファンドというのがあって、その中心者が「金儲けして、どこが悪いのですか」とのたまいました。
 一時「ウイン・ウイン」の関係という言葉が流行りました。しかし、その実態は「金儲けして、どこが悪いのですか」でした。
 いま、食料が投機の対象として、注目を集めています。このままだと、貧乏人には、「食料は行き届かなくなる」という時代が来るでしょう。
 一キロの肉を作るために、6キロの穀物が必要とされる、とむかし読んだ記憶があります。人口が120億人に達したとき、お金持ちはお肉を食べ、貧乏人は穀物も食べられないで、雑草を食べるしか手がなくなるのでしょうか。
 海にいって、魚を捕るというのは、漁業権の問題もあり、庶民にはできなくなってしまうのかもしれません。

 食料は、それこそ、民衆の命の綱です。これを真剣に、金儲け主義の人たちから、守らなくてはなりません。
 工業製品を世界に輸出し、そのお金で食料などを買えばいいじゃないか、で戦後の日本はやってきましたが、かつての食料の輸出大国だった国は、輸出できなくなってきています。自国の人々のお腹を満たすのに、せいいっぱいになってきたからです。
 
 震災後、地産地消ということばを耳にするようになりました。
 豊作貧乏という言葉に象徴される農業の問題点を解決し、手遅れにならないうちに、1億2千万の人々が、狭い国土で、それなりの生活がてきる経済体制を作ることが、いまの日本の喫緊の課題ではないでしょうか。
 そのノウ・ハウは、世界へ輸出できるはずです。
 
 ということで、こんな素朴な人たちがいたころがうらやましい。
「りんご追分』は、二十世紀の日本の名曲だと思います。ジャズメンもレパートリーにしている人が多いのもうなずけます。

 
 
  
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by spanky2011th | 2011-10-18 19:18 | 世相 妄想随談(音楽付き)

ふかひれスープの冒険(12)

         12
 ホホジロザメは、たたみ4枚分のも、6枚分のも、ふたたび、浮かんでくることはありませんでした。
 きっと、どちらかが、どちらかを殺し、そして、満腹になるまで食べてしまったのでしょう。たたみ6枚分が、勝ったにちがいありませんが、たしかなことはわかりません。
「どうです。船長。作戦どおり、わたしたちは、助かったみたいですよ」
 矢古さんが得意そうにいいました。
「矢古さんのおかげです……」
 そうじゅう席にもたれかかっている田西さんは、もっと、なにかいおうとしましたが、なにをいったらいいのかわからなかったので、だまってしまいました。
 だまってしまうと、疲れが、またおそってきました。ひろしを守るために死に物狂いになって戦っていた自分がウソのように思えました。どこに、あんな力があったのでしょう。どこに、あんな勇気があったのでしょう。
 そして、なぜか、サメのことばかりが、頭に浮かんでくるのでした。
 人間が生まれるずっとむかしから、食うか食われるかのおきての中で生きぬいてきたサメたち。たしかに、サメの中には、人をおそうものもいますが、それは、あくまでも自然のおきてにしたがっているだけです。悪意があるわけでもないし、殺しを楽しんでいるわけでもありません。
 生きていくために、子孫を残すために、命をかけて食べるのです。

 あんなにこわい思いをしたのに、なぜか、田西さんは、サメをうらむ気にはなりませんでした。それどころか、生きていくために、子孫を残すために、死にものぐるいになって食べるサメが、とても、すばらしい生き物のように思えました。
 神さまとか、仏さまとかは信じていない田西さんですが、「生きていこう」というすさまじいまでのサメの生命力に、ふしぎな感動をおぼえていました。
 それに、戦いやぶれて死んでいったサメだって、生きて、生きて、生き抜いていこうとして、死に物狂いになって戦い、そして、死んでいったのです。
「死んでいったサメのため、祈りをささげませんか」
 田西さんはそうつぶやくと、疲れたからだにムチうって、立ち上がりました。そして、白いぼうしをとると、胸に手をあて、目をつむりました。
 田西さんの思いは、ほかの人にも伝わったのでしょう。矢古さん、
藤壺さん、安光さん、ひろしも、同じように、胸に手をあて、目をつむりました。
 犬のボランも、まねて、胸に前足を当てようとしましたが、どうしても、「お手」のポーズにしかなりません。でも、気持ちは、あらわれていました。
「それにしても、大きなサメでしたね」
 矢古さんが、となりの安光さんに話しかけました。
「最初のは七メートルくらいでしたが、つぎにきたのは、十メートル以上はありましたね。いままでにつかまったホホジロザメで一番大きかったのは、全長6・4メートルのやつで、ちょっと疑わしいのでアゾレス諸島でつかまった9メートルというのがあります。ですから、どちらかでもつかまえておけば、世界記録はまちがいなしでしたね」
 観察が大好きな矢古さんだけあって、見ただけで、2匹のサメの大きさを、ほぼ正確につかんでいました。
 ところが、安光さんは、つりざおをふりまわし、こうふんぎみに、
「なにいってんでえ。最初のは十メートルはあったし、次のは二十メートルはあったぞ」
と、いいだしました。
 にがしたさかなは大きいといっても、安光さんがいうのは大きすぎます。
「そんなにはありませんでしたよ」
「てやんでえ、ぜったいにあった。魚のことに関しては、この安光さまが一番くわしいんだぞ」
 ふたりのはげしいいいあいがはじまりました。
 すると、とつぜん、
「あっ、ふかひれだっ!」
 藤壺さんが、しずかになった海をゆびさしました。でっかいふかひれが、波のまにまにただよっていたのです。
「よしきた。まかせなさい」
 手ばやく投げざおを用意すると、安光さんはヤッとかけ声とともに、ふかひれめがけて、おもりをなげました。
「ナイス・ショット!」
 安光さんの投げたおもりがふかひれにあたり、はりがひっかかりました。
「うわーい。ふかひれスープがこれでつくれるぞ」
 藤壺さんがうれしそうに、ピョンピョンとびはねました。
「藤壺さん、とびはねるの、やめてください」 
あわてて、やせっぽちの矢古さんが、せい高のっぽの藤壺さんを、おさえつけました。
「その音をきいて、えものだと思ってサメがやってくるのです。藤壺さんの足で船をたたく音をきいて、はじめのサメはやってきたのだし、つぎのサメも……」
 長々と矢古さんの解説がはじめようとしたので、
「さあて、ふかひれスープをつくろうっと」
と、藤壺さんは、つりあげたふかひれをひっつかむと、にげるように船室にいってしまいました。
「ダメですよ、藤壺さん。きちょうな証拠ですから、スープなんかに、しないでください。そのふかひれから、あのサメの大きさを計算しますから、待ってください」
 矢古さんは、藤壺さんを追いかけて、船室に行ってしまいました。

 ふたりのようすをニコニコほほえみながら見ていた田西さんは、
「安光さん、すみませんが、茂津さんを起こしてきてください。あちこち、食いあらされてしまっているので、大急ぎで、なおしてもらわなくてはなりませんから」
と、たのみました。
「がってんだ」

                  (つづく)

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by spanky2011th | 2011-10-18 18:31 | 長編童話 ふかひれスープの冒険

ウォール街のデモに思う

 ウォール街でくり広げられたデモ。アメリカの1パーセントの人々が富のほとんどを独占し、アメリカの大半が貧困に喘いでいる。その苦痛な叫びが今回のデモだ。「貧困大国アメリカ」や「大搾取」を読んでもらえば、その実態は明らかだ。
 広大な大地があり、豊かな自然の恵みがあり、その中で、 「自由」に金儲けできる時代は、資本主義でよかった。自然から搾取しても、ヒエラルキー内で処理されていたのが、中世以前の経済だった。
 人間が科学を手に入れ、大量生産・大量消費への道を歩み始めた産業革命以降、様子がかわっていく。自然から搾取する時代(開拓時代)を経験し、次に、他国からの搾取時代(植民地時代)を経験し、次にたどり着いたのは中産階級からの搾取する時代だった。こんなことをつづけていたら、人類は滅亡への行進を早めているだけだといえるだろう。
 資本主義という経済体制は、神が作り上げたものではなく、あくまでも、人間が何世代もかけて作り上げたものだ。人間が作ったものだから、人間の手で変化させることができないわけがない。
 ただ、やみくもに、これを正しいと信じるのは止めるべきだ。
 「日本古来の文化」という言葉同様、言葉に騙されてはいけない。このように書かれると、つい、長くつづいているから、それが正しいと思い込んでしまう。長くつづいているものの実態を細かく観察してみると、「日本古来の悪習」と言い換えた方がいい場合が多々ある。
 資本主義がいま、人類を破滅へと導こうとしている。
 人体を想像してもらいたい。脳、心臓、胃、腸、筋肉……とある意味、カースト性がひかれているといえる。しかし、すべてが関連し合い、必要な分だけの栄養が行き渡るようにできている。
 脳がすべての中心であるように思われているが、決してそうではなく、意識がいくら「心臓よ、止まれ』と命じても、心臓が止まることはない。
 おいしそうなお菓子を目の前に置かれると、「おっ、おいそうだ。食べようかな」と、思って、手を伸ばすわけではない。
 目が菓子を確認すると、よだれが出て、手が伸びてゆき、「おっ、おいそうだ。食べようかな」と思うのである。これが最近の脳科学の知見である。
  人体と同じような、すべての部分に必要に分だけの栄養が行き渡る「経済体制」を模索しなくてはいけないのだ。
 そのヒントとなるのは、お役御免と思われている「社会主義」にあるような気がする。あれは、「社会主義」が敗北したのではなく、社会主義を運営するエリートたちの腐敗堕落し、がん細胞と同じように、自分たちががん細胞と同じように、栄養を独占し、他の部分を顧みなくなってしまったからだ。
 「資本主義」の長所と、「社会主義」の長所を取り入れた経済体制が、次の経済体制だろう。しかし、それを維持するには、リーダーたちの腐敗をいかに防ぐか。ここに、幸福な未来への鍵がある。
 1パーセントの人々は、いま、有頂天でいるだろう。それが永遠不滅なわけでいると思っていたら、大間違いだ。がん細胞化して、あまりに肥大化しすぎている。
 このまま、つづくと、彼らも不幸になる。

 人間は科学を手に入れた。そして、さまざまな知識も手に入れた。その人間が、持続可能で、人類の皆が幸せになれる経済体制を作り出せないはずがない。
 既得権として、1パーセントの人々は、今の経済体制にしがみつこうとするだろう。抵抗し、様々な手をつかって、今の体制を維持しようとするだろうる
 しかし、庶民は賢くなった。新しい経済体制のモデルを提示されれば、十分、理解可能だ。
 1パーセントの人たちが、コソクな手を使えば、それは自分の首を絞めることになっていく。
 
 とにかく、いまの経済体制はチェンジされなくてはいけない。
 経済の成長神話がもたらしたものは、行き詰まった社会と、放射能で汚染された日本。
 古いパラダイムでしか、ものを考えられないリーダーは去るべきだ。投票しなしないべきだ。責任を取らずに、日本の未来像をきめていく官僚達も、庶民の手で、監視していくべきだ。
 公僕というのは公務員のことであって、公務員の生活を安泰にし、贅沢させるために庶民が僕になっている今の姿はまちがっている。

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by spanky2011th | 2011-10-09 14:03 | 世相 妄想随談

ガンジーの「人類の7つの罪」 「労働なき富」

ガンジーの「人類の7つの罪」について

 トルストイの童話に「人間にはどれだけの土地がいるか」というのがある。出発点からまるまる一日歩いて、また出発点に戻ってくる。それで囲えた土地が自分のものにできるというので、主人公は必死になって歩き、出発点に戻ったときに死んでしまうというものだ。結局、主人公に必要だったのは、自分のなきがらを埋める土地だけだった、という皮肉な結末だ。
 どこかの進学塾のコピーではないが、「夢は大きく、目標は高く」も結構だが、それが単に、どこまでも肥大化する、利己的な人間の欲望の肯定になってしまうところに、現代の問題点がある。何のために、「夢は大きく」持つのか。何のために「目標は高く」持つのか。
 単に、自分の物欲・名誉欲・権力欲などを満たすだけのものなのか。それとも、利他的なものなのか。ここに、大きな分岐点がある。

 ガンジーの「人類の7つの罪」では「労働なき富」を悪としている。

 以前も触れたことがあるが、庶民感覚では「おい、貰い過ぎだろう」というカルロス・ゴーン氏も、コストカッターとしての手腕を発揮しないと、いつでも株主に首をきられてしまう存在なのである。非情に徹して多額のマネーを手にするか、情けをかけて株主に首を切られるか。この選択をいつもせまられているのだ。他の人たちも同様だ。
 
 復興増税がいよいよ実施されるが、「労働なき富」でノウノウと生きている人々のふところはあまり痛まないようにできている。
 政治家が株などで儲けているのはみな知っていること。既得権益の所有者たちが寄り合って、日本を動かしているからだ。

 これは感覚的な問題だが、日本が変になりだしたのは「馘首」を「リストラ」、「売春」を「援助交際」などと、言葉をすり換えることによって、その実態を見まいとした90年代頃からのような気がする。 

 今、日本には、「働けど働けど猶わが暮らし楽にならざり」を実感している人で満ちあふれている。ワーキングプア、若者の就職難、老人の万引き……。貧困がじわじわと下から上へと広がっている感じだ。

 ワーキングプア……言葉を換えれば、「正当な労働により得られるはずの富」が、どこかで、誰かによって搾取されていると言ったらいいだろう。小泉政権が行った構造改革が、じわじわと庶民をいたぶっている。

 若者の就職難……真面目に学んで、社会に出て行こうというのに、そのチャンスまでもが、どこかで、誰かに潰されている。

 老人の万引き……家族が、もしくは社会がめんどうを見るべき老人達が捨てられている。核家族時代は終焉を迎え、無縁社会へと移行している。

 不気味な時代だ。こんな時代世相なのに、革命だ、と叫ぶ人が出てこないのが不思議なくらいだ。これが欧米なら、何万、何十万という人々がデモをおこなっていることだろう。暴動が起きていることだろう。

 「民主主義」のはずなのに、いまや、「金主主義」の時代ではないか。それも、たくさんの金をもっている人が「主人」になり、そうでない人たちは、彼らのための働き蟻状態だ。
 目に見えないカースト制度が日本を覆っている。

 働き蟻よ、革命を起こそうじゃないか。

 まずは、経済の仕組みを変えること。遠くのどこかの人々から搾取する資本主義でもなく、隣の人を抑圧する共産主義でもない、第三の経済の仕組みを生み出すこと。これが急務だろう。
 日本の学者の中にも、気骨のある人がいるはずだ。より多くの人が安心して暮らせる経済の仕組みを、真剣に生み出してもらいたい。
 昔読んだ本だが、地球の食料で考えると、120億人くらいの人口を支えるのがいっぱいいっぱい、とあった。
 つい先だって、70億人を突破した。時間は残されていないのだ。70億人の人々が幸せに人生を全うできる経済システムを考案してほしい。
 
 既得権益をもっている人人が、その「経済システム」を潰しにかかるだろう。

 それに対抗する革命勢力は、暴力革命ではなく、非暴力でなくてはならない。非暴力の最大の武器は、「いま、なにがおこなわれているか、それを正しくみんなに知らしめること」、これしかない。

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by spanky2011th | 2011-10-04 20:31 | 世相 妄想随談

フカヒレスープの冒険(11)

         11
 ウインチをのみこんだ大ザメは、まずそうにゲップをすると、からだをゆすり、海にもどっていきました。
 でも、ようすが、どこか変です。
 あれほど、しつこくこうげきしていたのに、こうげきをしかけてくるようすがありません。それどころか、コンチキ2号の方に向きをかえようとするのですが、向くことができないでいるようなのです。
 それも、そのはずです。
 ウインチを飲み込んでしまったため、最初にきたあのサメと、鉄のチェーンでつながってしまっているからです。
「もう、だいじょうぶですよ。ロープ、ほどいてください。ちょっと、失礼」
 矢古さんはそういうと、マストのところへいきました。
 田西さんは、モップを両手にかかえ、まだ、海の大ザメをにらみつけています。
「船長、もう、だいじょうぶです。たすかりましたよ」
 矢古さんがそう声をかけたとたんです。田西さんは、モップをカタンと落とし、からだから力がぬけてしまいました。まるで海から出たクラゲです。
 でも、気力だけはのこっているみたいで、
「ひろしはだいじょうぶですか? 」
と、真っ先にたずねました。
 矢古さんは、
「ひろしくん、ひろしくん」
 ぐっすりねこんでしまっているみたいなひろしをゆすりました。それから、ほほをパチパチタたたくと、
「う、うーん」
 気を失っていたひろしが、ゆっくり目をあけました。
「船長、ひろしくんはぶじです。のりくみ員もみんなぶじです」
「そうですか。それはよかった」
 田西さんはそうつぶやくと、
「う、うーん」
と、こんどは田西さんが気を失ってしまいました。あのすさまじい戦いで、田西さんは、体力も気力も使いはたしてしまっていたからです。
「パパ、パパ」
 パパが死んでしまったものと勘ちがいして、ひろしが気がくるったみたいに、田西さんのからだをゆすりだしました。
 ひろしは、気を失っていたので、なにがどうなっているのかわからなかったのです。
「ひろしくん、船長はだいじょうぶですよ。それより、ロープをほどいてあげましょう」
 矢古さんとひろしは、船長をひきずるように、デッキへつれていきました。
「矢古さん、これを飲ましてあげてください」
 船室から水を取ってきた藤壺さんが、いいました。
 飲ますと、
「ううーん」
と、田西さんは気を取り戻しましたが、疲れはてているため、起き上がれません。
「矢古さん。サメはどうなりましたか」
「船長、見てください」
 矢古さんが指差したところでは、二匹のサメが、じっと、たがいをにらみあっていました。
 いかりをのみこんだサメは、ウインチをのみこんだサメに引っぱられて、海上に浮かんできていたのです。といっても、正確には、サメが引っぱったわけではなくて、チェーンがどんどん短くなって、引っぱり上げられたわけですが……。
 たたみ4枚分のサメは、たたみ6枚分のサメを見ると、おびえて、
はじめは、海からジャンプし、からだをはげしくゆすっていました。
チェーンを力まかせに切ろうとしたのです。でも、切れないとわかると、かくごを決めたとみえて、もう、あがこうとはしませんでした。
 一方、たたみ6枚分のサメの方も、たたみ4枚分のサメを目にするまでは、コンチキ2号の方に向きをかえようともがいていました。でも、たたみ4枚分を見てからは、たいどがガラリと変わりました。
 ちょうと、田西さんたちは、サメが相手の出方をお互いにさぐりあっているところを、目にしたのです。
 はじめに動いたのは、6枚分です。
 流水型のからだをくねらせたかと思うと、スイーッと4枚分の方に進みました。
 それを見た4枚分も、からだをくねらせ、6枚分めがけて、泳ぎ出しました。
 ドスン。
 二匹のサメが、とんがった頭と頭とで、ぶつかりました。ぶつかったかと思うと、こんどは、大口をあけて、相手の大口に、ガブリ、ガブリと、かじりはじめました。
 その戦いの、すさまじいの、すさまじくないのって!
 一匹が相手のわきばらにかみついたかと思うと、相手のサメが尾びれにかみつきかえします。
 一匹が尾びれで相手のからだをたたくと、もう一匹も、倍がえしで、ビチビチとたたきかえします。
 二匹がすさまじい戦いをやっているところは、ボコボコと波がうずまき、あたりには、しぶきがまいあがりだしました。
 太陽の光がそのしぶきに当たるので、くっきりと七色のにじがかかっていました。
 6枚分のサメが白いおなかを見せて、にじの橋めがけて、大きくジャンプしました。そして、橋をとびこえると、大きな口をめいっぱい開き、もう一匹の首すじめがけて落ちていきました。
 ガブリ。
 二匹は、落ちてきた勢いで、そのまま、海の中にもぐっていきました。
 ボコボコ。ボコボコ。
 まだ、はげしいたたかいをしているのでしょう。海の中から、ボコボコ、ボコボコとあわが浮かんできます。
 ボコボコいっていたあわが、小さくなって、ポコポコになりました。そして、それが、やがて、プチプチになったかと思うと、あわが浮かんでこなくなりました。
 戦いはおわったみたいです。       (つづく)


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by spanky2011th | 2011-10-04 19:31 | 長編童話 ふかひれスープの冒険