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地政学的言論に、ご用心 2

先の投稿、『石破なにがし」を防衛大学OBと書きましたが、事実誤認していました。訂正します。
 さて、私の関心は、軍事関係にあるのではなく、どのような流れで戦争が起きてしまうのか、どうしたらその流れをくいとめられるか、ということにある。
 私が大きく影響を受けた本に、ヨハン・ガルトゥングの「構造的暴力と平和」(中央大學出版局)というのがある。平和学の創始者といわれている人の著書だが、その本によると、かつての植民地政策は直接的な暴力である。そして、現代では、新植民地政策という新しい構造的暴力が、直接的な暴力に取って代わっているという。
 特に印象に残っているのは「共産主義は隣の人を弾圧し、資本主義は遠くの人から搾取する」という考え方である。
 その考え方に触れるまでは、恥ずかしながら、私も、自由を認めない共産主義には嫌悪感を持ち、自由のある「資本主義」こそがもっともよい物と信じていた。
 たとえば、私が食べる100円の板チョコ。このルートをたどっていくと、貧困にあえぎ、学校にも通えない児童の労働が存在している。遠いところから搾取しているのだ。
 たとえば、なにげなく使用しているマーガリン。その先には、森林破壊が存在し、貨幣作物をつくるための低賃金労働がある。現在と未来とから搾取しているのだ。
 人口の1パーセントの人が、その国の富のほとんどを独占している状態で、貧困大国と呼ばれる経済大国アメリカ。よその国だけでなく、自国内の遠い人たちからも搾取しているのは、日本もイギリスも、同じではないでしょうか。 
 貧困や差別などに苦しんでいる人々がいるということは、そこには「構造的な暴力」の社会システムがあるのです。
 
 「世界を救う処方箋」(ジェフリー・サックス著)を読み出したが、書名には副題が付いていて「共感の経済学が未来を作る」。「世界を不幸にするアメリカの戦争経済」「暴走する資本主義」というような本と同じように、アメリカの今の経済姿勢を批判する内容だが、いろいろと問題もあるにしろ、アメリカのすばらしさは、こういう言論があることだろう。

 先の投稿に「中華民国も中共も尖閣諸島を自国領土と言い出したのは1970年代に海底資源が確認されてから、オスプレイの事故率は他の航空機と比べても低い、ヨーロッパではEU懐疑論が根強い、政体も経済規模も違いすぎるアジアでは国家連合は作れない、日本はアメリカの国防総省に武官を常駐させている、勉強して書き直せ。」とのコメントが寄せられました。
「オスプレイの事故率は他の航空機と比べても低い」かどうかはわかりませんが、私の文章能力が低いせいで誤解が多いようです。

「日本はアメリカの国防総省に武官を常駐させている」ということですが、軍事同盟国なのですから、当たり前ですよね。私の本意は「中国・アメリカ」の双方の信頼構築に、日本が果たす役割はないのか、ということです。その一つが、外交官の相手国政府の外務省内への相互派遣から、まずはスタートさせられないかと思っているのです。
 平和のために、武器の準備ではなく、平和の準備をすべきだというのが、私の基本的な考え方です。一個一個つみかさねていくしかないのではないのか。

「ヨーロッパではEU懐疑論が根強い、政体も経済規模も違いすぎるアジアでは国家連合は作れない」ということですが、パン・ヨーロッパ運動が起きたときにも懐疑論は強く、政体も規模もちがいすぎるといわれてたはずです。私が、パン・ヨーロッパ運動を知った1970年代でも、ほとんどの日本人はEUなど夢物語だと信じていませんでした。共通の通貨にするくらいにしか思ってなかったのです。
 ギリシャ問題など、難問山積ですが、いま、EUは、人類初めての実験をおこなっている最中で、それこそスンナリといくわけがありません。
 アメリカ、中国、日本、オーストラリアなど、船で行き来している海洋型国家がやがて一つの文明「環太平洋文明」を生み出すだろうというのは、歴史学者トインビーの予想ですが、日本がかつて実力行使で築こうとした「大東亜共栄圏」のようなものにしてはいけないと思っています。また、「パックス・アメリカーナ」でも、「中華共栄圏」でもいけないのです。あくまでも、『環太平洋文明」でなくてはいけないのです。
 こういう思いを抱いている私が、「地政学」的思考には、ご用心、ご用心と思ってしまうのは当然ではないでしょうか。歴史を見ても、地政学的な考えが跋扈した後には、戦争ばかり。構造的暴力ばかりではないでしょうか。

 ところで、
「中華民国も中共も尖閣諸島を自国領土と言い出したのは1970年代に海底資源が確認されてから」という主張は、年がら年中聞き、私もはじめはそうだと信じていました。しかし、調べていくと、果たして、一般的に言われているそれを鵜呑みにしていいのか、疑問に思い出したのです。
 「10年間慎重に調べて」から、1895年1月14日、日本は「国際法」にのっとって、尖閣諸島を日本の領土として「閣議決定」しました。
 私の文にコメントを下さった方は、そこらへんの事情を、詳しく知っているようなので、ぜひ、教えを請いたいと思っています。
(1)なぜ、日清戦争中に、そんなことをしたのでしょうか。そのときの『閣議決定」はどのようなも のだったのでしょうか。
(2)国際法にのっとってやったらしいのですが、ここに、日本側の落ち度はないのでしょうか。日本 にやましい点はないのでしようか。
(3)そのとき、中国は、国際法をしっていたのでしようか。
(4)そのときの中国は、はたして近代国家と呼べる物だったのでしょうか。
(5)1924年に滅ぶ清が、1920年に出した遭難救助の「感謝状」。戦勝国日本を刺激したくない為に しぶしぶ書いたのではないのでしょうか。
(6)それとは別に、中国は、いま国境を接しているすべての国ともめています。いな、多民族国家で あるがために、 国内の独立派を多数抱えています。内戦状態を避けて、うまく解決する方法はな いのでしようか。

  私の理解だと、清が滅んだ後は、袁世凱派と、毛沢東派が争い、国家と呼べる物がなかったように思います。また、国内のことで手一杯で、国境の確定にまで手が回らなかったように思えます。
 ようやく国家らしくなってきたのは、文化大革命後のように思えますが、どうでしょうか。

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by spanky2011th | 2012-08-05 05:46 | 世相 妄想随談

地政学的言論には、ご用心

 先だってテレビでニュースを見ていたら、コメンテーターの肩書きに「国際地政学研究所」(所在地・東京都新宿区)とあって、目の玉が落ちるほど驚いてしまった。知らない間に、それを研究し、それを発信するところが出来ていたのだ。そのときの話題は、いうまでもなく尖閣諸島問題であった。
 「地政学」という言葉を私が初めて耳にしたのはいまから30年ほど前。角川文庫「悪の論理」という本でであった。そのとき、大学に残っていた友人に、日本で「地政学」を研究しているところがあるのか、聞いてみた。すると、戦争の学問だから、批判を恐れて、それを表看板にしているところはないとの事。研究しているところがあるとすれば、防衛大学くらいだろうという。(事実、それは本当で、私は神田古本屋街で、防衛大学翻訳で「世界戦略思想史」という分厚い本を入手。そこに、マハーンという項目があった)
 地政学とは戦争の学問である。地理的なところから発想し、どこを取れば、自国の国益になるのか、というようなことを研究する学問と思えばいいだろう。
 以来、翻訳されたその手の本を何冊か読んだが、知れば知るほど、その学問は、恐ろしい物だと思うようになってしまった。読んだ本の中で特に印象に残っているのは「オレンジ計画」と「第二次太平洋戦争」である。
 前者の「オレンジ計画」というのは、いま手元にないが、新潮社発行で、すぐに絶版になってしまった本だ。
 太平洋戦争が始まる前に、アメリカは「対日戦争」に向けて、すでに「オレンジ計画」という戦争シュミレーションが練り上げて、できあがっていた。アメリカは、どのように考え、どのように準備していたか、を研究した物だった。
 高校の世界史の教科書には載っていないだろうが、その副読本の資料編には、19世紀の世界の植民地が載っていると思う。それをじっと見ていれば、地政学というのがどういうものか、分かると思う。グーグルで検索しても出てくると思う。
 もう一冊の本は、地政学的に、国益をめぐって、また日本とアメリカが戦争へ突入するという本であった。

 20世紀初頭、アフリカ、アジア、南米の植民地が色分けされていて、日本が植民地としていたところがオレンジ色だった。明治時代に日本の天皇家との姻戚関係を求めたハメハメハ大王の独立国ハワイは、アメリカ国民を守る為という名目で上陸したアメリカ海兵隊により、植民地化されてしまい、アメリカはアジアへと手を伸ばしていた。
 日本は、韓国、満州、フィリピンなどを植民地化していたので、アメリカの国益と衝突するのは、当然、オレンジ色の日本であると、日本を仮想敵国とみなしていたのである。
 その頃、ロシア革命のような共産主義の拡大に手を焼いていた日本は、アメリカにも、理解を求めようとしたが、アメリカは、聴く耳を持たなかった。というよりも、敵の敵は味方という発想からソ連と手を結んだのは、歴史が証明している。

 地政学的には、海洋型軍事大国と大陸型軍事大国とは両立できないとされている。いま中国は、ソ連との長い軍事的対立で大陸型軍事大国であったが、海洋型軍事大国へと変貌しようとしている。
 中国の視点からいえば、これは当然のことであり、中国は、抑止力という名のもとで、日本、韓国などのアメリカ軍事同盟から、一方的に、身近なところからミサイルを突きつけられているからである。
 アヘン戦争、日本との戦争など、外国からの侵略者により過去散々な目にあった中国が、自国を守ろうとするのは当然なことだろう。
 数日前の産経新聞には、日本のシーレーンのことが書かれていたが、これも地政学的な考え方である。中東からの石油がどのような海路を通って日本へやってくるのか。それを守る為に、いかに尖閣諸島が大事な役目をしているのか。そういう記事だった。
 尖閣諸島問題を身近な人に話題としてふると、「中国はひどいよな。海底に眠っている資源目当てで、いきなり自国のものだといいだすんだからな」と、マスコミに書かれた内容ばかりが返ってくる。これがいまの日本の世論の大半だろう。

日本としては尖閣諸島は日本固有の領土としているが、それを日本の領土とした年は、日清戦争の真っ最中であったということには、日本政府は、ひとことも触れない。また、慎重に調べた結果、尖閣諸島は、どこの国にも帰属していなかったとのこと。そして、日本が実効支配し、日本の領土とすることにしたが、中国からは異論は出なかったということだが、イギリスが中国からのお茶や美術品を手に入れるために中国へ運び込んだアヘンで、中国の国はぼろぼろにされ、さらにアヘン戦争でぼろぼろとされ、また、日本との日清戦争でぼろぼろにされた中国は、まだ、近代国家となっていなかったのだ。第一、中国は、それを知っていたのだろうか。日本のいつもの手で、こっそりと極秘にやってしまったのではないのか。
 鳥島だったと思うが、そこには清の国王が「日本国鳥島」に送った感謝状がある。数年前、週刊誌で写真を見たが、たしか、それが書かれたのは、日清戦争後の5年後だったはず。
 尖閣諸島の日本国帰属に、白熱教室ではないが、「そこに果たして正義はあるのか」、はなはだ疑問だ。
 国際裁判所のようなところで、きっちりと話し合う必要があるだろう。遠回りのようだが、それが近道のような気がする。
 
 「国際地政学研究所」のようなところが「日本の国益を守るためには、尖閣諸島は大切な役目をしている。中東へ通じる南シナ海のシーレーンは、どんなことをしてでも守らなくてはいけない。あのシーレーンは、日本の命綱だ」というようなことをしゃべりだしたら、日本は戦争への一歩手前だ。
 さらに、某都知事みたいに、「尖閣諸島に、自衛隊を常駐させて、守るべきだ」といいだしたら、戦争への道は、さらに一歩進んだことになる。
 墜落事故ばかり起こしている「オスプレイ」が、中国へ、どのような脅威になっているか、考えなくてはならない。あっという間に、大量の兵士と武器などを、運び込めるのだ。中国上陸作戦の道具なのである。幸いにして、完成度が低いのでよかったが(沖縄の人たち、ごめんなさい。いつも、いつも、本国の安全のために犠牲にさせられて)、完成度が高かったら、それこそ、中国への脅威である。
 かつて「不倫は文化」といった馬鹿がいたが、「文化」を「悪弊」と置き換えたほうが、文脈的にはすんなりとして、的確な表現だろう。石破なんとかみたいな防衛大学出身の軍事オタクは、すぐに「抑止力」という言葉を使いたがるが「抑止力」は「外交能力のない、人間不信の、臆病者が使いたがる暴力装置」という言葉に置き換えたほうがいいだろう。
 地政学的な発言は、一見、凄い説得力があり、それが正しいように思える。それが凄く怖い。
 日本固有の文化だといってしまえば、どんな悪弊もそれらしく聞こえてしまうところが怖い。抑止力といえば、むちゃくちゃな、非人道的な暴力装置も、それらしく聞こえてしまうところが怖い。

 鳩山由紀夫が「環太平洋文明圏」をいいだして、一方的に中国へ接近しようとした時に、地政学的に、むちゃなことをいいだしたものだと、あきれ返ってしまった。アメリカはすぐに怒りだし、鳩山はすぐに、思いつきを引っ込めてしまった。
 数週間前、アメリカは、太平洋沖で、カナダ、韓国、ロシアなどを招いて、合同で軍事訓練を行ったが、これはいうまでなく、いざというときには、この軍隊があなたがたを攻撃しますよという中国へのけん制である。
 数日前、日本が出した防衛白書の、中国の軍事大国化への文章に、中国がすぐさま噛み付いてきたのも、当然なことである。

 いま、私達が真剣に考えなくてはならないのは、そんな地政学的な発想による戦争への準備ではなく、戦争を起こさないためのシステム作りであるはずだ。アメリカも、中国も、そして、アジアの島国も、ともに栄える環太平洋文明圏は作るべきである。そこへ、インドなども加わるようにしていく。

 いろいろ問題は多いが、EUのようなゆるやかな共同体であろう。かつて、ドイツとフランスは、地政学的な対立から世界大戦として二度戦争している。その反省から、互いに、外交官を自国の外務省に派遣しあい、不信感をいだかない(いだかせない)様にしていると聞く。
 日本と中国、日本とアメリカ、アメリカと中国とで、似たようなことは出来ないものだろうか。

 戦争の可能性があるから、基地と、軍産学複合体が存在するのではない。基地と、軍産学複合体が存続し続けるために、戦争の危機が必要なのである。なんとか、基地と、軍産学複合体を、グリーン経済への移行のために、すんなりと変容させる方法はないものだろうか。あったら、ぜひ、教えて欲しい。
 
 かつて、二二六事件の時など、青年将校が立ち上がった時、日本国国民の大半は、彼らを英雄視した。そのせいで、正論を述べていた政治家は、命を狙われる恐怖から、発言を控え、戦争への道をひた走ることとなった。なんとなく、いまの世情が、そのころに似ていて、私は「漠然とした不安」を抱えている。

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by spanky2011th | 2012-08-03 02:21 | 世相 妄想随談