「は」と「が」について(2)

  藤沢周平の作品をパラパラとめくってみた。
「幸助は、自分も不機 嫌な顔になって、お蝶が待っているという裏口に出た。すると、そこにしょんぼりとお蝶が立っていた。お蝶は、しばらく見ない間に背丈が伸びて……」(橋物 語 「約束」より) 私は、物を書くときには、現実に生きている世界のことを認識するとき(つまり、目・耳・鼻・舌・肌の五感をもって認識するときに) に、「が」を使うようにしている。
 そして、創作などで、思索を元にしたときに「は」を使うようにしている。 既知・未知ではない。
 この「約束」は、仕事 場にお蝶が会いにきたというので、お蝶がいる外へ出るシーンだ。当然、お蝶がそこにいることを幸助は知っている。でも、主人公幸助の目でお蝶を認識したと きに、「が」が用いられている。それから、説明的になると「は」になる。
 既知・未知派の人々は、「むかし、むかし、あるところにおじいさんとお婆さんが いました。おじいさんは山へ……」の、この形を「既知・未知」の典型とするが、私は、そうではないと思う。 このパターンが、いろり端などでする口承文学 であることを、既知・未知派は忘れているように思う。 日常では、「が」と「は」の両方を巧みに使い、生きている。
 それが、「物語」という夢想世界にはいっ ていくのである。その導入部として、現実世界にある(とされる)ある場所を思い浮かべさせる。それで、「が」が用いられているのだ。ちょうど、落語家が枕 で世間話をしていて、ポーンと本題の落語に入っていくようなものだ。見ている人も、そこからは日常世界とは別世界だと知っていて、落語を楽しむのだ。
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by spanky2011th | 2011-06-24 20:47 | 日本語 助詞「は」と「が」