「は」と「が」について(3)

 この前、早稲田大学に留学している外国の女の人とおしゃべりをした。
 日本語でなにがむずかしいか、質問してみたところ、「が」と「は」の違いが分からないとのこと。やはり出ました。助詞「が」と「は」は、日本人はちゃんと使い分けているのに、その違いを説明しろと言われると、困ってしまう。
 図書館に行き、その手の本をパラパラとめくってみた。すると、「ハとガ」という、そのものズバリの本があった。その本を借りて読んでみると、「が」は特異格の助詞である、という。
 特異格?
 「私は社長だ」「私が社長だ」というような二つの文を並べて、「が」の方が強く感じられるということらしい。みんなに嫌われるタイプに、「私がやりました」「私が幹事です」「私がマイクで歌います」と「私が」を連発する人がいる。「我が強い」というか「がが強い」というか……。
 そういえば、「は=既知・が=未知」派の人も、似たようなことをしていた。
「男(未知)が突然現れた」「サイフ(未知)が落ちていた」
「あなた(既知)はだれですか」「わたし(既知)は山田太郎です」
と、「は」の 前が既知情報、「が」の前が未知情報になっているというのだ。
 ここには、密かなトリックが隠されているように思う。
「題述構文(吾輩は猫であるの構文)」で質問されたら、「題述 構文」で答えるしかないではないか。

 そこで、こんな設定を考えてみた。紅白歌合戦の出場者発表の会見の場だ。たくさんの記者たちが押し掛け ている。記者たちの関心はAKB48の出場だ。このときの記者たちの頭の中は、
「やはりAKB48(既知)は今年の目玉だろうな」
「AKB48 の出場(未知)が決定したら、やはりAKB48(未知)がトリをつとめるのだろうか」
「いや、待てよ。AKB48(既知)は未成年もいたな」
と、さまざまな想念が渦巻いている。
 いよいよ、発表になる。読み上げた名前の中にAKB48の名前があった。
 記者たちが いっせいにペンを走らす。まず、書いたのは翌朝のトップ記事の見出しだ。その見出しは、まあ、こんなところだろう。
「AKB48(未知)が紅白出場!」
「AKB48(未知)が紅白を乗っ取る!」
  えっ!? 国民的なアイドルグループが未知!? 記者たちが、国民のほどんどがAKB48を知らないのを前提に、見出しの文を書いたことになるぞ。
「昨日、紅白歌合戦の出場者の発表が行わ れ、国民的なアイドルグループAKB48(未知)が紅白歌合戦に出場する。AKB48(既知)は、秋葉原のドンキホーテの入っているビルを活動の基点として、毎日顔が見ら れるアキバのアイドルとしてスタートし……」

 文を二つ並べて、チマチマと比較する手法を捨てて、どのように日本語が使われているか、その現場から日本語を考えれば、「は」と「が」の違いは明確だ。
 私たちは、現実世界を生きている。この現実世界に起きた(起きるだろう)ことを認識し、判断し、思索し、推理し、それを行動にして生きている。また、小説家や評論家のように、原稿用紙(今はパソコン)に、思索し、夢想した内容を書 く人々もいる。
 この現実世界に生きているときに使う言葉と、脳の中で起きていることを表現する言葉は、同じ日本語であっても、まったく性質の異なるものと見なさなくてはならない。英語や中国語では、その違いが表現の違いになることはないのだろう。日本語では、それが「は」と「が」に表れる。
「が」 は、現実世界の認識・伝達のときに使われる。「は」は、自身の知識や体験を元に思索したときに使われる。これが私の基本的な考えだ。素人考えだが、ほぼ、 間違いないだろう。きっと、多くの人が、意識しないで、そのように「が」と「は」を使い分けているに違いない。
「が」と比べると「は」は説 明的になるのも当然だ。
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by spanky2011th | 2011-06-24 21:13 | 日本語 助詞「は」と「が」