「は」と「が」について(7)

 学校文法に触れよう。
 高校生の娘に、「国語」の教科書を見せてくれ、と頼むと、娘はすごく嫌な顔をして渋々と貸してくれた。
 学校文法では、「は」は副助詞、「が」は格助詞と分類され、まったく別のものと考えられている。
 手元にある辞書では「は」は係助詞となっている。
「ぼくは知らない」「こうなるとは思わなかった」というように、「は」は別のニュアンスを付け加えるから、という理由かららしい。
 それでは「が」は別のニュアンスを付け加えないのだろうか。「ハとガ」(坂野信彦・著)が主張しているように、本来は「は」を用いるところを「が」を用いて、強めることが出来る。ここだけを見ると、特異格というのもうなずける。
 ラーメンに蠅が入っていたとしよう。怒りまくって、
「おい。店長をよべ」となり、店長が出てくる。このときの店長の言葉は、
「わたしが店長です。なにかありましたか。」
と、なる。強まっているようには感じない。
 ところが、同窓会で、みんな、どんな仕事をしているかという話題になったとき、
「わたしはこの街の消防士」
「おれは県立高校の教師」
と、わいわいいっているところへ、一人、
「おれがソフトバ○クの社長だ」
といったら、どう感じるだろうか。
 えらそうに!  なんだ、あいつは、とみんなの顰蹙をかってしまう。
「そういえば、あいつ、勉強はろくにできなかったのに、おれがクラス委員をやる。おれが生徒会長になる。いつも、おれが、おれが、の奴だったよな」
と、嫌われてしまうだろう。

 このときの「が」の解釈だか、多くの学者が陥るのが、「が」にそのような力がある、と解釈してしまうことだ。私は、スタンダードから外れることによってもたらされる効果に過ぎない、と思っている。
 日本人なら誰でも知っている富士山。富士山の岩や砂を細かく分析し、そのデータの山を富士山の山よりも高く積み上げても、私たちが直感的に知っている富士山は再現できない。分析結果、ケイ素比率が○%、鉄比率が○%……といくら綿密に報告しても、富士山にはならない。分析と直感は補いあうべき物であるからだ。
 前にも述べたが、ビンクの口紅がスタンダードである女性がある日、黒い口紅をつけるようなものだ。逆に、既婚女性がお歯黒にするのがスタンダードだった江戸時代に、一人だけ、歯をピンクに染めたとしよう。その時の周りの姿を想像してもらいたい。「黒」には「黒」の力があるが、それと別の力が大きく影響してしまう。
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by spanky2011th | 2011-06-27 13:56 | 日本語 助詞「は」と「が」