この恨み、晴らさでおくものか

 以前、知り合いの作家が「文学者は恨みを晴らす権利がある。だから、嫌な思い出は決して忘れてはいけない」と、語っていた。名言だと思った。
 映画「デトロイト・メタル・シティー」で、松山ケンイチ扮する主役が「この恨み、晴らさでおくものか」と歌うが、歌も文学も、人間の心が生み出すものだから、まずは「心のなかで何かが動くこと」が大切だと思う。
 以前、世界の歌姫というので、サラ・ブ○○○マンのCDをツタヤで借りてきて聴いて、ビックリしたことがある。うまいのである。声がいいのである。でも、なぜか、つまらないと感じてしまったのである。「4分音符以上、みんな、正確なビブラート」と私は思ってしまったのだ。
 そして、なぜか、「お前は初音ミクか」と突っ込みを入れたくなった。
「どう、わたし、すごいでしょう。こんなに歌えるほど、練習したのよ。ねえ、すごいでしょう。すごいでしょう。でも、私の人生、つまらなかった。でも、私の人生、つまらなかった。こんなに歌えるほど、練習したのよ。」と、英語のまったく判らない私には、そんな歌詞に思えてしまったのだ。
 文学も、ある程度の技術は必要だろうけど、高技術=傑作にならないところが面白い。
 リルケの言葉「文学の底には祈りがある」(注=うろ覚え)や、「この恨み、晴らさでおくものか」の作品の方が、私には面白く感じられる。
 最近、superflyの「AH」という歌を聴いて、なぜか、涙ぐんでしまった。「あー」しかない歌で、悲しみの中から立ち上がろうとする人間のけなげさ・たくましさを感じてしまったのだ。言葉はないか、祈りを感じてしまったのだ。「アメーイジング・グレイス」に通じる傑作だと、私は信じている。
 それにつけても、サラ・ブ○○○マンのつまらなさよ。(サラ・ブ○○○マン・ファンのみなさん、ごめんなさい)

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by spanky2011th | 2011-07-01 19:42 | 文学論のようなもの