村上春樹は村上春樹でいてほしい

村上春樹に異変がおきている

 世の中には非常にリスペクトしているのだが、どうしても肌が合わないという人がいる。私にとって、それは村上春樹だ。現代文学だけでなく、現代そのものを語るのにも、村上春樹は欠かせない重要人物だ、と私は思っている。
 デビューした頃より、何度も本を買っては挑戦し、そして肌が合わないと諦め、また、買ってきては挑戦し、そして放棄してきた。
 知り合いが「ぜひ、読んでみて」と借してくれた「ノルウェーの森」も、読もうとしたのだか8分の1くらい読んだところで、「ごめんなさい。どうしても読みきれない」と、恥ずかしながら返却した覚えがある。相手に対して、こんな失礼なことはない。普段は、そんなことは絶対にしない私であるのに……。
 そんな繰り返しで、恥ずかしながら読了したのは「ねじ巻鳥クロニクル」のみで、村上春樹を語る資格がないのは十分に知っている。

 どうしても気になる村上春樹。それでも、どうしても読めない村上春樹。どうして私には彼の作品が読めないのか。乱読派の雑食系の私にとって、それは大きな謎だった。スラリと読める人には理解不能な、別の読書体験である。ある意味、村上体験は、私にとっては自分自身発見体験であった。
 現代人の自閉的な感性、というよりも、病理そのものを語らせたら天下一品。社会規範とか、人間どう生きるべきかという倫理とかに関心がなく、ひたすら、自分の心の中の出来事にしか関心を持たない主人公。たとえば、ジャズだけしか関心がないとか……。
 黄泉国往来譚のスタイルのなかで、この世(現在)とあの世(過去)の境目で、あの世への執着を語り続ける主人公。
 村上春樹がオウム真理教の事件のルポを手がけたとき、やはり、現代の病理を語らせたら天下一品の人物だけあって、反応する場所がちがう、と思ったものだ。よくある、売らんかなのためにルポではなく、春樹自身の必然から、あの聞き書きをやったものだ、と私は理解している。

 私は、そのうち気づきだした。私には、現代人の抱える病理を理解する(または共鳴する)感受性に欠落した、古くさいタイプの人間なのだ、と。外から眺めることは出来ても、中から眺めることは出来ない人間なのだ、と。
 その村上春樹にいま、異変が起きている。
 カタルーニャ国際文学賞の受賞挨拶で、「日本が長年誇ってきた『技術力』神話の崩壊と同時に、日本人の倫理と規範の敗北でもある。」「日本人自身がお膳立てして、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊した」と、語りだしたのだ。その前の、イスラエルでのスピーチは異変の予兆であったらしい。
 ダブル村上の村上龍が語るなら、よくわかる。人殺しとか、大量虐殺とか、やたら暴力的でアンチモラルな描写が多いために、彼は倫理とか規範とかに関心がないと思われているが、彼ほど倫理とか規範とかを考え続けている作家は、現代にはめずらしい。
 作家と作品はちがう、ということは十分に理解しているのだが、村上春樹には、川端康成のような、自分の感性のみのスピーチをしてもらいたい。
 倫理とか規範とかしゃべりだしたら、単なる耄碌じじいになってしまうぞ。

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by spanky2011th | 2011-07-03 08:14 | 文学論のようなもの