人気ブログランキング | 話題のタグを見る

村上春樹に異変がおきている(2)

どうも、「世間に認めらること」=「その人の価値」という悪いクセを、日本人の多くはもっているようだ。ある有名ブログでも、「ノーベル賞を取るためにも、世界の前で政治や社会の問題について積極的に発言して欲しいと願った」云々と発言がされていた。
 ノーベル賞を取るためには、世界文学の仲間入りしなくてはいけない、とのあせりが、どうも最近の村上春樹には感じられてしまう。世間の無言のプレッシャーがそうさせるのか。
「ノーベル賞を取るためにも、世界の前で政治や社会の問題について積極的に発言して欲しいと願った」云々の発言は、文学をやっている者がまさに気をつけなくてはならない躓きの石なのです。
 みんな、共産主義時代のプロパガンダ文学の不毛さを知っていますよね。
 そして、逆に、その苦悩の坩堝の中から、ショーロフやソルジェニーツィンという偉大な文学者が出てきたのです。
 日本でも同じです。戦時中の国威宣揚文学の不毛さを知っていますよね。
 真の文学を生んだ人々は、何かの目的のために書いたのではないのです。一見そう見えても、あくまでも、個人的な苦悩の答えを求め、悩み、祈り、考え抜いたその結果が、作品となったのです。
 大江健三郎氏と、村上春樹氏とを、同次元で論じてはいけないのです。タイプがちがうのです。
 村上春樹氏がいまやらなくてはならないことは、(いままでやってきたことと同様に)もっともっと個人的な内面の奥底へ奥底へ(まさに、村上作品と同様に)入り込んでいき、現代の病理とも言える「自閉」を描き続けていき、その結果、何か、新しい「気づき」を見つけ出すことです。
 それができたときに、村上春樹氏は世界文学への仲間入りが出来るのではないでしょうか。私たちも、今まで手に入れることが出来なかった、まったく新しい文学を手に入れることが出来るのではないでしょうか。
 日本が世界へ誇れる新しい文学が生まれるとしたら、それは村上春樹氏と村上龍氏からだと思う。

 ジョン・レノン。彼の代表作「イマジン」も、プライベートなことを歌ったモノ,それがたまたま多くの共感を呼び、名作として残っているのです。メビウスの輪のようなものです。プライベートそのものが、世界そのものになる。

by spanky2011th | 2011-07-03 13:52 | 文学論のようなもの