ふかひれスープの冒険(10)
10
ドスン。 ガリッ。
ガチッ。 「おっとと」
ドスン。
「おりゃあ」
バシャン。
ボコン。
グサッ。 「食らえ」
ガブリ。
ドスン。
「まだまだ」
バキン。
ガブリ。
「死ねえ」
長考中の矢古さんの耳には、ずうっと、にぶくて大きな音と、はげしいどなり声とが、聞こえていました。
でも、それがなんだか、よくわかっていません。いつものことなのです。いちど、長考にはいってしまったら、地しんが起きようが、かみなりが落ちようが、気にならないのです。
ところが、この日の矢古さんには、その音がのどにつっかかった魚の骨みたいに、チクチク気になってしようがなかったのです。
とくに、ドスン、ドスンという、にぶくて大きな音が……。
「そうか! そういうことだったのか!」
いきなりさけんだ矢古さんのメガネのおくの目が、キラリと光っています。
どうして、ドスン、ドスンという、にぶくて大きな音がこんなに気になるのか考えていたら、矢古さんのあたまに、ピカッとひらめくものがあったのです。
「考える人」のポーズのまま、そうじゅう席にころがっていた矢古さんが、ピクリとうごきました。そして、そのつぎに、ゾンビみたいにムックリとおきあがりました。
「船長、わかりましたよ」
そうじゅう席を見ても、船長はいません。
サメのこうげきは、まだつづいているようで、船がはげしくゆれています。
船室ものぞいてみましたが、気を失っている茂津さんのほかにはだれもいません。
「あれほど、船室から、出てはいけないといわれてたのに……」
矢古さんは、ブツブツひとりごとをいいながら、そうじゅう席から、顔だけ、外にだしました。
すぐそばに、藤壺さんと安光さんがいました。ふたりは、からだをひねっていて、つりざおとフライパンをふりまわしています。
「そんなところで、なにしているのですか」
長考にはいっていたので、矢古さんは、あれからどうなったのか、ちっとも知らなかったのです。
「この、うすらとんかち。船長がてえへんなんだ」
安光さんにどやしつけられて、矢古さんは船の前の方に目をやりました。
なんということでしょう。
田西さんが、船に身をのりあげた大ザメと、必死にたたかっている真っ最中です。
大ザメは、大口でガブリ、ガブリと、田西さんの足を食いちぎろうとしていて、田西さんは、
「おりゃあ」
「まだまだ」
「死ねっ」
かけ声とともに、すばやく、サメのとんがった鼻っつらをけっとばし、目をねらってモップをつきおろしています。
田西さんのたたかい方ときたら、大ザメにまけていません。
窮鼠猫をかむ(おいつめられたネズミが逆にネコをかむという意味)、火事場の馬鹿力(火事になって、思いもしなかった馬鹿力で重い物をもちあげてしまうという意味)、鬼神がのりうつった(鬼か神さまがとりついた)ということわざがありますが、まさに、このときの田西さんがそうです。
そうじゅう席の窓ごしに見ていると、まるで、映画を見ているみたいです。
「船長、わかりましたよ」
矢古さんが大声でさけんでも、死にものぐるいでたたかっている田西さんには、聞こえていません。
田西さんの目は、大ザメにくぎづけになっていて、
「さあ、たたきつぶしてやる」
と、大ザメにむかってどなっています。
大ザメは、息が苦しくなってきたのでしょう。からだをゆすりながら、船から海に戻りだしました。
でも、まだ、あきらめません。
海を泳ぎまわって、たっぷり酸素をエラで吸い込むと、ふたたび、大ザメがこうげきの態勢にはいりました。
サメが、マストの田西さん親子にむかって、泳ぎだしました。
それを見た矢古さんは、
「おっと、これは本物だったんだ」
あわてて、デッキの外にとび出すと、なにを考えているのか、船の後ろのいかり用ウインチのところにスクッと立ちました。
そして、
「おーい。ばかザメ、こっちだ、こっち」
矢古さんは、ピョン、ピョンとびはね、足でドン、ドンとデッキを踏み鳴らしだしたのです。
「矢古さん、もどってください。あぶないですよ」
藤壺さんがさけびましたが、矢古さんはやめようとしません。それどころか、思いつくかぎりの悪口を、大ザメにあびせかけだしたのです。
「ばーか、かーば、ちんどんや、お前のかあさん、でべそ」
「やーい、しょんべんたれ。お前の肉は、くさいぞ」
「あほんだらの、大まぬけの、こんこんちき。お前ののうみそ、ぬかみそだ」
サメに、矢古さんの言葉がわかったのでしょうか。田西さん親子めがけて突進していた大ザメが、向きをかえました。そして、まるで、フリースビーみたいに大きく曲がると、矢古さんの方に突き進んでいきます。
「矢古さん、あぶないですよ。にげてください」
「なにやってんだ。早く、にげやがれ」
藤壺さんと安光さんは、とびついて助けだそうとしましたが、からだを結びつけているので動くことができません。
矢古さんの悪口は、これが学校の先生のいうことかと思うほど、どんどん品がなく、とても、ここには書けないようなものになっていきました。
そして、ドンドン踏み鳴らすデッキの音も、はげしくなっていきました。
3メートル、2メートル、1メートル……。
「矢古さん、にげてくださーい!」
いのるような気持ちでさけんだのに、なにを思ったのか、矢古さんはその場にすわりこみました。
「うわあ。食われちまう」
安光さんと藤壺さんは、おもわず、目をつぶりました。
ガブリ。ガリガリ。
骨をかみくだくような、いやに音がしました。
おそるおそる目をひらいたふたりの前に、矢古さんの顔がありました。そして、その顔がニヤリと笑いました。
「矢古さん!」
生きていたのです。
「ああ。こわかった」
矢古さんが、そういいました。それから、
「作戦どおりにいけば、これでたすかります」
と、ちょっと得意そうに、鼻をうごかしています。
実は、大ザメにくいつかれそうになったとき、矢古さんはすばやくいかりのウインチのスイッチを押し、サッとうしろにとびのいていたのです。
ガリガリ。
見ると、海から上半身をだしている大ザメが、ウインチのあるデッキに、かじりついています。
ゴクリ。ガリガリ。
そして、からだをはげしくゆすって、ウインチをかじりとりと、飲み込んでしまいました。
「これで、99パーセント、作戦は成功です」
矢古さんが自信たっぷりにいいましたが、安光さんと藤壺さんには、どうして、これが「作戦成功」なのか、わかっていません。
「まあ、見ていてください」
(つづく)
ドスン。 ガリッ。
ガチッ。 「おっとと」
ドスン。
「おりゃあ」
バシャン。
ボコン。
グサッ。 「食らえ」
ガブリ。
ドスン。
「まだまだ」
バキン。
ガブリ。
「死ねえ」
長考中の矢古さんの耳には、ずうっと、にぶくて大きな音と、はげしいどなり声とが、聞こえていました。
でも、それがなんだか、よくわかっていません。いつものことなのです。いちど、長考にはいってしまったら、地しんが起きようが、かみなりが落ちようが、気にならないのです。
ところが、この日の矢古さんには、その音がのどにつっかかった魚の骨みたいに、チクチク気になってしようがなかったのです。
とくに、ドスン、ドスンという、にぶくて大きな音が……。
「そうか! そういうことだったのか!」
いきなりさけんだ矢古さんのメガネのおくの目が、キラリと光っています。
どうして、ドスン、ドスンという、にぶくて大きな音がこんなに気になるのか考えていたら、矢古さんのあたまに、ピカッとひらめくものがあったのです。
「考える人」のポーズのまま、そうじゅう席にころがっていた矢古さんが、ピクリとうごきました。そして、そのつぎに、ゾンビみたいにムックリとおきあがりました。
「船長、わかりましたよ」
そうじゅう席を見ても、船長はいません。
サメのこうげきは、まだつづいているようで、船がはげしくゆれています。
船室ものぞいてみましたが、気を失っている茂津さんのほかにはだれもいません。
「あれほど、船室から、出てはいけないといわれてたのに……」
矢古さんは、ブツブツひとりごとをいいながら、そうじゅう席から、顔だけ、外にだしました。
すぐそばに、藤壺さんと安光さんがいました。ふたりは、からだをひねっていて、つりざおとフライパンをふりまわしています。
「そんなところで、なにしているのですか」
長考にはいっていたので、矢古さんは、あれからどうなったのか、ちっとも知らなかったのです。
「この、うすらとんかち。船長がてえへんなんだ」
安光さんにどやしつけられて、矢古さんは船の前の方に目をやりました。
なんということでしょう。
田西さんが、船に身をのりあげた大ザメと、必死にたたかっている真っ最中です。
大ザメは、大口でガブリ、ガブリと、田西さんの足を食いちぎろうとしていて、田西さんは、
「おりゃあ」
「まだまだ」
「死ねっ」
かけ声とともに、すばやく、サメのとんがった鼻っつらをけっとばし、目をねらってモップをつきおろしています。
田西さんのたたかい方ときたら、大ザメにまけていません。
窮鼠猫をかむ(おいつめられたネズミが逆にネコをかむという意味)、火事場の馬鹿力(火事になって、思いもしなかった馬鹿力で重い物をもちあげてしまうという意味)、鬼神がのりうつった(鬼か神さまがとりついた)ということわざがありますが、まさに、このときの田西さんがそうです。
そうじゅう席の窓ごしに見ていると、まるで、映画を見ているみたいです。
「船長、わかりましたよ」
矢古さんが大声でさけんでも、死にものぐるいでたたかっている田西さんには、聞こえていません。
田西さんの目は、大ザメにくぎづけになっていて、
「さあ、たたきつぶしてやる」
と、大ザメにむかってどなっています。
大ザメは、息が苦しくなってきたのでしょう。からだをゆすりながら、船から海に戻りだしました。
でも、まだ、あきらめません。
海を泳ぎまわって、たっぷり酸素をエラで吸い込むと、ふたたび、大ザメがこうげきの態勢にはいりました。
サメが、マストの田西さん親子にむかって、泳ぎだしました。
それを見た矢古さんは、
「おっと、これは本物だったんだ」
あわてて、デッキの外にとび出すと、なにを考えているのか、船の後ろのいかり用ウインチのところにスクッと立ちました。
そして、
「おーい。ばかザメ、こっちだ、こっち」
矢古さんは、ピョン、ピョンとびはね、足でドン、ドンとデッキを踏み鳴らしだしたのです。
「矢古さん、もどってください。あぶないですよ」
藤壺さんがさけびましたが、矢古さんはやめようとしません。それどころか、思いつくかぎりの悪口を、大ザメにあびせかけだしたのです。
「ばーか、かーば、ちんどんや、お前のかあさん、でべそ」
「やーい、しょんべんたれ。お前の肉は、くさいぞ」
「あほんだらの、大まぬけの、こんこんちき。お前ののうみそ、ぬかみそだ」
サメに、矢古さんの言葉がわかったのでしょうか。田西さん親子めがけて突進していた大ザメが、向きをかえました。そして、まるで、フリースビーみたいに大きく曲がると、矢古さんの方に突き進んでいきます。
「矢古さん、あぶないですよ。にげてください」
「なにやってんだ。早く、にげやがれ」
藤壺さんと安光さんは、とびついて助けだそうとしましたが、からだを結びつけているので動くことができません。
矢古さんの悪口は、これが学校の先生のいうことかと思うほど、どんどん品がなく、とても、ここには書けないようなものになっていきました。
そして、ドンドン踏み鳴らすデッキの音も、はげしくなっていきました。
3メートル、2メートル、1メートル……。
「矢古さん、にげてくださーい!」
いのるような気持ちでさけんだのに、なにを思ったのか、矢古さんはその場にすわりこみました。
「うわあ。食われちまう」
安光さんと藤壺さんは、おもわず、目をつぶりました。
ガブリ。ガリガリ。
骨をかみくだくような、いやに音がしました。
おそるおそる目をひらいたふたりの前に、矢古さんの顔がありました。そして、その顔がニヤリと笑いました。
「矢古さん!」
生きていたのです。
「ああ。こわかった」
矢古さんが、そういいました。それから、
「作戦どおりにいけば、これでたすかります」
と、ちょっと得意そうに、鼻をうごかしています。
実は、大ザメにくいつかれそうになったとき、矢古さんはすばやくいかりのウインチのスイッチを押し、サッとうしろにとびのいていたのです。
ガリガリ。
見ると、海から上半身をだしている大ザメが、ウインチのあるデッキに、かじりついています。
ゴクリ。ガリガリ。
そして、からだをはげしくゆすって、ウインチをかじりとりと、飲み込んでしまいました。
「これで、99パーセント、作戦は成功です」
矢古さんが自信たっぷりにいいましたが、安光さんと藤壺さんには、どうして、これが「作戦成功」なのか、わかっていません。
「まあ、見ていてください」
(つづく)
by spanky2011th | 2011-09-18 09:37 | 長編童話 ふかひれスープの冒険