上の浪費は、下々の繁栄


 三代目が、びっくりするような金額のお金をカジノで使い、それにからんで逮捕されてしまったが、その金銭感覚を見ていると、人間としてあわれに感じると同時に、格差社会をひしひしと感じてしまう。
 嫌いだからワイドーショーなどは見てないが、コメンテーターがどんな話をしたか、だいたい想像できる。多分、見たら、そのたびに、芥川龍之介「侏儒の言葉」の次の文を思い出すことだろう。

醜聞

なぜ公衆は 醜聞を――殊に世間に名を知られた他人の醜聞を愛するのであろう? グルモ ンはこれに答えている。――
「隠れたる自己の醜聞も当り前のように見せてくれるから。」
 グルモンの答はあたっている。が、必ずしもそればかりではない。
醜聞さえ起し得ない俗人たちはあらゆる名士の醜聞の中に彼等の怯懦を弁解する好個の武器を見出すのである。同時に又実際には存しない彼等の優越を樹立する、好個の台石を見出すのである。「わたしは白蓮女史ほど美人ではない。しかし白蓮女史よりも貞淑である。」「わたしは有島氏ほど才子ではない。しかし有島氏よりも世間を知っている。」「わたしは武者小路氏ほど……」――公衆は如何にこう云った後、豚のように幸福に熟睡したであろう。

 それにしても、カジノなんかで使わないで、日本で使ってくれればいいのに、と思ってしまう。その額を、子供たちの奨学金にしてくれればいいのに、と思ってしまう。
 江戸時代、どこの藩主だったか忘れたが、「上の浪費は、下々の繁栄」という旨をのべた御仁がいた。上と言っても、政府という意味ではないだろう。金を溜め込んでいる人々と解釈すべきだろう。
 そういう人々が、浪費してくれれば、経済は動き出すのだ。計画的に浪費してくれればベスト。しかし、そういう人々は、預金通帳の残高が減ることに異常な恐怖感を覚え、その数字の陰に隠れて、ある意味、庶民を見下し、ある意味、小人のようにふるえながら、生きているのだろう。

 いと、あわれなり。とワーキングプアのわたしは、強がってみることにした。




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by spanky2011th | 2011-12-06 19:21 | 世相 妄想随談(音楽付き)